時間と空間を超え、古代ローマから現代日本へと“テレポーテーション”することで、斬新なテルマエ(浴場)を次々と建設し、皇帝ハドリアヌス帝(市村正親)から絶大な信頼を寄せられた浴場設計技師のルシウス(阿部寛)。
皇帝が平和路線に舵を切ったことから、戦いのない平和が訪れた一方で、コロッセオにおける闘技会は過激さを増し、人々は多くの血が流されるような戦いに熱狂するようになっていた。
傷ついたグラディエイター達の姿に心を痛めた皇帝は、ルシウスに対して彼らを癒すことができる浴場の建設を指示する。
激しい戦いの末に傷つき、疲れ果てたグラディエイター達を癒すようなテルマエとは、どのようなものがよいのか。
皇帝や大衆の憩いの場としてのテルマエを作ってきたルシウスにとっては難題であった。
実際にコロッセオのテルマエに入浴してみるものの、良いアイデアが浮かばない。
ルシウスが湯船に浸かりながら思い悩んでいたそのとき、再び奇跡が起きる。
またしても彼は、排水口へと吸い込まれたのだっ!
「アァーーっ!」
叫びながら湯の中から飛び出したルシウスの目に飛び込んできたのは、平たい顔をした太った男達。
しかも頭には、何故かズッキーニのようなものを乗せている。
ルシウスはまたしても時空を超えて、日本の浴場へと瞬間移動したのである。
しかもその浴場でくつろいでいたのは、力士の集団。
日本における「グラディエイター」とも言える彼らが、風呂で疲れを癒している場へと飛び込んだのである。
またしても現代日本の浴場からヒントを得ることができたルシウスは、ローマに戻るやいなや画期的なテルマエを建設して傷ついたグラディエイター達を癒すことに成功する。
かくして、風呂を活用した平和の推進を目指すハドリアヌス帝のルシウスに対する信頼は絶大なものとなり、新たに皇帝から、今で言うところのテーマパークのような一大温泉リゾートの建設を命じられる。
またも頭を悩ませたルシウスは、またも湯船の中で考え込んでいるうちに排水口へと吸い込まれ、現代日本の温泉施設へと飛び出すと、たまたま取材に来ていた、今は風呂専門雑誌のライターである真実(上戸彩)と再び出会うことに。
懐かしい“平たい顔族”の面々との再会を果たしたルシウスは、ほぼ自在に古代ローマと現代日本とを行き来し、理想の温泉郷の建設へと邁進するのだった。
一方、武力行使派の元老院は、平和主義を掲げる皇帝との対立を深めていた。
議員たちは、次期皇帝候補であるケイオニウス(北村一輝)を利用し、主導権を握って国政を思うままにしようと画策する…
ヤマザキマリの人気コミックを、阿部寛や市村正親ら濃い顔の俳優を集めてローマ人に仕立てて実写映画化し、配給会社も驚くほどの大ヒットを記録した「テルマエ・ロマエ」。
続編となる本作では、もはやルシウスは「テレポーテーション」の能力を身に付けたようで(?)、ほとんど自在に古代ローマと現代日本とを往来する(ただし“風呂・温泉限定”)。
その過程で、草津温泉や知る人ぞ知る秘湯、スパリゾート施設も含めた様々な温泉が登場して、さながら風呂のガイドブックのよう。
(上戸彩が風呂専門雑誌のライターであるのと歩調を合わせたかのような)
力士がキーとなるため、日本相撲協会が全面的に協力、琴欧州関がグラディエイター役で出演している。
前作ではイタリアの「チネチッタスタジオ」での撮影も話題となったが、今回はブルガリア・ロケを敢行し、ヨーロッパ最大級と言われる「ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオ」で実際にコロッセオ(一部)や街並みを再現。
また、再び現代日本にやって来たときのルシウスの言葉、すなわち阿部寛のセリフはローマ語で、日本語字幕が出る。
しかししばらくすると画面に「バイリンガル」の文字が出て、そんな“面倒くさい”状態は解消される。
(要は全て日本語での会話になるというワケで)
タイムスリップの場面では、このシリーズの特徴でもある人形を水に流す“特撮”も健在で、「ようそんなん許されたな!?」とビックリするような場面(「人形の扱い」というべきか)も登場。
前作を凌ぐ迫力と良い意味での“くだらなさ”で、映画としてスケールアップしている。
バカバカしさ全開のストーリー展開ながら、ルシウスと真実の恋の行方を織り込んでホロりとさせつつ、共に裸になってひとつの風呂でくつろげば、敵も味方もなく互いが穏やかに打ち解けていくというものではないかと考えさせられる。
日本の発達した“風呂文化”は、それこそが平和の象徴であり、平和を維持するツール、スキームとして、全世界に誇るべきもの、普及すべきものではなかろうか。
原発なんかよりスパリゾートを輸出する方が、よほど世界平和に貢献できる素晴らしい取り組みになることだろう…。
風呂と平和について思いを巡らせることのできる、ピースフルなSF(すごい風呂)娯楽大作!
「テルマエ・ロマエⅡ」
2014年/日本 監督:武内英樹
出演:阿部寛、上戸彩、北村一輝、市村正親、竹内力、宍戸開、笹野高史
皇帝が平和路線に舵を切ったことから、戦いのない平和が訪れた一方で、コロッセオにおける闘技会は過激さを増し、人々は多くの血が流されるような戦いに熱狂するようになっていた。
傷ついたグラディエイター達の姿に心を痛めた皇帝は、ルシウスに対して彼らを癒すことができる浴場の建設を指示する。
激しい戦いの末に傷つき、疲れ果てたグラディエイター達を癒すようなテルマエとは、どのようなものがよいのか。
皇帝や大衆の憩いの場としてのテルマエを作ってきたルシウスにとっては難題であった。
実際にコロッセオのテルマエに入浴してみるものの、良いアイデアが浮かばない。
ルシウスが湯船に浸かりながら思い悩んでいたそのとき、再び奇跡が起きる。
またしても彼は、排水口へと吸い込まれたのだっ!
「アァーーっ!」
叫びながら湯の中から飛び出したルシウスの目に飛び込んできたのは、平たい顔をした太った男達。
しかも頭には、何故かズッキーニのようなものを乗せている。
ルシウスはまたしても時空を超えて、日本の浴場へと瞬間移動したのである。
しかもその浴場でくつろいでいたのは、力士の集団。
日本における「グラディエイター」とも言える彼らが、風呂で疲れを癒している場へと飛び込んだのである。
またしても現代日本の浴場からヒントを得ることができたルシウスは、ローマに戻るやいなや画期的なテルマエを建設して傷ついたグラディエイター達を癒すことに成功する。
かくして、風呂を活用した平和の推進を目指すハドリアヌス帝のルシウスに対する信頼は絶大なものとなり、新たに皇帝から、今で言うところのテーマパークのような一大温泉リゾートの建設を命じられる。
またも頭を悩ませたルシウスは、またも湯船の中で考え込んでいるうちに排水口へと吸い込まれ、現代日本の温泉施設へと飛び出すと、たまたま取材に来ていた、今は風呂専門雑誌のライターである真実(上戸彩)と再び出会うことに。
懐かしい“平たい顔族”の面々との再会を果たしたルシウスは、ほぼ自在に古代ローマと現代日本とを行き来し、理想の温泉郷の建設へと邁進するのだった。
一方、武力行使派の元老院は、平和主義を掲げる皇帝との対立を深めていた。
議員たちは、次期皇帝候補であるケイオニウス(北村一輝)を利用し、主導権を握って国政を思うままにしようと画策する…
ヤマザキマリの人気コミックを、阿部寛や市村正親ら濃い顔の俳優を集めてローマ人に仕立てて実写映画化し、配給会社も驚くほどの大ヒットを記録した「テルマエ・ロマエ」。
続編となる本作では、もはやルシウスは「テレポーテーション」の能力を身に付けたようで(?)、ほとんど自在に古代ローマと現代日本とを往来する(ただし“風呂・温泉限定”)。
その過程で、草津温泉や知る人ぞ知る秘湯、スパリゾート施設も含めた様々な温泉が登場して、さながら風呂のガイドブックのよう。
(上戸彩が風呂専門雑誌のライターであるのと歩調を合わせたかのような)
力士がキーとなるため、日本相撲協会が全面的に協力、琴欧州関がグラディエイター役で出演している。
前作ではイタリアの「チネチッタスタジオ」での撮影も話題となったが、今回はブルガリア・ロケを敢行し、ヨーロッパ最大級と言われる「ヌ・ボヤナ・フィルム・スタジオ」で実際にコロッセオ(一部)や街並みを再現。
また、再び現代日本にやって来たときのルシウスの言葉、すなわち阿部寛のセリフはローマ語で、日本語字幕が出る。
しかししばらくすると画面に「バイリンガル」の文字が出て、そんな“面倒くさい”状態は解消される。
(要は全て日本語での会話になるというワケで)
タイムスリップの場面では、このシリーズの特徴でもある人形を水に流す“特撮”も健在で、「ようそんなん許されたな!?」とビックリするような場面(「人形の扱い」というべきか)も登場。
前作を凌ぐ迫力と良い意味での“くだらなさ”で、映画としてスケールアップしている。
バカバカしさ全開のストーリー展開ながら、ルシウスと真実の恋の行方を織り込んでホロりとさせつつ、共に裸になってひとつの風呂でくつろげば、敵も味方もなく互いが穏やかに打ち解けていくというものではないかと考えさせられる。
日本の発達した“風呂文化”は、それこそが平和の象徴であり、平和を維持するツール、スキームとして、全世界に誇るべきもの、普及すべきものではなかろうか。
原発なんかよりスパリゾートを輸出する方が、よほど世界平和に貢献できる素晴らしい取り組みになることだろう…。
風呂と平和について思いを巡らせることのできる、ピースフルなSF(すごい風呂)娯楽大作!
「テルマエ・ロマエⅡ」
2014年/日本 監督:武内英樹
出演:阿部寛、上戸彩、北村一輝、市村正親、竹内力、宍戸開、笹野高史