オイラは 古谷誠一の妻の写真集を何冊も持っています。しかし3冊で買うのをやめました。切りがないです。
(しかし本棚を探したがChristine furuya-Gossler Memoires,1978-1985 Seiichi Furuya 光琳社出版1997年刊しか見つからなかった)
どうして古谷誠一は何冊も何冊も出版するのか・・・そして何度も何度も個展をするのか不思議に思っていました。
それは写真家の性か・・・それとも妻への哀悼か・・・惜別の儀式なのか・・・それとも法要か
そして表現手段を持つ人間は 自分の悲しみをも客観的に第三者の眼でながめています。
それは表現への奴隷になるのか?と疑問に感じていました。
その疑問を小林紀晴が解き明かしてくれるだろうと思い購入。
しかし写真集はどうして1冊しかないのか・・・もう一度探してみます。1冊しか買わなかった?
オイラの記憶は最近間違いが多い?