ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

久しぶりに外出

2013-01-07 23:23:46 | 料理
年末30日に長野から上京して、31日は実家にいて、年が明けてからも殆ど身体を動かさなかった感じがしています。
少しのおせち料理を作り、元旦から毎食作り続けてはいるけれど、買い置いたものを手を替え品を替えていた感じです。
覚えている物は ・年越しそば ・おせち料理 ・寄せ鍋 ・ローストチキンとサラダ ・(肉団子と大根スライス煮 妹作)と春菊の胡麻和え ・鳥肉ソテーと叩きゴボウなど ・クリームコロッケと菜花椎茸舞茸の卵とじ ・七草粥

そして今日は買い物に行きました!(^。^)
・鯵と中とろのお刺身 ・ほうれん草のお浸し ・もろみ味噌添え茄子炒め
美味しくいただきました!

お墓参りや病気見舞いは車移動でしたからカウント外です。

伯母

2013-01-07 00:29:10 | 日々の出来事
昨年10月下旬に、玄関先で転んで左肘を複雑骨折して緊急入院した母の姉。3月10日の大空襲で叔父は亡くなり、従兄は叔母と祖父母に可愛がられて育ちました。
その数日後、その従兄の奥さんがくも膜下出血で緊急入院。
従兄は病院二ヶ所を走り回ることになり、私たちは7年前に胃の全摘をしている彼の体調も心配でした。骨折で入院した整形外科クリニックにもお見舞いに行きました。骨折したことも「仕方ない」、入院したことも「仕方ない」、お嫁さんがくも膜下で倒れ従姉がてんてこ舞いしていることも、居間と寝室が1階と2階で家に戻って生活できるか不安なので息子が探してくれる施設に行くのも「仕方ない」とおっしゃっていました。おっしゃっている伯母は勿論、聞いている母も私もとても切ない思いでしたが、そんなことは口に出さずに他愛ない話しをしながら帰ってきました。

11月に叔母はもう一つ抱えている内臓疾患もあるので、長期滞在型病院に転院し、私が長野に戻る前にそちらにもお見舞いしましたけれど、その時はにこやかでお元気でした。見て下さるスタッフの方々も気持ちのいい人ばかり、施設は綺麗、病院の方針でパジャマと部屋着は患者さんに会うようなものを毎日変えて提供してくれる所でした。ご自分の至福ではないのに良く似合った部屋着を着ていらっしゃいました。車椅子でしたが食堂に一緒にいき、紅葉の景色をみながら、サンドウィッチをご一緒しました。とっても穏やかな和やかな時間を持つことができました。

その後、12月の半ばには安静にしていないといけないのでしばらく面会は見合わせて欲しいという従兄の伝言があり、私も長野での用事もありどうしておられるか案じながら年が明けました。

12月28日には従姉が見舞い、1月4日にもう一人の従姉が見舞い、従兄からも「2月の叔母の誕生日までもつか、伯母の生命力によるのでいつでも見舞いに行ってください。でも今年に入って痛み止めをし始めたので行ってもすぐに帰ることになるかもしれないけれど」と言われて、昨日(5日)弟夫婦、妹と私は伯母のお見舞いに行きました。母も勿論誘いました。でも一両日で悪くなる感じではなかったし、昨日はとても寒い一日でしたので週が明けたら母を連れて行ってあげることにして出かけました。

伯母はとっても痩せられていて、息をのむほどでした。眠っていらっしゃる風でしたが気配を感じてか目を薄っすら開けられたようなので声かけをしたら、分かったようで「皆で来ましたよ」と名前をいって、「今日は寒いのよ、もう年が明けて5日も経ったわ」とか…あ、あけましたおめでとうと言ったかなぁ… 手をさすってあげると気持ちよさそうに、でも「痛いところあるの」と聞けば頷き、手を放したら「こっちの手も~」というように骨折をした手をこちらに動かして、そちらの手は血流が良くないのでしょうパンパンにむくんでいらしたので、柔らかく優しくさすってさし上げました。そう(いつも孫の手の指を一本一本なでて掌から手首とマッサージをすると眠くなっていくのを思い出しながら)「誰でも気持ちいいだろうなぁ、これは」と思いながらそれまで片手だったのを両手を使ってさすって差し上げました。「気持ちいい?」と聞けば頷き、「お疲れになるといけないからもう失礼しようかしら?」と言えば首をふり「いやいや」をなさって…。長姉である伯母や母の様子も話しかけたり、途中で何回か「痛かったら看護師さんを呼びましょうか?」と聞くと首をふり、「大丈夫?」と言えば頷き、「寝ていると首筋も凝るでしょう」と首筋をさすったり頭皮も…。気持ち良さ気に眠られたかなと手を放すと目を開けるので、「お一人は嫌ね」と言えば頷かれて5分か10分位と思っていたのに帰れなくなりました。

従兄は話しかけながら手をさすったり足をさすったりはしないだろうなぁ(そういうタイプなんです)。従兄が母親思いでここ数年伯母のことを本当に良く看ていたことを思うと今の伯母を看ているのはとても辛いことだろうなぁ…などと思いながらいました。肝臓に負担をかけるといけないと長居しないようにと思いながら、眠られたらそうっと帰ろうと妹や義妹とアイコンタクト。伺って小一時間、やっと手を放してもお休みなったかなぁと思って帰り仕度をはじめたらまた目をあけられたので 「また来るから、今日は失礼しますね」と言ったら今度は「うんうん」と頷いて下さいました。「来週ママと来るからね」と言って辞しました。

「延命処置は一切なし、痛み止めだけ」というのは伯母も母も同じ希望ではあるけれど、その希望に添うのも覚悟がいることだなぁと実感。従兄のいうように2月のお誕生日までもてばいいし、もしかしたらもう少し早いかもとか、7月に母の三姉妹を囲んで11人の会食ができたこと本当に良かったとも思いながら、帰りの車の中は沈痛な思いが一杯漂っていました。 〈ここまでは昨日(5日)草稿していたのですが、アップせず〉

 今日(1月6日)午前11時に伯母は天に召されました。従兄は最期に間に合ったようです。安らかな顔をしていたとのこと。
数年前までは三姉妹の中で一番お元気そうだったのに、こんなにあっけなく逝ってしまうなんて…。
「昨日行けば良かった」と何度もいう母をおいていっちゃいました。 昨日お会いした時に初めにどんな言葉をかけたらいいのかと思案するほど痩せられた伯母に母があっていたらそれもまた辛いことだったと思うのですが、観劇も良く一緒に行き、長姉よりも話しやすいこともあったのでしょう、翌電話でもおしゃべりしていた母ですから「行けば良かった」という思いはしばらくあるでしょう。母の心持ちを考えると今寝られているかしら?とかこれからのことも心配ではあります。が今日はまず伯母の永遠の安らぎを祈りながら過ごしたいと思います。

どうぞ、やっこば安らかにお休みください。