『植物 オヤジ』

日々出会う植物たちの「たくましさ」と「美しさ」を再発見する、ハードボイルド・ボタニカルライフ。音楽、美食なども。

茶葉

2014年09月29日 | 日記



お茶の葉っぱはもともと同じだ。
それを知ったのは割と最近のことだ。
緑茶も、紅茶も、ウーロン茶も同じだという。
「そんなわけがないだろう」
バカにされたと思ったのだ。
色も味も飲む場面もそれぞれ違うのに同じである訳がない。
日本酒は米だし、ビールは麦だし、焼酎は芋だ。
緑茶は茶畑だし、紅茶はインドだし、ウーロン茶は中国のどっかで育っているはずだ。

しかし、そんなことがあったのだ。
葉っぱはもともと同じ種類だが、発酵の度合いで種類が変わるという。
発酵をさせないものが、緑茶。
あとは発酵の度合いで白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶と変化するらしい。
ウーロン茶は青茶で、プーアル茶は黒茶だと。

ふーん。
でもやっぱり緑茶は緑茶だし、ウーロン茶はウーロン茶だな。
お茶畑では「緑茶」「紅茶」「ウーロン茶」と立て看板があるにちがいない。
その方が便宜的でわかりやすい。

ともかく、9月最後の日曜日の朝、ゆっくり飲む紅茶はおいしい。
熱々のアールグレイは匂いも強く好きなお茶だ。
疲れたときはぬるめのプーアル茶がいい。




お茶をお土産にすることは度々ある。
めったに自分では買わない美味しい紅茶をゲットした。
長崎の紅茶でどっしりとした深い味だ。
来月お邪魔する友人宅へのお土産である。
ゆったりとした日曜の朝の時間をお土産にパッケージできたらいいな。
お茶は色と香り、味わいと、草花と同様に五感を刺激する。
もともと葉っぱだから同じなのはあたりまえか。
今日も植物からの頂き物で朝からいい一日だ。

嗚呼、ボタニカル!



お彼岸

2014年09月28日 | 日記
お彼岸も開けた。
今日から夜が長くなる。
夏の日差しでぐったりした植物たちには朗報だ。
街のあちこちで頑張っていた日々草は勢いをなくし、サルスベリも役目を終えた。
今はコスモスやキクの仲間が元気だ。



彼岸花。
葉っぱを持たず、真っ赤な怪しげな花を咲かす。
どこかネガティブな印象がぬぐえないが、それは理由がある。
アルカロイド、天然の強い毒をもっている。
毒を宿した赤なのだ。
第一印象には理由があったのだ。
人間もそうだ。
立派なことを言っていてもどこかうさんくさいヤツ。
どこが問題なのかわからないが、なんか違和感のあるヤツ。
いるねえ。
第一印象は自分が生まれてこのかた蓄えてきた総合力だ。
Yes or No.
のるか、そるか。
生きるための一番大事な感覚だ。



ところで、彼岸花には種類があった。
ここ、名古屋に来て初めて知った。
なんと、上品に白いヤツや、黄色なヤツがいた。
白はいつも走っている公園にも自生していて、黄色は植物園にいた。
黄色はかなり珍しいようだ。
お彼岸より遅れて咲くらしく、なるほど今日きれいに咲いていた。
赤は役目を終えてしょぼくれていた。



赤は毒々しいが、白や黄色はかなりきれいで心ひかれた。
なるほど、これはトラップだ。
毒は赤と同じく宿しているらしい。
柔らかい色彩で人を安心させて企みを成就させるつもりらしい。
(何の企みだ?)
あぶない、あぶない。
世の中はトラップに満ちている。
同時にチャンスにも満ちている。
毒を喰らわば…ともいう。
少しの毒は幸福のスパイスでもある。
多少の毒を含んだヤツの方が面白みがあるのも確かだ。
つるつるした退屈なヤツが一番つまらない。

嗚呼、ボタニカル!





ベランダー

2014年09月27日 | 日記

「育ててみよう。ラン、500円」
と手書きのポップがポリバケツに貼ってあった。
バケツには株分けされた小ぶりの胡蝶蘭が4鉢。
見切り品の切り売りだ。
このコピーには惹かれた。
500円にも惹かれたが、「育ててみよう」にはまってしまった。
植物を観賞する側から、「育てる系」の側に行こうと思いながら
気がつくと新しいものが増えている。
勝手には増えないので、結局新しいのを買ってしまっている。
いつになったら鑑賞系から「育てる系」へ移行するのだ。
などと、反省がたかまっていた矢先のキャッチコピーだった。



そうだ、育ててみよう。
で、結局買って帰っているので何だかよく分からない。
釈然としないまま帰ったがこの小さな胡蝶蘭はなかなか美しい。
蘭科にはまりながらも敬遠していた胡蝶蘭。
演歌歌手のような、顔ばかり派手な容姿が気に入らなかったのだ。
でも、結構いけている。
(などと得心しているのは、ラン愛好家の深みにどんどんはまっていっている証拠だ)
演歌歌手路線を変えたくて、清純派の青い鉢に入れてみた。
売り出しにはプロモーションが必要なのだ。




育てる系も着実に増えている。
先日のオンシジウム(見切り品700円)も療養組にまわった。
(写真の一番手前)
この子らが次の花を咲かせて初めてベランダーになれるのだ。
(ベランダーは、いとう せいこう氏の造語。くわしくは名著「ボタニカル・ライフ」参照)
しかし、見切り品がどんどん増殖中でオレが真のベランダーになる日はまだまだ遠い。

嗚呼、ボタニカル!


草間彌生という人

2014年09月24日 | 日記

魂に触れるとか、魂を揺さぶられるとかいう大げさな言い方がある。
たいていは映画やドラマについての安物のキャッチコピーだ。
本音は視聴率や、興行収入をあげるためのPRである。
だからお金で買える程度の価値でしかない。



2年ぶりくらいに草間彌生さんの展覧会を見た。
これはすごい。
ほんとにすごい。
閲覧者が自由に書く草間さんへのメッセージ帳には
「すごい、やばい、何も言えない!」などの言葉が並んでいた。
まさに「魂のようなところ」をぐらぐら揺すぶられる。
強烈な磁力に吸い込まれてしまう。
これはもはや作為の世界ではない。
何かが彼女に取り憑いて、あるいは彼女が何かに取り憑いて心象世界を表現する。
統合失調症という病気をもった草間さんの、生きるための死との葛藤だ。



絵の中のあらゆるドットや目玉は命を宿した細胞か何かの生きものだ。
海中の原生動物のようでもある。
ともかく何かの生きものの体内でうごめいている、別の意志を持った生命体だ。

連絡帳の最後にはこうあった。


今回はリアルな植物ネタではないが
チューリップとカボチャにからめてみた。
草間さんの世界は生きものと同じくらいに、いやそれ以上に生々しく息づいていたのだ。
それを見る人を励ましてくれるとは何とありがたいことか。
オレも充電されたような、放電されたような何とも言い難い心境だ。
台風一過に似ている気がする。
何か大きな、重要な何かが通り抜けていったのだ。
それは他に名前を付けようがない、草間彌生さんという体験だ。
それを確認するためにまた彼女の元へ足を運ぶことになるのだろう。

嗚呼、ボタニカル!

「育てる系」

2014年09月23日 | 日記
少しずつ変わっていくものには気がつかない。


こいつは何故か葉っぱが一枚だけ紅葉し始めていた。
いつの間にこうなったのかわからない。
他の葉っぱも赤くなるのかも不明だ。



こやつは子株を二つつけた。
もう一つも出始めている。
もこもこと増えてくれるとうれしい。


最近蘭科にはまってしまった。
特に小さいタイプには心惹かれる。
オンシジュームの鉢は4つに増え
カトレアも一鉢療養中だ。


先日こんな変わり者を見つけた。
「Jumellea confusa」コンフーサというらしい。
なんと気根が茎の真ん中あたりからぐいぐい伸びている。
おもしろさに惹かれて買って帰った。
調べてみると花はこんなにきれいに咲くらしい。

  

日々の変化は一緒にいるとわかりにくい。
でも異変は無いかと探ってみると何か見つかることがある。
元気がなさそうだったり、うれしい変化ばかりではないが見つけることは大切だ。
歳をとって「育てる系」の趣味嗜好が増したのには理由がありそうだ。
それは植物のきれいさだけでなく、青々と成長するものへの憧れかもしれない。

嗚呼、ボタニカル!