冷え込む朝は朝霧が立ちます。
日の出ごろ、日本海は雲が多いです。
昨夜いただいたカニ雑炊。
孤高のピアニスト、グレン・グールドの名盤「ゴールドベルク変奏曲」。
生涯で2度目、死の前年1981年の録音を朝靄の中で聴く。
1度目の録音は1955年なので26年後の演奏。
最初の録音よりもより深く円熟したピアノは一音も聴き漏らすことができないほど素晴らしい。
最近知ったことだがグールドは日本文学、中でも夏目漱石をよく読んでいたらしい。
特に「草枕」は永い年月にわたり愛読していて、書き込みされた本が何版かあったという。
J.S.バッハにかなり極端に傾注し演奏しづづけたグールドの演奏はどれも素晴らしい。
バッハの音楽を深く掘り下げて探求し続け、バッハを再発見した人とも言われている。
そして、「草枕」。
私の若い頃に20年以上に渡り毎年春になると読んでいた愛読書。
新しい季節の風や匂いを感じ、草枕を読んで春を深く理解していた日々が懐かしい。
草枕は「非人情」の世界観をテーマにしたもので「山路を登りながら、こう考えた」から始まる文章は誰でも知っていると思う。
その大好きな草枕とグールドのピアノ世界がリンクしたのだから私には衝撃だった。
そして衝撃は得心に変わる。
眼から鱗が落ちるとはこのことかと思う。
耽美的でどこまでも優しくかつ厳しい独特の音楽観と草枕における漱石の世界観は確かに合っている。
例えば下記の章、
初めのうちは 椽 に近く聞えた声が、しだいしだいに細く 遠退いて行く。突然とやむものには、突然 の感はあるが、 憐れはうすい。ふっつりと思い切ったる声をきく人の心には、やはりふっつりと思い 切ったる感じが起る。これと云う句切りもなく 自然 に 細りて、いつの間にか消えるべき現象には、 われもまた 秒 を縮め、 分 を 割いて、心細さの細さが細る。死なんとしては、死なんとする 病夫 の ごとく、消えんとしては、消えんとする 灯火 のごとく、今やむか、やむかとのみ心を乱すこの歌の 奥には、天下の春の 恨みをことごとく 萃 めたる調べがある。
このレコードの最終章のアリアは本当にそのような感覚で胸に迫る。
ゆっくりと起き上がるように始まり、消えゆくように残響を残して終わる。
まさに「心細さの細さが細る」演奏だ。
グールドはきっと「不人情」ではない「非人情」の世界と現実の「情」の合間を彷徨っていたのではないかと想像したり。
別々の大好きなものが年月を経てリンクして合致していくということは言葉にできないほど嬉しい。
異なる世界が「つながる」ことで大きな何かに向かって近づいているように思う。
そして今日もグールドのフーガにその何かを聴く。