背景に流れる重いテーマとうらはらの、底抜けに明るい画面が、かえって悲しみを誘い、涙をこらえること度々。
同じミュージカルでも、「レント」は現代のニューヨークの若者が抱える様々な問題がベースとなっていた。
エイズ、ゲイ、ドラッグなどの重いテーマをハードロックで包んだ腹にズシンとくる重量感のある構成で、だからこそ「Seasons Of Love」が琴線に触れて涙を誘った。
「ヘアスプレー」のベースになるのは黒人差別問題。
ヘアスプレー企業が贈る、ボルチモアのローカルTV番組「コニー・コリンズ・ショー」への出演を夢見るダンス大好き少女トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)。
ダンスもおしゃれも申し分のないセンスを持つ彼女が、番組レギュラーのオーディションで唯一障害となるのが、そのBIGサイズの体格。
しかし、持ち前の明るいキャラクターと抜群のダンスによって、見事レギュラーの座を勝ち取る。
そんな彼女の前に立ちふさがる、スリム美人母娘。
しかもこの母親(ミシェル・ファイファー)は番組のプロデューサーでもあり、あの手この手でトレーシーを追い落とそうと画策する…
映画に登場する番組には「ニグロデー」なる日が別枠で設けられており、普段の番組には白人しか出てこない。
つまり、白人と黒人は一緒の場にいられないのである。
それは街中でも、そこかしこに設定されていて、例えば生徒の通学路さえ、黒人用のルートが設定されているのには驚いた。
もちろん、この映画は黒人差別がまだ色濃く残っていた時代の設定であり、今ではここまで露骨なこともないのかもしれない。
(あるかもしれない…とも思うが)
ふと、昔読売巨人軍に在籍していたウォーレン・クロマティーの言葉を思い出した。
彼はあるインタビューで、日本に来て一番良かったことは、「黒人だから」という差別を受けずに済む、ということだと言っていた。
「外国人選手」として一括りにされて日本人とは“区別”されるものの、黒人であるというそのことについて差別を受けることがないという点に、日本における居心地の良さを肌で感じていたのである。
アメリカの黒人差別とは、それほど根深いものなのかと思ったものである。
ヘビー級の社会問題を背景にし、しっかりとその理不尽さに憤りを覚えるような描き方をしていても、「レント」のような、ある種の閉塞感と重苦しさを感じない。
差別主義者の傲慢さと愚かさを、抜群の演技でデフォルメして描いてみせるミシェル・ファイファーのコメディエンヌとしての才能や、トレーシーの母親役を演じるジョン・トラボルタの存在感、実はミュージカル出身のクリストファー・ウォーケン(本作で初めて知った!)の達者なダンスも、この作品を明るいものに仕立てるのに大きな役割を担っている。
しかし、本作が持つ明るさと幸福感は、全編を通して物語をリードするニッキー・ブロンスキーのキャラクターに負うもの。
もちろん、そういうキャラクター設定ではあるが、この稀有なセンスを持った新人が演じるトレーシーは、彼女をオーディションで発掘したときは衝撃を受けたと監督も言うとおり、ベストマッチの配役である。
元気が出る作品というのは、やはりミュージカルの基本中の基本、王道であるというのが持論であるが、本作は正にその王道中の王道、覇道を行く秀作。
「
ヘアスプレー」
2006年/アメリカ 監督・振付・製作総指揮:アダム・シャンクマン
出演:ニッキー・ブロンスキー、ジョン・トラボルタ、ミシェル・ファイファー、クリストファー・ウォーケン、クイーン・ラティファ、ザック・エフロン