先日の銀行帰り~ お昼時だったので外食することにし
初めての中華やさんに入ってみた。
無類な中華丼好きには何を食べよかな? なんて迷いなし!
次が有るか無いかを決めるベースとなる味試し。
美味しかったので今度はレディースランチのどれかを食よかな。
先日の銀行帰り~ お昼時だったので外食することにし
初めての中華やさんに入ってみた。
無類な中華丼好きには何を食べよかな? なんて迷いなし!
次が有るか無いかを決めるベースとなる味試し。
美味しかったので今度はレディースランチのどれかを食よかな。
蒸しタオルで全身を覆われ沈黙比べをさせられたような暑さは
ここへきて~ なんだか機嫌とりするような風に変わってきた。
今月中頃~ 通帳記帳に行ったところ数台並ぶATMなのに
選りによってインク切れにあたってしまった! これは珍しい!
そして先週窓口に再記帳を依頼し~ 結構待たされた。
節電に一役かった団扇もイスの背もたれポケットで一休み。
通帳からはみ出すほど並ぶゼロに戸惑ったのならともかく。。。
8月の記帳は出来るが7月の記帳に時間がかかると言う!
ふところ寂しい秋風のような通帳は後日受取ることにした。
大好きないつものこれが届き~ 益々秋を感じるコンニチである!
大震災により開催が危ぶまれたという大曲の全国花火競技会。
被災地や被災者の皆さまに花火を通じ希望と笑顔を届けられたらと
そんな地元の強い意向で今年も実施された一昨日。
カテゴリー通信でおなじみのsusukuniさんご夫妻から事前に
大曲に行くんだ♪って話を聞いていたこともあり~
生中継を見逃すこともなく、灯りを消し音量をあげTV前の
桟敷席で光と音の競演をドド~ンと心に響かせてもらった。
観客側から吹く風は10年に一度あるかないかの花火日和。
好条件のうちに花火師さん達も涙するというフィナーレとなった。
観客席からお礼の懐中電灯やペンライトが揺れ輝く。
花火師さん達はそれに応えオレンジの灯りでエール交換。
混雑回避に帰りを急ぎバス駐車場に戻るのが精一杯で会場が
一体となるこんな余韻を楽しむ様子を初めて知り驚いた。
八幡平も限られた時間内での忙しない散策であったが
分刻みで変わる幻想的な景色や可憐に咲くお花を楽しむ~
山頂までの矢印標識を前に涙をのみ皆バスに戻った。
2日目のバスは実に170Kmもの距離を走行し盛岡駅に着いた。
新幹線発車までの空き時間にスナックママさん先導のもと一散に
駅前にあるそば処の東家さんへ駆け込んだ! わんこそば!
肝心な食べ始め頃に電池切れになったデジカメでした。。。
ドンドン振舞われるおかわりに大騒ぎしながら楽しく何十杯だか?食べ終えた。
ちなみに【 わんこそば全日本選手権 】歴代記録の一位と十位は
第一位 559杯 ( 1996年 山梨県の男性 )
第十位 342杯 ( 2005年 東京都の 〃 )
かけそば一杯分が、わんこそば15杯位となるそうです。
1997年より時間制限15分間にルール変更!それ以前は無制限と。。。
そして新幹線は盛岡駅を離れ夕食に駅弁を食べながら飲み楽しい余韻のまま
降車駅に近づいた~ 立上がると後部座席にあのK君がいることに気づいた。
お別れの挨拶に小っちゃな手を握り ” いい子に育つのヨ~♪ ”
とかなんとか説教ぶって席を離れかけるとK君がこう言った。
” 電話番号をおしえて下さい ” だなんて ~~~。。。~~~
下りの新幹線で運転再開アナウンスに ” 原因は何ですか? ”
あのタイミングに似たK君の言葉にグループからは冷やかしの声!
嗚呼~ 50歳若返ってもウゥ~~~ とと年上だしネ。。。
照れ笑いでサヨナラしホームで発車を見送ることにした。
窓に手をかざすと車内からK君の小っちゃな手がピッタリ重なる!
何てオシャマな別れを惜しむ道ならぬ恋?のシーンなんだろう。
” 危険ですから列車から離れて下さい ” って流れないうちに新幹線はホームを離れた。
こっちを見ながら手を振り通路を走るK君の姿が見えた。
ハイ!ハイ! ここで終った夏物語でした。 プププ
楽しい旅行に参加できましてスナックのママさんに感謝申し上げます。
グループの皆さま 大変お世話になりありがとうございました。
夕方になっても津波が引かないので、暗くなる前に道幅の狭い山道を移動することにした。
私一人ならどうにでもなるが足の悪いおばあちゃんと一緒だから大変であった。
20分位歩いた所に避難所があり、そこには既に300名もの人々が集まっていた。
避難所とは名ばかりで電気、水、食糧が全く無い広い弓道場である。
雪もちらついているというのにストーブはたったの2台!
自力で泳いで助かった全身ずぶ濡れの人達が続々運び込まれ、寒さに震え泣き叫びながら
抱き合う光景は地獄を目の当たりにしてるようでした。
夕食時には近所の人達からお粥の差し入れがあり、冷え切った身体にしみわたる一杯の
お粥の温かさは涙がでるほど嬉しかった。
その夜は誰もが恐怖と寒さに震え一睡もできず一刻も早い朝が来るよう祈るだけだった。
翌日から1個のおにぎりを二人で分け、夕食にパン半分を感謝しながら頂く日が続いた。
幹線道路が通行可能となった5日目、息子が迎えに来10日間ほど盛岡に泊ることができた。
そして大槌の我家に帰ってからは、来る日も来る日も家の中にへばり付くヘドロとの戦い!
このまま倒れてしまうのではと思いながら朝から晩まで片付けと洗物に追われ頑張った。
亡くなられた方や家を流された方々のことを考えると大変などと弱音がはけなかった。
1か月経った街は瓦礫の山に変わり果て、震えと涙でただただ茫然とするだけでした。
続きます~