昨日は忙しくて。
さて、その隙間で。つづきです。
第15章~第18章は、君主の資質として求められるものについて語る。
ここは結構おもしろい。逆転の発想である。
世間の常識と正反対すなわち非常識。
しかし真実をついていたので、マキャベリの君主論は大ブレーク。
彼の君主論のハイライトだね。
第15章 褒められる君主とけなされる君主。
気前善 vs 強欲
慈悲vs 冷酷
豪胆 vs 優柔不断
丁寧 vs 傲慢
潔癖 vs 好色
律儀 vs 狡猾
堅固 vs 軟弱
重厚 vs 軽薄
信心 vs 不信心
上の対比の左は賞賛される理想君主。しかし、時にそれが身の破滅。
悪は善を駆逐するのが現実。
時に悪になれと。
それは大局において善へ転化すると信じて。
というのがメッセージ。
これって、本当だね。
場面において断腸の思いで悪になることが必要なことはあるね。
本当に.「許せ!」との決断がリーダーには求められることがある。
納得。
第16章 気前の良さとケチ
この章もわかり易い。
受け狙いの気前の良さは、その時は良いが、やがてお金がなくなると強欲君主となる。
そして、人心が離れる。
ケチでも評判が悪くなるのはその恩恵にあずかるわずかな人。
しかし、それによって圧倒的多数の人民は課税を免れ、名君となる。
世の名君たるものみなケチであった。
そういえば、かの「暴れん坊将軍」吉宗もケチの典型的君主。
でも大岡越前守がいて、善政をした。
「亨保の改革」だったね。
この受け狙いの気前の良い教授っているね。
大プロジェクトで使い切れない大金をとり、「ほらほらほら」とばらまく。
悪いのになると、それを鼻先の人参のように使う。
多くの正直な研究者は研究費に困っているから、断腸の思いでその人参に食いつく、そしてーー。
そのようなプロジェクトリーダは尊敬されず、金の切れ目が縁の切れ目。
貧乏でいい。必要以上の研究費は人を腐らす。
第17章 冷酷と慈悲
誰だって憎まれたくない。慕われたい。マキャベリは憎しみと思慕は共存できないが、恐れと思慕は共存でき、それこそ君主のめざすべきものと書く。
ん。確かに。
権力を持つ者は確かに怖い。しかし、憎しみまでになるのは、人民のものを奪ったとき。
恐れられること、すなわち冷酷を避けては通れない。
大学の教授も締める時は締めねばならないってことだね。
研究・教育・管理運営社会活動において。
教授のことばは時に刃物だからね。自戒自戒。
第18章:誠意と狡猾
ここまで読むと、読む前に、「狡猾が勝る」と書いてあると予測。
やっぱり。しかし、奥深い。
それは目であるという。
獅子と狐にたとえる。真っ正直、しかし強いな獅子。狡猾、しかしオオカミには勝てない狐。
信義は誠実な獅子のもの、裏切りは狡猾な狐のもの。
信義を演じ、いざという時に狡猾になれという。
これはほとんど、動物物語のようだね。
しかし、演じても目は総てを語るので、結局、誠実は本物でなければならない、なりきれってことか?
これは俳優だね。俳優は、演ずる人物になりきり目つきすら本物となって名優となる。君主も同じだと。
獅子であり、狐であれと。
ここ、結構きついメッセージだね。悪く言うと2枚舌だからね。「目をごまかす」なんて普通はほとんど不可能。
だいだい「目でばれる」。
でもあるね。やむを得ざる理由により、お約束反故にさせていただきます、ごめん、という場面。
恋愛において、人をふる時などその典型だね。 その「悪」を積みかさね、積み重ねられ人は大人になる。
さみしいけどね。それを嫌な人がピーターパンなのだね。研究者にはピーターパンが多いね。
第19章:憎悪と軽蔑から如何に逃れるか。
最も気を使うべきはやはり人民。そして次に兵士。
この両者は相反するので、獅子と狐(誠意と狡猾)をうまく使えと。
君主への軽蔑は優柔不断と支離滅裂からくる。
これもリーダーにとっての一般則だね。
大学の管理から、研究グループから、一家の親父にいたるまであらゆる責任のある人にあてはまる。
熟慮の上の冷静で正確な判断。一貫した論理。
誰の方を向いた決断か?憎しみを最小に押さえ、かつ人民の圧倒的な信頼の包囲があれば兵士といえども牙を剥けられない。
さて、以上の資質をもてば、名君となるが、このあとは鍵となる策。
第20章:砦は作るべきか否か。
この章のパラドックスもおもしろい。城砦とは何ぞや?築くべきか否か?マキャベリの答えはどちらでも良い。それよりもっと大事なものは民衆の信頼であると断定。それがあれば「人民の砦」が君主を敵から守るという。
マキャベリの君主論が名君を生んだ理由が今や明らかである。彼は民衆を最も大事にせよ、と繰り返し繰り返し問いたのである。
これは大学教授の研究と教育に翻訳すると,「学生を最も大事にせよ」「砦の中に囲い込むな。信頼して自由にさせよ。囲い込みは学生不信と抑制の現れ。それは自らを滅ぼす」という明解なメッセージである。やはり「学生よ自由に羽ばたけ」はただしいのである。
さて、あと五章で終わりだ。もっか君主論にもめり込み中。
さて、その隙間で。つづきです。
第15章~第18章は、君主の資質として求められるものについて語る。
ここは結構おもしろい。逆転の発想である。
世間の常識と正反対すなわち非常識。
しかし真実をついていたので、マキャベリの君主論は大ブレーク。
彼の君主論のハイライトだね。
第15章 褒められる君主とけなされる君主。
気前善 vs 強欲
慈悲vs 冷酷
豪胆 vs 優柔不断
丁寧 vs 傲慢
潔癖 vs 好色
律儀 vs 狡猾
堅固 vs 軟弱
重厚 vs 軽薄
信心 vs 不信心
上の対比の左は賞賛される理想君主。しかし、時にそれが身の破滅。
悪は善を駆逐するのが現実。
時に悪になれと。
それは大局において善へ転化すると信じて。
というのがメッセージ。
これって、本当だね。
場面において断腸の思いで悪になることが必要なことはあるね。
本当に.「許せ!」との決断がリーダーには求められることがある。
納得。
第16章 気前の良さとケチ
この章もわかり易い。
受け狙いの気前の良さは、その時は良いが、やがてお金がなくなると強欲君主となる。
そして、人心が離れる。
ケチでも評判が悪くなるのはその恩恵にあずかるわずかな人。
しかし、それによって圧倒的多数の人民は課税を免れ、名君となる。
世の名君たるものみなケチであった。
そういえば、かの「暴れん坊将軍」吉宗もケチの典型的君主。
でも大岡越前守がいて、善政をした。
「亨保の改革」だったね。
この受け狙いの気前の良い教授っているね。
大プロジェクトで使い切れない大金をとり、「ほらほらほら」とばらまく。
悪いのになると、それを鼻先の人参のように使う。
多くの正直な研究者は研究費に困っているから、断腸の思いでその人参に食いつく、そしてーー。
そのようなプロジェクトリーダは尊敬されず、金の切れ目が縁の切れ目。
貧乏でいい。必要以上の研究費は人を腐らす。
第17章 冷酷と慈悲
誰だって憎まれたくない。慕われたい。マキャベリは憎しみと思慕は共存できないが、恐れと思慕は共存でき、それこそ君主のめざすべきものと書く。
ん。確かに。
権力を持つ者は確かに怖い。しかし、憎しみまでになるのは、人民のものを奪ったとき。
恐れられること、すなわち冷酷を避けては通れない。
大学の教授も締める時は締めねばならないってことだね。
研究・教育・管理運営社会活動において。
教授のことばは時に刃物だからね。自戒自戒。
第18章:誠意と狡猾
ここまで読むと、読む前に、「狡猾が勝る」と書いてあると予測。
やっぱり。しかし、奥深い。
それは目であるという。
獅子と狐にたとえる。真っ正直、しかし強いな獅子。狡猾、しかしオオカミには勝てない狐。
信義は誠実な獅子のもの、裏切りは狡猾な狐のもの。
信義を演じ、いざという時に狡猾になれという。
これはほとんど、動物物語のようだね。
しかし、演じても目は総てを語るので、結局、誠実は本物でなければならない、なりきれってことか?
これは俳優だね。俳優は、演ずる人物になりきり目つきすら本物となって名優となる。君主も同じだと。
獅子であり、狐であれと。
ここ、結構きついメッセージだね。悪く言うと2枚舌だからね。「目をごまかす」なんて普通はほとんど不可能。
だいだい「目でばれる」。
でもあるね。やむを得ざる理由により、お約束反故にさせていただきます、ごめん、という場面。
恋愛において、人をふる時などその典型だね。 その「悪」を積みかさね、積み重ねられ人は大人になる。
さみしいけどね。それを嫌な人がピーターパンなのだね。研究者にはピーターパンが多いね。
第19章:憎悪と軽蔑から如何に逃れるか。
最も気を使うべきはやはり人民。そして次に兵士。
この両者は相反するので、獅子と狐(誠意と狡猾)をうまく使えと。
君主への軽蔑は優柔不断と支離滅裂からくる。
これもリーダーにとっての一般則だね。
大学の管理から、研究グループから、一家の親父にいたるまであらゆる責任のある人にあてはまる。
熟慮の上の冷静で正確な判断。一貫した論理。
誰の方を向いた決断か?憎しみを最小に押さえ、かつ人民の圧倒的な信頼の包囲があれば兵士といえども牙を剥けられない。
さて、以上の資質をもてば、名君となるが、このあとは鍵となる策。
第20章:砦は作るべきか否か。
この章のパラドックスもおもしろい。城砦とは何ぞや?築くべきか否か?マキャベリの答えはどちらでも良い。それよりもっと大事なものは民衆の信頼であると断定。それがあれば「人民の砦」が君主を敵から守るという。
マキャベリの君主論が名君を生んだ理由が今や明らかである。彼は民衆を最も大事にせよ、と繰り返し繰り返し問いたのである。
これは大学教授の研究と教育に翻訳すると,「学生を最も大事にせよ」「砦の中に囲い込むな。信頼して自由にさせよ。囲い込みは学生不信と抑制の現れ。それは自らを滅ぼす」という明解なメッセージである。やはり「学生よ自由に羽ばたけ」はただしいのである。
さて、あと五章で終わりだ。もっか君主論にもめり込み中。