面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

今日は勝ったようで

2006年06月29日 | 野球
残業していると、タイガース公式ファンクラブからのメールが携帯に来た。
ということは、勝ったということを意味する。

遅くに帰宅すると、報道ステーションのスポーツコーナーはとっくに終わっていた。
それからはスポーツ番組にことごとく嫌われ、今日の広島戦のダイジェストは見られずじまい。
携帯のタイガース公式HPのメニュー「試合速報」で経過をたどるしかない。
どうやら延長かと思われた中、9回表に鳥谷が決勝ホームランをかっ飛ばしたらしい。
それもレフトスタンドへの流し打ち。

左打者のレフトスタンドへのホームランで一番記憶に残っているのは、年間48本のホームランを打って、プロ入り後初めてのタイトルとなる本塁打王を獲得した年(1979年)の掛布雅之である。
引っ張ってよし、流してよし。
どの方向へもホームランが打てたそのシーズンの掛布を見て、一体これから何本のホームランを打つのだろう!と心が躍ったものだが、翌年にはケガでシーズンの大半を棒に振っ
てしまい、ガッカリした。
彼が本塁打王としてタイガースの主砲に復活するのは、3年後の82年のことだった。

鳥谷は左へ流し打つのが非常に上手い。
プロ入り当初は、力不足で右へ引っ張れないだけにしか見えなかったのが、今シーズンは力強いスイングで左へしっかりと流し打っている。
そのまま大きく育ってもらいたいものである。

しかし、鳥谷は4番ではなく、3番タイプだ。
4番の素質は濱中にあるのだが…。

アリアス復帰!?

2006年06月28日 | 野球
どうもタイガースファンクラブ公式サイトから、試合結果のメールが来ないと思っていたら、2対2のドローとは。
まあ、相手は川上憲伸に並ぶセ・リーグのエース黒田。
しかも9回2死から同点に追いついての引き分け。
(このときは投手は永川であるが)
よくぞくらいついてドローで切り抜けた!というべきであろう。
おかげで中日が勝手にコケたので、半ゲーム縮まったし。

さて、スポーツ報知のWebに載っていた、アリアスの讀賣入団による日本球界復帰。
大筋、契約が合意に達したとか。

小久保もヨシノブもいない中、“珍プレー”助っ人ディロンに代えて、申し分ない補強と言えよう。
しかし、今年34歳の彼、パワーは相変らずなのか?

結構、穴も大きいバッターであるので、タイガース投手陣は容赦なく厳しく攻めて、キッチリ抑えきってもらわなねば。
古巣ロッテ相手にボコボコ打ちまくった讀賣の李の二の舞だけは避けねばならない。
元同僚とは言え、もはや憎っくき讀賣の主力打者、当然情けは無用である。
皆、心して無安打に抑えきってもらいたい。
(なんぼほどエラそうな記事や!?)

それにしても、アリアスの応援に際して、ファンは声をそろえて
「レッツゴー、ジョージ!」
と言っていたのを、どうしても
「レッツゴー・ショージ!」
と聞いてしまい、レッツゴー三匹か!と一人ツッコんでいたのは自分だけなんだろうか!?

セ・リーグナンバーワンのショート

2006年06月27日 | 野球
月曜は基本的に「移動日」のため、プロ野球は試合が無い。
一時パ・リーグが「マンデー・パリーグ」と銘打って、セ・リーグの試合が無いということで観客増員を当てこんで試合をやっていたが、あまり効果が無かったようでもとに戻っている。

さて、日曜の試合は久しぶりにイイ試合であったのは既に書いたとおりであるが、中でもシーツの貢献度の高さを改めて認識した試合であった。
6回にツーベースを放って同点の足がかりを作ったのは当然大きな働きであったが、圧巻だったのは8回表の守備である。

ウィリアムスが先頭の米野に死球を与え、「こらヤバいな…」と思ったのも束の間、続く代打福川の痛烈なファーストゴロをサラリとさばいてゲッツーに!
この、難しい打球をサラリと簡単にさばいてしまうところこそが、正にプロの技である。
匠の味とでも言うべきか。
ナイター中継していたサンテレビで解説していた木戸も唸っていたが、シーツの守備は天下一品である。
広島時代はセ・リーグナンバーワンのショートの呼び声が高い彼が、ファーストでもゴロさばきが抜群なのは当然というには、あまりにも当り前。
しかし、ファーストにシーツがいるということは、チームに与える影響は、単にファーストへの打球処理だけにとどまらない。

彼がファーストにいるおかげで、タイガース内野陣はどれだけ助けられていることか。
他球団に比べて格段に野手の一塁暴投が少ないはず。
ワンバウンド送球も難なくすくい取り、高かったり横へそれるような送球も、長身プラス長い手足という、正にファーストにはうってつけの体格を存分に活かしてつかみ取る。
大昔、讀賣の一塁を守っていた「打撃の神様」川上哲治は、他の野手が暴投しようものなら平気で見逃してエラーをつけたという。
まあ、エラーが失点につながっても「ワシが打って返してやる!」という根性があったからできたことでもあろうが、若手野手はビビったことだろう。
今の時代では、若手つぶしでしかない所業である。

もう一つ、シーツが日曜の試合でウィリアムスを助けた場面は、この打球や送球の処理だけではない。
センター前に抜けそうな打球に必死で追いついた藤本からの山なりの送球を、
「ハイ、ラクショーデ、アウトネー!」
と一塁塁審にPRするかの如き処理で、サラリとダッグアウトへ引き上げたところがミソである。
テレビで観ていてわかるくらい、足が離れるのが早かったのだが、一塁塁審はシーツにつられるように「アウト!」のコール。
ヤクルトの一塁コーチが抗議していたが時既に遅し。

バッターが楽々アウトのときは、送球を受け取ったか取っていないか、くらいのタイミングで早めに足を離す、というのがプロ野球における一塁手全般のクセなのである。
(一度、注意して見てみることをお勧めする)
これを逆手に取ったようなプレーを見せたのが、あの場面のシーツであった。
そら審判もつられるってもんだ。

これと対照的なのが、ここ最近の鳥谷である。
交流戦の途中くらいから、どうも守備に精彩を欠いている。
たまにビックリするようなファインプレーもあるが、正面の当たりをポロッとやるシーンが目立っていて、気になって仕方がない。
エラーのシーンではことごとく、打球を待って処理しようとして、言い換えれば、大事に、慎重にプレーしようとしすぎて、かえって失敗している。
今年、バッティングは好調を維持できているだけに、守備でももっと攻撃的に、アグレッシブに、どんどん前に突っ込んでいくプレーを期待したい。
彼には、もっと上を目指したプレーを心がけてほしい。
セ・リーグのナンバーワンショートを狙える素質を持っているのだから。

「幽霊飴」

2006年06月26日 | 落語
この噺、実は口演を聞いたことも観たこともない。
学生の頃読んだ「米朝ばなし 上方落語地図」(講談社文庫)で初めて知った噺である。
今回は、そこからの抜粋をもとにしてのご案内。

京都に珍皇寺という寺があり、その門前通りを“六道の辻”という。
その辺りに一軒の飴屋があった。
ある夜、店の者が寝ていると、表の戸を叩く音がする。
出てみると、やせた青白い女が立っていて、
「えらい夜分に申し訳ございませんが、飴を一つ売ってもらえまへんやろか。」
と、一文銭を出した。
店は閉まってはいるものの、追い返すのは何とも気の毒。
「はい、どうぞ。」
「おおきに。すんまへん。」
と女はどこへともなく去っていった。
次の日も、また次の日も、夜遅く寝ようとすると表の戸を叩いてその女が一文銭を持って飴を一つだけ買いに来る。
「どうもあれはタダもんやないで。なんや気色悪いな…」
と店の者は言い合っているが、女は毎晩やって来る。
そんなことが6日続いた夜、飴屋の主人が
「明日も銭持ってきたら、あれは人間やが、もし明日銭が無いようやったら、あの女は人間やないで。」
「ちょ、ちょっと旦さん、怖いこと言わんといとくなはれ。そら、どう言うこってすか?」
「人間、死ぬ時には『六道銭』と言うて、三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れるんや。ワシの見るところ、どうやらそれを持って来てるんやないかと思うのや。そやさかい、七文、八文と銭が続いたら、あれは人間や、ちゅうことや。」
次の日の夜中、また表の戸を叩く音が。
「だ、旦さん!来よりましたで。」
「よし。ワシが出たるさかい。」
戸を開けてみると、そこには例の女が立っていたのだが、
「実は今日は、おあしがございませんのですけど…飴を一つ、譲っていただくわけにはまいりまへんやろか。」
「よろしおます。こんな夜更けに、毎晩飴を買いにくるやなんて、なんぞ事情がおありでっしゃろ。…さぁ、一つあげますよってに、どうぞ持って帰りなはれ。」
「すんまへん。えらいおおきに、ありがとうございます。おおきに…」
銭なしで飴を与えた飴屋、そっと女の後をつけて行く。
女は、二年坂、三年坂を越えて、高台寺(こうだいじ)の墓場へと入って行った。
更に後をつけていくと、一つの塔婆の前に立ったとき、女の姿はかき消すように消えてしまった。
そこは、新仏の墓であった。
墓を掘ってみると、お腹に子供を宿したまま死んだ女の墓。
墓の中で子供が生まれたため、母親の一念で飴を買うてきて、子供を育てていたのである。
生きていた子供を飴屋が引き取って育て、のちにこれが高台寺のお坊さんになった。
死んでもなお、子供を思う母親の一念で、一文銭を持って飴を買うてきて、子供を大事に育てていた。
それもそのはず、場所がコオダイジ。
※子を大事=高台寺

テレビアニメの「まんがにっぽん昔話」に出てきそうな噺。
この飴屋が「子育て幽霊飴」という看板を出したが、今もその看板が残っているとか。
このオチを付けて落語に仕立てたのが、引退後高台寺境内に風雅な茶店を営み、余生を風流三昧に暮らした桂文の助である。
そしてその茶店が京都で有名な甘味処「文の助茶屋」。

ちょっと怪談風の噺であるが、子供を思う母親の愛情が溢れる温かい物語ながら、アホみたいなオチが何となく気を引く、好きな噺の一つ。
紫亭京太郎氏の落語仲間である道楽亭祐鶴氏も少々気に入っていて、二人して
「エエ噺やんな、これ」
と言いつつ、いつ高座にかけるかなどという会話をしていたのも今は昔。

勝利のカタチ

2006年06月25日 | 野球
交流戦も終了し、再びセ・リーグ同士の対戦に戻って、ヤクルトを迎えての甲子園3連戦。
なんぼ交流戦で調子がよかったとはいえ、ヤクルトを迎えて連敗するとは、よもや思わなかったなかでの第3戦。
デーゲームでは首位中日が讀賣を降し、負けられない大事な一戦となっていた。

そんな重要な試合を託されたエース井川。
しかし今日の井川は良かった!
こんなイイ井川を見たのは、いつ以来だろう?
先制点をやってしまったところは「またか!」と思ったが、その後は尻上がりに調子をあげ、最少失点でしのいでいく。
悪いときは投げ終わったら体が三塁方向へ流れていくというクセが出るが、今日はそれも見られず、安定したピッチングを続けた。

しかし好投する井川を助けられないのが今の打線。
安打数はヤクルトを上回っているにも関わらず、どうにも点が入る気配がない。
まさか1対0でいくのかよ!?とエエかげん怒りが湧いてきた6回裏、一死後シーツが二塁打で出た。
センター前に飛んだ打球に青木が突っ込んではじいた、ラッキーな当たり。
こういうところでたたみ込んでいかないと、絶対に逆転は無理。
すると続く金本が、いきなりピンチを迎えたピッチャー・石川の動揺を見透かすように、初球を見事にセンター前へ弾き返した!
これぞ四番の仕事である。
こうなるとやはり勢いがついて、一気に3点奪取して逆転。

そしてこの逆転後の7回。
井川はピシャリと3者凡退で抑え込み、勝負の鉄則を死守した。
これならエースと呼べるピッチングである。
そして、8回にウィリアムス、9回に新守護神・藤川を投入して逃げ切った!
これからの必勝パターンでの勝利。

エースが投げて四番が打って新ストッパーが最後を締める。
今回もまた同一ゲーム3連敗を阻止したが、北陸遠征に向けて新しい「勝利のカタチ」勝てたのは、なによりのことであった。

でも正味、「ああ、やれやれ…」であった。。

「大仏の目」

2006年06月24日 | 落語
確か米朝師が「鹿政談」のマクラでやっていた小噺。

有名な奈良の大仏さんの目が、内側に落ち込んだことがある。
近々法要があるというのに、大仏さんの目玉が、中へぶらんと垂れ下がったまま。
下から見るとちょうど目の部分に穴が空いたままになっていて、なんともお気の毒な…。
「えらいこっちゃ。足場を組んだりしてたら、2日や3日で修理でけん。どないしたもんかいな。」
大騒ぎになった。
そこへ、子供を一人連れた職人がやって来た。
「わしが10両で請けおうてやる。」
「10両!そやけど、早よできるんやったら頼むわ。で、どれくらい日にちがかかる?」
「何日もいるかいな。ほんのいっとき(一刻)もあったら十分や。」
「ほんまかいな?そやかて足場組んで…」
「足場も何もいらん。10両くれるんやったら今すぐとりかかるが、どないや?」
「わかった。すぐに直してもらえるんやったら安いもんや。今からやってくれ!」
10両受け取ると男は、先に鉤の付いた縄を取り出して、ぐるぐるぐるぐる振り回したかと思うとツーッ!と投げる。
すると、縄の先についた鉤が大仏さんの目の縁にガッと引っかかった。
縄のこちら側の端を、かたわらの柱にしっかり括りつけると、子供に向かって
「行け!」
と合図した。
子供は、スルスルッと縄を伝って、簡単に大仏さんの目にたどりつく。
大仏さんの胎内には、年中足場が組んであるんやそうで、子供は目の中へ入ると、その足場を頼りに目の縁にかかっていた鉤をポーンと外した。
目玉を内側から起こしてグッとはめ込み、カンカンカンと金槌で縁を叩いて、目玉の修理ができあがった。
ところが、子供は中に閉じ込められてしもた。
「えらいこっちゃがな!どないするんや!」
と皆が見守っていると、子供は鼻の穴からすべり出てきた。
「おぉ!かしこい子ぉやなぁ。」
と皆、感心しきり。
『目から鼻へ抜ける』というのは、これから始まった。

ホンマか!?まあ落語の世界の話。
どっちでもよろしかろうが、事実をご存知の方はご一報を。
紫亭京太郎氏はまだやったことのない噺であるが、バカバカしくも落語らしくて、ちょっと気に入ってたりする。
でも宴席でやっても、大きな笑いは取れんやろなぁ。

「健康診断」

2006年06月21日 | 落語
これも題名はこれでエエのかな?と思いながらの小噺。

ある男が体調を崩して病院へ。
診察のあと、医者がアドバイスをくれる。
「ええか、君。これからワシの言うことをきいて、1ヶ月後にまた来なさい。1ヶ月ちゃんとしてたら良うなるから。まず、ご飯は腹八分目にするように。君は大食いやということやけど、いつも腹いっぱい食べるのは良うない。必ず腹八分目くらいでおいとくように。それから、酒も日に2合まで。酒好きやということやけど、飲みすぎはいかん。飲んでも2合まででおいとくように。それとタバコは日に3本まで。ええか、ワシの言うたことを守って1ヶ月したらまた見せに来なさい。」
男もいっしょうけんめい医者の言うことを守っていると、体調が良くなってきた。
1ヵ月後、また医者のところへ行って、
「先生!おかげさんで、すっくりと良うなりました。ありがとうございました。」
「そうか、それは良かった。どうや、ワシの言うこと守るのは辛かったか?」
「へぇ、辛かったでっけど、1ヶ月キッチリ守らなあかんと思て、必死でやりました。」
「そうかそうか。それで何が一番辛かった?君、大食いや言うてたからな。ご飯を腹八分目というのは辛かったか。」
「いや、まあ始めのうちはしんどかったでっけど、そのうち慣れてきて大丈夫でしたわ。」
「そうか。ほな酒を日に2合まで、ちゅうのは辛かったか?君、酒好きや言うてたさかいにな。」
「いや、それもまあ、ガマンでけるようになりましたけど、タバコ日に3本ちゅうのが一番辛かったですわ。」
「ほぉ、そんなに辛かったか?」
「へぇ、なんせ普段吸わんもんで。」

紫亭京太郎氏は会社の宴席でたまにかけてきているが、どうもハズした記憶がない。
よく考えると結構ウケているネタである。
まあ氏もこのネタは好きなのだが。
艶笑小噺集の中で、笑福亭松喬師が演じて面白かったので、持ちネタとしたものである。
(松喬師のプレイとは、もちろん相違はあるが)

「花よりもなほ」

2006年06月18日 | 映画
主人公の仇討ちの映画である。
しかしこの主人公、武士であるにも関わらず、剣の腕が全くイケてない。
何せ近所に住む一般人に、コテンパンにやられるほどである。

時は元禄15年。
父の仇を討つため、信州松本から江戸に出てきた青木宗左衛門(岡田准一)は、今にも朽ち果てそうなボロ長屋で、実家からの仕送りだけを頼りに貧乏生活を送りながら、仇敵である金沢十兵衛(浅野忠信)の所在を探っていた。
故郷を離れて3年。
実家も家計が苦しいらしく、仕送りの額も減ったため、宗左は近所の子どもたちを集めて寺子屋を開いて生計の足しにした。

宗左は、長屋で“庶民”の中で暮らすうち、仇討ちだけが人生か!?という思いにとらわれていく。
それは、ほのかに思いを寄せている、向かいに住む未亡人のおさえ(宮沢りえ)の言葉によって、より強いものとなる。
「お父上の人生が、宗左さんに残したものが『憎しみ』だけだったとしたら、寂しすぎます」
更に、ひょんなことからおさえもまた仇を持つ身の上であることを知り、ますます仇討ちに対する思いが揺らいでいく。
しかし、父の仇討ちは、親族一門の悲願でもあり、今は弟が守る父親から受け継がれた剣術道場の再興にもつながるもの。
今更後には引けない。
仇である金沢十兵衛の居場所もつきとめ、後は討つのみ。
そして遂に、宗左は決心した…。

時代劇によくあるような“ヒーロー”は存在しない。
主人公も軟弱そのもの。
この中には決して強者は出てこない。
でも、皆その生命力は強い。

ボロ長屋の風景と、したたかな庶民の生活。
その中で、ちょっと異彩を放つ武士の存在。
作品全体に江戸落語のテイストが漂っている。
(落語「花見の仇討ち」をモチーフにしたと思える部分もある)
片肘張らない、異色の“癒し系時代劇”。

花よりもなほ
2006年/日本  監督:是枝裕和
出演:岡田准一、宮沢りえ、古田新太、國村準、中村嘉葎雄、浅野忠信、原田芳雄

無題?「ねずみ」

2006年06月17日 | 落語
ものすごく簡単で、比較的よく演じられる…といっても米朝師でしか聞いたことはないのだが、オーソドックスなネタながら、正式なタイトルがわからない。
「ねずみ」というタイトルでは、長編の噺があるので違う気もするのだが…。

ある男がねずみをつかまえて友達に自慢している。
「おい、どや、このねずみ。大きいやろ?」
「えぇ?どれ。へっ、何言うとんねん。それのどこが大きいねん。もっと大きいのん、つかまえたことあるわい。小さい小さい。」
「アホぬかせ!これのどこが小さいねん!大きいやろが!」
「いやいや、小さい小さい。」
「いや、大きいやろが!」
「いいや、小さいわい。」
「大きいわい!」
「小さいわい!」
「大きい!」「小さい!」「大きい!」「小さい!」
言うてますと、二人の間でねずみが「チュウ」。

紫亭京太郎氏がよく宴席の座興で披露していたが、スベッたためしがない。
また、彼の後輩女史も職場の宴会で披露してウケていたことを、自身の結婚披露宴で友人から暴露されていた。
(落研出身者の宿命か!?)

ことほど左様に、まずハズすことのないおいしいネタであるにも関わらず、先般職場の宴席の座興で披露したところ、ダダスベリにスベッてしまった…。

やはり芸道は厳しい。
「芸の道は一日にしてならず」ぢゃ。
日々精進しなければならない。

無題「水たまり」

2006年06月16日 | 落語
タイトルがあったか無かったか。
タイトルが付く程の長さも無い、短い小噺を。

大雨が3日降り続き、近所に大きな水たまりができた。
そばを通りかかると釣りをしている男がいる。
確かにちょっとした池くらいの大きさだが、こないだまでただの空き地だったところに水がたまっただけのこと。
魚がいるとも思えず、釣り人に声をかける。
「もし、大雨でできた水たまりでっけど、何ぞ釣れまんのか?」
「へぇ、あんたで3人目。」