二四の瞳 悲しみのどん底から再び明日へ
二十四の瞳とは、十二人のつぶらな瞳のこと。昭和のはじめ、まだ時代が穏やかな頃、瀬戸内海に浮かぶ小豆島の岬の分教場で女性教師が初めて教えた子。否応なく時代の荒波に子供も自分も、離れ小島の小さな集落も巻き込まれていく。時が過ぎ穏やかになった時、瞳の数は12になり、2つは開くことのない瞳になっていた。
自らも夫と末の娘を失くす。そんなすごい話だとは全く理解していなかった。子供の頃、見たはずなのに。なぜか鮮やかな印象として記憶に残っていたのは、心が暖かさで最後は一杯になったことだけであった。変わらぬ穏やかな海と田畑。白黒映画なのに。
ひょうんなきっかけで見直した。
そこに朝ドラの「おちょやん」浪速千栄子が出ているではないか!
その場面は瞬間ではあるが、今見ると一層意味が深い。 今、戦前、前借金で奉公や色街に行かされたことが、韓国の売春婦(慰安婦)問題に絡んで問題とされている。 もう一つの朝ドラ再放送「澪つくし」にも出てくる。身売り、身受け。
この映画では、教え子の一人が貧しさゆえに小学高学年で学校をやめて高松のうどんやに奉公に行かされた。そのうどん屋のおかみが「おちょやん」こと浪速千栄子の役である。そのうどん屋に大石先生らが入りその子に遭遇するのである。そして、島から一緒に育った同級生の修学旅行。出て行けずに店を飛び出し--。
大きな時代の荒波が過ぎて、子らの瞳は半分になった。しかし、穏やかな時代になり、この奉公に出た子も大人。 皆、時代を生き抜き、新しい時代、前を向いて生きてゆく決意の姿で終わる。
終戦からほぼ十年が経とうとした時に作られた文部省特選の映画。 今、人はこれを見て反戦左翼映画と呼ぶのであろうか? そうだとしたら、その時代は丸ごと反戦左翼である。文部省も。 当たり前である。日本中で300万人が亡くなったのだから。この数だと、日本総人口9000万くらいだったから33人に一人。必ず身近、知り合いに戦争犠牲者がいるという勘定になる。
でも当時、日本中に暴力を伴い荒れ狂っていた声高な反戦左翼とは明らかに違う。もう人の死を見るのは嫌だ、という心からの叫びと悲しみの咽び泣きの先に見出す明日への希望を望む映画だったのである。
大きなショックと感動の映画であった。