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ルーツの旅(8) 二宮尊親(3)

2024-10-04 06:57:23 | 歴史
開拓からの凱旋帰還

尊親は、明治29年北海道開拓を決意し、明治30年、3月3日北海道、十勝の豊頃へ。明治33年まで、相馬から、総計114戸入植させ、陣頭に立ち寝食を忘れて指導に当たった。明治40年入植以来10年にして開拓の方向も定まり、各農家も経営の安定を見るに至ったので、福島県中村に戻った。

この間、東京から福島、仙台を通り青森に至る東北本線の鉄道も開通した。滝蔵のいたところから福島までは、中村街道に沿って約50km, 12里。歩いても12時間だった。北海道への移住経路も出来上がった時代だった。

尊親の率いた北海道開拓の成功談は、多くの相馬の人に夢を与えたに違いない。

家父長制で農家を引き継ぐのは長男のみ。
次男以下は、手に職をつけるか、男でのないところへ婿として行くか、手に職をつけるかしかない時代だ。
女子は、どこかへ嫁ぐか、貧しければ身を売られることも普通に行われていた時代だから、尚更だ。

開拓入植に際し、尊親は、開拓成功の10年後に返済できる借財を与え、成功の暁は自作農として土地もろとも授与す報徳仕法で成功させたのだから。生活の苦しさから博打や酒に走ることを許さず、毎夕その日の反省を交流させる厳しい仕法だったという。

この尊親率いる移住から凱旋帰還に至る時期は、滝蔵が八歳から十八歳に至る時だ。

狭い山間に喘ぐ、農家の次男坊にとって、開拓の成功の結果、1戸10町歩すなわち東京ドーム数個弱の田畑が手に入ることは想像もできないくらいの大きかったに違いない。

(つづく)

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