チランジアの死はある日突然やってくる。
というか、死んだかどうかがわかりにくい。
気がついたときは既に死んでいる。
「お前は既に死んでいる」のがわからない。
たとえば、いつもと同じ顔色だと思って持ち上げたとたん
「軽い!」と思った瞬間葉っぱがバラバラと落ちるヤツがいる。
こいつもそうだった。
ある日葉っぱがバラバラ抜け落ちた。
この瞬間はがっかりというかショッックで脱力する。
「あー、やってしもたっ!」
己の無力さにうちひしがれるのだ。
まあ、何度か体験すると心の準備ができているのでさほどのショックはないが
それでも悲しい思いをする。
こいつは外側から半分くらい葉っぱが抜け落ちたが捨てずに何となくそのままおいておいたのだ。
そして、数週間後の土曜日にルーペ片手に植物どもを定点観測すると…
何と子供ができていたのだった。
この「死」から「生」への転換にオレは飛び上がった。
脱力から昇天したのだ。
2週間前の姿。
死者に抱かれる胎児の図。
土曜日の姿。
すでにいくらか成長している。
大株になると直径30センチくらいにはなるが、それには何年もかかる。
うまく行けば数年後に花をつけるかもしれない。
こんな花が咲くらしい。
我が家のキセロどもは開花のそぶりはまるでないので他所様の写真を拝借した。
「くさかんむり」に「化」けるとかいて、花。
チラの草どもはやがて化けるために日夜サバイバルをしていたのだ。
「死」から「生」への見事な転換はオレへの恩返しだと思っていたがどうも違うようだ。
何となくなじまなかったので死んでやったが子供にチャンスをのこしたぞ、的なサバイバル、挑戦だったのだ。
よーし、受けてやろうその挑戦。
化けるまで自力でやってみろ、草どもよ!
嗚呼、ボタニカル!