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プラトンとアリストテレス(3)科学

2007-02-08 15:19:27 | 科学
プラトンとアリストテレス(3)科学
先に恋愛の卑近な例から、プラトンとアリストテレス師弟の意見の違いについて記したが、本当に言いたかったのはそのことではない。分かりやすいかな、と思ったので。
世界は変化することが本質なのか、変化しないことが本質なのかとか、ごちゃごちゃとギリシャ哲学者は議論をつづけていた。
その変化しないものが、やがて2000年後に科学の成立とともに、様々な原理や法則、保存則として確立するのだね。

そこにはプラトンが「イディア」と呼んだ究極的に一般化され、抽象化されたもの、神とよんでもいいものを追い求めていたことが背景にあった、というのが一般の理解だね。プラトンは究極の理想主義者だった。だから哲人政治などという理想の王様をいだいた国と人が一番幸せなのだ、などという議論も展開した。「ヒットラー万歳!」「スターリン万歳!」「毛沢東万歳!」「将軍様万歳!」の原点はプラトンである、というわけである。おっとまた話がそれた。

さて話は科学。科学は観察・観測、理論、実験の歯車、そして論理としては帰納法と演繹法で前へ進む。弁証法というのも論理として重要である。プラトンは理論こそ究極と言ったに等しいのである。ピタゴラス派の影響が色濃いと言われるゆえんである。ピタゴラスって、あの直角三角形のピタゴラスの定理の彼である。このプラトンの理想に支えられて、ガリレオからニュートン力学の成立、そして20世紀に入り、相対性理論や量子力学の成立を経て、破竹の勢いで科学は前へ進んだ。物理帝国主義と言われるゆえんである。そのような究極の原理を求めていけば世界のすべてが分かるはずである、それは理論の体系として完成される、というのが自然科学における還元主義の立場という。

それに対してアリステレスの立場は違う。師に対して歯向かうのである。「ちょっと待った!理想理想などより現実を見たら?それが真実じゃないの?」なんてね。彼は生物をよくよく考えていたという。そりゃ、物理のようにはいかん、と思うはずである。いまでは生物は機械のような単純なもんじゃない、と誰しも思うね。複雑だ!と。アリストテレスの立場は現実主義者なのである。自然を知る上で観察観測こそ最も大事だ!という立場はアリストテレスに近い。経験主義者といってもよい。
このような立場の違いは歴史にいつでもある。17世紀で言えば合理のデカルトと経験のベーコン。
いまでは理論、観察観測どちらも大事だね、というのが一般的見方だが、好みは違う。
それを「俺が一番!」というから相互に反発を買う。

地球科学でも同じ。とんでもない複雑なものを扱っているのだから、その両者のコミュニケーションが最も大事である。いまだ理論化されない自然そのものを描き出す観察と観測。それを帰納して規則性を描き出す。それを既存の理論でなんとか説明する。そしてシミュレーション、実験で確かめる。それがほとんどの科学。クーンの言う同じパラダイムの中の通常科学だね。プレートテクトニクスは完全なパラダイムの転換であったが、いまは完璧に通常科学の時代。
しかし、本当は説明できないものこそ面白いはず。そのつぼを見つけ出す論理が弁証法。おっとまた話がそれた。
観察観測を「時代遅れの博物分類学!」といっちゃーおしまいだね。また、理論の微細部分の構築までめざす科学を古典ニュートン物理の単なる応用、それを偉そうに「物理帝国主義者め!」といっちゃーおしまいだね。相互に自然を描き出そうと一生懸命なのだからね。仲良く問答を繰り返せば、いいのだね。かならずブレークする。

その問答館がギリシャのアカデミアであった。ただ、はじまりのソクラテスは、あまりにも「どうして?どうして?」「それはおかしい、それはおかしい」といいすぎて殺されちゃったのだね。「あんた、うざい!」とかなんとかいわれて。

さ!問答だ!
いまの日本の大学その問答が足りないぞ!
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