・・・・有名な203高地・・・
とにかく、旅順を落とす必要があった。
旅順艦隊を沈めるためには、湾を見下ろす203高地より、旅順艦隊に重砲を
打ち込むことが有効であると、海軍では早くから陸軍の第三軍に申し入れていた。
しかし、海軍の指図は受けないという頑迷な伊地知参謀長により実行に移されなかった。
いや~、とにかくよく言われるように、この旅順攻撃に際しては第1回総攻撃のときに
まず1万6千足らずの死傷者を出しています。その後も乃木軍は攻撃の方法を変えず、
累々と屍の山を築いていくことになる。計4回の総攻撃を加えたが、全くの作戦無能力のため
結果的に6万の死傷者をだしてしまうのです。
そこで、満州軍総参謀長の児玉源太郎がたまらず乃木に代わって三軍を指揮しにいくことにした。
しかし、これは統帥権を侵すことにもなりかねないし、へたをすると乃木さんは恥じて
自害をするかもしれないという、戦略的頭脳と同じ長州人として友人である乃木希典に対する
配慮という難しい課題を抱えて旅順に向かうのである。
四元教雄さまのHP(旅順紀行)に、203高地およびそこから
旅順湾を望む画像が掲載されています。なるほど、ここから
観測将校の指示により28サンチ榴弾砲でもって、旅順艦隊を壊滅させたのか・・・
と感慨深いものがあります。
http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/index.html
この攻撃により、12月5日203高地占領、12月8日に旅順艦隊壊滅となるのです。
とにかく、旅順を落とす必要があった。
旅順艦隊を沈めるためには、湾を見下ろす203高地より、旅順艦隊に重砲を
打ち込むことが有効であると、海軍では早くから陸軍の第三軍に申し入れていた。
しかし、海軍の指図は受けないという頑迷な伊地知参謀長により実行に移されなかった。
いや~、とにかくよく言われるように、この旅順攻撃に際しては第1回総攻撃のときに
まず1万6千足らずの死傷者を出しています。その後も乃木軍は攻撃の方法を変えず、
累々と屍の山を築いていくことになる。計4回の総攻撃を加えたが、全くの作戦無能力のため
結果的に6万の死傷者をだしてしまうのです。
そこで、満州軍総参謀長の児玉源太郎がたまらず乃木に代わって三軍を指揮しにいくことにした。
しかし、これは統帥権を侵すことにもなりかねないし、へたをすると乃木さんは恥じて
自害をするかもしれないという、戦略的頭脳と同じ長州人として友人である乃木希典に対する
配慮という難しい課題を抱えて旅順に向かうのである。
四元教雄さまのHP(旅順紀行)に、203高地およびそこから
旅順湾を望む画像が掲載されています。なるほど、ここから
観測将校の指示により28サンチ榴弾砲でもって、旅順艦隊を壊滅させたのか・・・
と感慨深いものがあります。
http://www.mars.dti.ne.jp/~yotumoto/index.html
この攻撃により、12月5日203高地占領、12月8日に旅順艦隊壊滅となるのです。
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