今日は私の亡き父の誕生日。
父は私が36の時、72歳で他界した。
急性白血病。発覚時あと3ヶ月と宣告。ちょうど3ヶ月目に息を引き取った。
私は遠くはなれた地にいたので、宣告から他界するまでたった一度しか会う事が出来なかった。
本人には告知されていなかったので、駆けつけた私の帰郷に父は病床で大喜び。
「どうした?急に来て。こっちで仕事か?ちょっと風邪をこじらせてね。今度の夏休みは孫を絶対連れてこい!」
といって、笑顔で送ってくれた。健康な父であり、それまで風邪すら引かない父であった。
私はこみ上げる涙をぐっとこらえ、笑顔で答えるしかなかった。
「お、わかった。んじゃ、また」
そして3ヶ月。危篤の知らせで駆けつけた時、もはや意識はなかった。
生命維持装置を静かにはずした。
それまで苦しそうであった父の顔は、みるみる穏やかとなり、そして静かに眠りについた。
雪国の凍てつく真冬の最中であった。
父の年齢が私の倍であったので、私は自分の人生が折り返し点であることを強烈に自覚させられた。
父は、家族にとってはちょっと我がままなほどの、世話好きの破天荒な田舎の教育者であった。
そして、父の死、そのものが強烈な最後の教育であった。
もはや、無心に褒めてくれる鏡はなく、自分で自分をしかり、ほめるしかない。
その時から、私は時間というものが極めて貴重なものであると悟った。
父は私が36の時、72歳で他界した。
急性白血病。発覚時あと3ヶ月と宣告。ちょうど3ヶ月目に息を引き取った。
私は遠くはなれた地にいたので、宣告から他界するまでたった一度しか会う事が出来なかった。
本人には告知されていなかったので、駆けつけた私の帰郷に父は病床で大喜び。
「どうした?急に来て。こっちで仕事か?ちょっと風邪をこじらせてね。今度の夏休みは孫を絶対連れてこい!」
といって、笑顔で送ってくれた。健康な父であり、それまで風邪すら引かない父であった。
私はこみ上げる涙をぐっとこらえ、笑顔で答えるしかなかった。
「お、わかった。んじゃ、また」
そして3ヶ月。危篤の知らせで駆けつけた時、もはや意識はなかった。
生命維持装置を静かにはずした。
それまで苦しそうであった父の顔は、みるみる穏やかとなり、そして静かに眠りについた。
雪国の凍てつく真冬の最中であった。
父の年齢が私の倍であったので、私は自分の人生が折り返し点であることを強烈に自覚させられた。
父は、家族にとってはちょっと我がままなほどの、世話好きの破天荒な田舎の教育者であった。
そして、父の死、そのものが強烈な最後の教育であった。
もはや、無心に褒めてくれる鏡はなく、自分で自分をしかり、ほめるしかない。
その時から、私は時間というものが極めて貴重なものであると悟った。