自分達で育てた牛を自分達で食肉加工して店舗で販売する。
今ではすっかり珍しくなった、牛肉の生産直販を代々生業としてきた一家の、ある1年を追ったドキュメンタリー。
当代で七代目となる精肉店「北出精肉店」。
大阪の貝塚にあり、江戸時代末頃から代々続いてきた老舗である。
店舗と自宅と牛舎が同じ敷地内で併設されており、牛舎で約2年かけて育てた牛を、近くにある貝塚市立の屠畜場で解体し、家族総出で食肉加工する。
肉の塊(「枝肉」)を屠畜場から店の作業場へと運び、「部分肉」として捌いて商品にしてショウケースに並べる。
作品を観る前には、屠畜場の場面では目を覆うことになるかと思ったが、逆に目を奪われてしまった。
食肉センターなどの大規模な加工場での分業処理が当たり前となっている今、飼育から屠畜までの一連の流れが映像に収められていることそれ自体も貴重な映像である。
「北出精肉店」は現在、先代の長男である新司さん夫妻、次男の昭さん夫妻、そして長女の澄子さんを中心に切り盛りされている。
皆、小さい頃から父親を手伝い、精肉の技術を身に付けてきたのだが、思い出話の中に、かつて家族が置かれていた厳しい環境が垣間見える。
家族が暮らす地域は、江戸時代から激しい差別を受けてきた。
被差別の歴史は昭和の時代になっても残り続け、それがために父親の静男さんは義務教育さえ満足に受けられないまま家業を継ぎ、苦労を重ねてきた。
その姿を見て育った兄弟は解放運動に取り組み、自分達と地域の暮らしを改善していったという。
語られる話の中で、泉州地方の象徴ともなっている「だんじり」に関する件には胸がつぶれた。
戦後まもなく、貧しい生活の中から皆で少しずつ持ち出して作っただんじりを、宮入りの際に他の町から「そんな汚いもんを入れるな!」と言われたのだとか。
その悔しさを胸に、どこの町よりも立派なだんじりを作ろうと、地域の人々は歯を食いしばって頑張ったという。
神事において、同じ地域の住民は皆、神の前に平等であるはず。
ハレの日であるだんじり祭で受けた屈辱に対する悔しさはいかばかりであっただろうか。
被差別の実態として象徴的で、あまりの不条理に涙がこみあげた。
自分達の仕事は、学校で先生が勉強を教えるのと同じように、自分達の仕事は何も特別なものではなく、ごく当たり前の「仕事」であるという新司さんの言葉が重い。
近年は北出家しか利用していなかった市立屠畜場は、2012年3月をもって閉鎖されることになった。
102年の歴史に幕を下ろすこととなった最期の日。
僧侶を招いて祈りを捧げる北出家の人々を代表して、新司さんは“お別れの言葉”を述べる。
「この世に生を受けながら、天寿を全うすべきところを人間の都合で命を捧げていただいた、多くの家畜達の冥福を祈るとともに、心から感謝します。」
本業の精肉以外に、解体した牛から取れる皮を利用して、太鼓作りを“新規事業”として取り組む次男の昭さん。
地域の小学校で太鼓作り教室にも取り組んでいるが、
「いろんな生き物に支えられて生きている人間の命の尊さを、子供達に分かってもらいたい」
という思いがある。
生き物の命を奪うことで自分達の生活が成り立っていたからこそ、命の尊さを誰よりも深く理解し、家畜達に対する尊崇の念は篤い。
「命」を大切にする人々の尊厳を踏みにじり、その命をないがしろにする差別の醜さに、やり場のない怒りを覚えた。
しかしながら本作は、被差別の歴史を熱く語り、声高に差別を批難・糾弾して、差別からの解放を訴えるアジテーションを描くものではない。
家族仲良く平和に暮らす様子や、屠畜の際には一家総出で当たる様を、ごく自然な姿としてカメラに収めているに過ぎない。
被差別の歴史も北出家の日常も“あるがまま”に映し出すことで、観る者に“その先”を考える機会を提供する、秀逸なドキュメンタリー。
「ある精肉店のはなし」
2013年/日本 監督 纐纈あや
今ではすっかり珍しくなった、牛肉の生産直販を代々生業としてきた一家の、ある1年を追ったドキュメンタリー。
当代で七代目となる精肉店「北出精肉店」。
大阪の貝塚にあり、江戸時代末頃から代々続いてきた老舗である。
店舗と自宅と牛舎が同じ敷地内で併設されており、牛舎で約2年かけて育てた牛を、近くにある貝塚市立の屠畜場で解体し、家族総出で食肉加工する。
肉の塊(「枝肉」)を屠畜場から店の作業場へと運び、「部分肉」として捌いて商品にしてショウケースに並べる。
作品を観る前には、屠畜場の場面では目を覆うことになるかと思ったが、逆に目を奪われてしまった。
食肉センターなどの大規模な加工場での分業処理が当たり前となっている今、飼育から屠畜までの一連の流れが映像に収められていることそれ自体も貴重な映像である。
「北出精肉店」は現在、先代の長男である新司さん夫妻、次男の昭さん夫妻、そして長女の澄子さんを中心に切り盛りされている。
皆、小さい頃から父親を手伝い、精肉の技術を身に付けてきたのだが、思い出話の中に、かつて家族が置かれていた厳しい環境が垣間見える。
家族が暮らす地域は、江戸時代から激しい差別を受けてきた。
被差別の歴史は昭和の時代になっても残り続け、それがために父親の静男さんは義務教育さえ満足に受けられないまま家業を継ぎ、苦労を重ねてきた。
その姿を見て育った兄弟は解放運動に取り組み、自分達と地域の暮らしを改善していったという。
語られる話の中で、泉州地方の象徴ともなっている「だんじり」に関する件には胸がつぶれた。
戦後まもなく、貧しい生活の中から皆で少しずつ持ち出して作っただんじりを、宮入りの際に他の町から「そんな汚いもんを入れるな!」と言われたのだとか。
その悔しさを胸に、どこの町よりも立派なだんじりを作ろうと、地域の人々は歯を食いしばって頑張ったという。
神事において、同じ地域の住民は皆、神の前に平等であるはず。
ハレの日であるだんじり祭で受けた屈辱に対する悔しさはいかばかりであっただろうか。
被差別の実態として象徴的で、あまりの不条理に涙がこみあげた。
自分達の仕事は、学校で先生が勉強を教えるのと同じように、自分達の仕事は何も特別なものではなく、ごく当たり前の「仕事」であるという新司さんの言葉が重い。
近年は北出家しか利用していなかった市立屠畜場は、2012年3月をもって閉鎖されることになった。
102年の歴史に幕を下ろすこととなった最期の日。
僧侶を招いて祈りを捧げる北出家の人々を代表して、新司さんは“お別れの言葉”を述べる。
「この世に生を受けながら、天寿を全うすべきところを人間の都合で命を捧げていただいた、多くの家畜達の冥福を祈るとともに、心から感謝します。」
本業の精肉以外に、解体した牛から取れる皮を利用して、太鼓作りを“新規事業”として取り組む次男の昭さん。
地域の小学校で太鼓作り教室にも取り組んでいるが、
「いろんな生き物に支えられて生きている人間の命の尊さを、子供達に分かってもらいたい」
という思いがある。
生き物の命を奪うことで自分達の生活が成り立っていたからこそ、命の尊さを誰よりも深く理解し、家畜達に対する尊崇の念は篤い。
「命」を大切にする人々の尊厳を踏みにじり、その命をないがしろにする差別の醜さに、やり場のない怒りを覚えた。
しかしながら本作は、被差別の歴史を熱く語り、声高に差別を批難・糾弾して、差別からの解放を訴えるアジテーションを描くものではない。
家族仲良く平和に暮らす様子や、屠畜の際には一家総出で当たる様を、ごく自然な姿としてカメラに収めているに過ぎない。
被差別の歴史も北出家の日常も“あるがまま”に映し出すことで、観る者に“その先”を考える機会を提供する、秀逸なドキュメンタリー。
「ある精肉店のはなし」
2013年/日本 監督 纐纈あや