地方紙 「 ばん茶せん茶 」 欄に従兄M太さんの記事が掲載されたそうで
今回も 【 花時計 】 番外編として ありがたく転載いたします。
祖母は話し好きで物知りな人だった。
私が子どもの頃は昔話や自分の体験談を炉端でよく話して聞かせてくれた。
1896 ( 明治29 ) 年、旧暦の端午の節句に襲来した
明治三陸大津波の話もその一つで、私の脳裏に焼き付いている。
当地では昔も今も、旧暦端午の節句の前日に
正月の年取りと同じようにお祝いをする風習がある。
無病息災を願い、ショウブやヨモギを神棚や仏壇、玄関など
家の要所にお供えし、風呂にも入れる。 ごちそうも出される。
祖母の話では、明治三陸大津波は、そのお祝いの最中に襲来したそうだ。
当時は海の近い前須賀に住居を構えていた。
祖母の姉夫婦が遊びに来ていて、祖母の長男をかわいがっていたところ
地震が発生。 海を見に行くと津波の気配はなく
またお祝いを続けていたところに大津波が襲来したそうである。
祖母夫婦や姉夫婦は大津波で甚大な被害を受けた。
祖母夫婦は大けがをしたが何とか助かった。
姉夫婦は祖母の長男を抱いて被災し、およそ10日後に亡くなったという。
船越湾と山田湾は大津波の海水でつながり、多数の人命が失われた。
行方不明者も多く、船や漁業施設、田畑などに未曾有の被害を受けた。
被災後は掘っ立て小屋を建てて生活し、大変だったそうだ。
区長をしていた祖父は、県に陳情に行き、今私たちが住んでいる場所を選定し
前須賀から集団移住した。 おかげで明治以来、大津波には被災していない。
大きな決断をしてくれた祖父たちと、風化させないよう教えてくれた祖母の
“ 防災伝承教育 ” に感謝し、お礼を申し上げたい。