なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

卵の賞味期限が過ぎても食べられるってホント?

2016年03月21日 08時28分03秒 | ブログ

卵の賞味期限が過ぎても食べられるってホント? 生卵とゆで卵の見分け方は? 卵の話アラカルト


ビタミンCと食物繊維以外の栄養素をすべて含んでいる、卵は食品の優等生

ビタミンCと食物繊維以外の栄養素をすべて含んでいる、卵は食品の優等生

日本人は卵が大好き。国民一人当たりの年間消費量は、平均約320個と言われます。
その卵が広く一般的に食べられるようになったのは、江戸時代中期頃。
当時は、ゆで卵や生卵を売る行商人が「たあまご〜、たあまご〜」と売り歩いたそうです。
現代では、朝食の目玉焼きから夕食のオムライス、あるいはパンやケーキの材料として、ほぼ毎日食卓に登場する身近な食品「卵」ですが、じつは誤解されていることも多いのですね。

安心して美味しく食べるために ── 卵のお役立ち情報を紹介します。
 

生卵とゆで卵はカンタンに見分けられる!?

冷蔵庫の中で、生卵とゆで卵が一緒になっていたら ——。
この2つを見分けるのは、とてもカンタン。
卵を寝かせてクルクルとまわしたとき、よくまわるのがゆで卵で、あまりまわらないのが生卵です。ゆで卵は面白いほどまわるので、ぜひ試してみてください。

ちなみに、ゆで卵の殻のむき方でオススメなのが、お尻(丸い方)を台の角などで軽くヒビを入れてから、ゆでる方法。面白いほど、きれいにむけますよ。
 

えっ? 卵はコレステロール値を下げる!?

日本は世界でも2、3位を争う卵消費国ですが、コレステロール値を上げる悪者説もまた有力。

そもそも卵は、1羽の鶏が育つまでの栄養素をすべて持っている、栄養価の高い食べ物です。
人間に必要な栄養素もまんべんなく含まれおり、「完全栄養食品」とも言われるのですね。

コレステロールも多い食品ですが、血中コレステロールを上昇させるミリスチン酸は、ほとんど含まれていないうえ、逆にコレステロール値を下げる効果のあるオレイン酸が豊富に含まれています。

また、卵白に含まれるアミノ酸シスチンや卵黄に含まれるレシチンも、悪玉コレステロールをやっつける働きが。
けして、コレステロール値を上昇される悪者ではないのですね。
レシチンは、記憶力や集中力を高めたり、自律神経のバランスを整える役割も果たす脳に優れた成分。
卵黄レシチンは生に近い方が効果を発揮するので、卵かけご飯などがオススメです。
 

卵の賞味期限の期間の意味は!?

冷凍卵かけご飯もテレビで話題に
冷凍卵かけご飯もテレビで話題に
この「卵かけご飯」は日本独特の食文化ですが、そもそも生卵をそのまま食べている国はあまりないのですね。
これは、日本の卵の衛生管理基準が厳しいから成せること。

卵には微量のサルモネラ菌がついていますが、賞味期限の期間は「サルモネラ菌の増殖が起こらない期間」に定められています。
そのため賞味期限は、安心して「生食」で食べられる期間のことを指します。
また、賞味期限が過ぎても、できるだけ早くしっかり加熱すれば、食べることができます。

ただし保存状態が悪かったり、殻にヒビが入っていたり、あるいは生卵を割ったときに黄味が崩れたり、白身の色が変わっていたら、絶対に食べないこと! これは鉄則です。

── イメージによって誤解される面が多い卵ですが、卵は栄養満点の安心、美味しい食品です。
ぜひ卵を食生活に上手に取り入れ、健康的な生活を送ってくださいね。

の季節到来! 開花の目安となる標準木

2016年03月21日 08時20分34秒 | ブログ

桜の季節到来! 開花の目安となる標準木、そして、川沿いに桜スポットが多い理由とは?


日本人がこよなく愛する桜の薄もも色。思わずうっとりしちゃいますね

日本人がこよなく愛する桜の薄もも色。思わずうっとりしちゃいますね

南北に長い日本列島ゆえ、3月中旬から4月上旬あたりの今は、桜の見ごろまっさかり!
この時季、桜が見られるスポットはどこも大勢の人でにぎわっていますし、
桜の豆知識を知っていれば、お花見もいっそう楽しくなるはず。
今回は、お花見の盛り上がりに一役買ってくれそうな、桜についての雑学をご紹介!
天気.jpでは、全国の桜の開花情報を発信していますので、そちらもチェックしてくださいね。
 

桜の開花予想の目途とは?

あなたの街の標準木はどこ?
あなたの街の標準木はどこ?
春になると気になる桜の開花予想。
各地の桜がいつ咲くのか、いつお花見をしようか、そわそわしてしまいますよね。
しかし、ここでいわれている「開花」は、お花見ができるほどたくさん咲いた、というわけではなく、桜の咲きはじめを予想するものなのです。
桜の花が5~6輪咲きはじめてから、「開花」と呼ぶわけですが、咲きはじめる木はどれでもいいわけでなく、街ごとの気象台がある木(=標準木)を特定しておき、その木の花が咲きはじめたら「開花」としています。

では、具体的に標準木とは、どこにある木のことを指しているのでしょうか。

●東京→靖国神社
●大阪→大阪城西の丸庭園
●京都→京都地方気象台構内
●北海道→北海道神宮
(※2009年時)

と、このように、標準木は、庭園や神社、気象台構内にあることが多いようです。
ちなみに桜の開花予想は、前年から今年までの温度変化と1970年から2000年の過去のデータ、これからの予想気温によって算出されています。
 

桜スポットに川沿いが多いのはなぜ?

川と桜の饗宴は、情緒があって素敵!
川と桜の饗宴は、情緒があって素敵!
桜が見られるスポットを思い出してみてください。
そのなかに川沿いで桜が見られる場所はありませんか?
東京の場合は、目黒川、神田川、隅田川、石神井川……etc.
川沿いの桜スポットが多い傾向にあり、これにはじつは理由があるのです。

江戸時代、大雨が降るたび川が氾濫し、土手が決壊、洪水の被害に悩まされることがありました。
土手の地盤をしっかり固めるために、多くの人にその土手を踏んでもらわなければならない。
ならば、桜を植えて花見スポットにし、見物客を増やして地盤を固めてもらおう!という案から、川沿いに桜が植えられるようになったのです。
災害からあのような美しい景色が生まれることになったとは。意外な事実ですね。
 

みんなが気持ちよくお花見するための心得とは?

酔っぱらって、桜の木に登らないように!
酔っぱらって、桜の木に登らないように!
ここまで桜の豆知識をご紹介してきましたが、最後はお花見の心得。
マナーとちょっとした予備知識があればさらにお花見を楽しむことができます。
まず、車でなく公共交通機関を利用しましょう。

お花見会場はとても混みあうため、駐車場探しで時間を費やすことになります。
車で行くにしても会場から離れた場所に停めることをおすすめします。
次に防寒対策を忘れずに。花見時期はぽかぽか暖かくなるかと思いきや、案外寒いものです。
コートやブランケットなどがあるといいですね。
また、桜は繊細な木です。余った飲み物を木の根元に捨てると、根腐れすることもあるので注意しましょう。
お花見が終わったらきちんと後片付けをし、ゴミはすべて持ち帰ることが基本です。

今がまさに桜満開時季。すぐに散ってしまうはかない桜の旬を堪能しましょう!
 

「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きるこ

2016年03月21日 08時17分49秒 | ブログ

ピンピンコロリで何歳まで生きるのかな?

「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きるこ

「山本五十六、ドストエフスキーと並びました」

 

極私的享年表をつくり始めて10年。49歳だった私は還暦を目の前にした59歳になりました。その間、私の年齢は多くの偉人の享年を追い抜いていきます。

享年50歳:西郷隆盛、松尾芭蕉、スティーブ・マックイーン

享年51歳:源頼朝、ナポレオン、シェイクスピア

享年52歳:武田信玄、石原裕次郎

享年53歳:コロンブス、ベーブ・ルース

享年54歳:明智光秀、佐久間象山

享年55歳:ニーチェ

享年56歳:ベートーヴェン、双葉山

「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きること© PRESIDENT Online 「私は○歳で死ぬ」と決めることが生きること

享年58歳:杜甫、種田山頭火、開高健

そして今、私は享年59の山本五十六、ドストエフスキーと並んでいます。

追い抜いたといっても彼らの享年より年齢が上になった、つまり長生きしたというだけで、容貌こそ年相応に老けましたが、貫禄や人間的深みを身につけたり、人生を悟るといったこともなく、何の成長もせずに今に至っているというのが実感です。

ただ、それとは別に、死がそう遠くないことを感じるようになりました。

私自身がファンだったり敬愛していたりした存在、すごいなと思っていた人たちが、このあたりの年齢で亡くなっています。

享年56歳:フォーク歌手の高田渡、スティーブ・ジョブズ

享年57歳:谷岡ヤスジ、取材でお会いしたラグビーの名選手・石塚武生、中村勘三郎

享年58歳:毎週聴いて多大な影響を受けた深夜放送のパーソナリティだった林美雄、忌野清志郎、ジョージ・ハリスン

享年59歳:桂枝雀

――多くは年上ですが、中村勘三郎さんは同世代(ひとつ上)でもあり、死の報を聞いた時は衝撃を受けました。「そういうトシになったのか」と。

「あんまり長生きはしたくない」と思った理由

 

もちろん50代で亡くなるのは早過ぎるわけで特別なケースといえます。現在の日本人の平均寿命は男性が約81歳、女性が約87歳。それを裏づけるように今の60代、70代は総じて元気です。

たとえば、登山。私も学生時代、経験したので分かるのですが、剣岳といった難易度の高い山にも60代以上の方が平気で登っています。ただ、その事実を知るのは「遭難の報」ですが……。遭難者の年齢が60何歳とか聞くと、気の毒と思う以前にその挑戦意欲に感心してしまいます。

まあ、厳しい山に挑む高齢者はごく一部なのでしょうが、そんな感じで今の60代、70代はやたらと元気。還暦を迎えるトシになったからといって弱気になる人は少ないようです。

こうした趣味や楽しみだけではなく、仕事でも現役を続けようという60代、70代は少なくありません。

つい最近、中学時代の同級生と会う機会があったのですが、「今年定年を迎えるのだが仕事を辞める気は毛頭ない。退職後はそれまでの人脈や身に着けたスキルを生かした事業を興す」と力強く語っていました。

というわけで、60歳を目の前にしても、衰えはほとんど感じず、ましてや死が近づいているなどとは考えもせず、意欲的にさまざまなチャレンジを続ける人がいる。私のように、死が遠いことではない年齢になったと受け止めるのは少数派なのかもしれません。

ただ私の場合、父親の介護をし当欄にその体験を書く機会を得ました。

それがきっかけで引き続き介護の専門家に話を聞くなどして、介護にまつわる問題を書いています(連載「介護の常識・非常識」http://president.jp/articles/-/14617)。介護体験を通して、専門家から聞いた介護現場の厳しい現実を知って、「あんまり長生きはしたくないな」と思うようになったということがあります。

そんな心境になった私にピタッとはまったのが生物学者が書いた本でした。

学術的な内容ではなく、生物学者の目から見た現代社会のありよう(おかしな点)や生き方などが書かれたもの。そうした本を読むと、生きるということの意味を考えさせられます。

人間以外の生物が生きる目的は種の保存、子づくりをして命のリレーをすることです。生殖を済ませた時点で命を落とす生物はたくさんいますし、相手探しの争いに敗れて死ぬものもいる。何年も生きて毎年のように子づくりをする生物もいますが、それにしたって年老いて衰えると、食べ物を獲得できなくなったり天敵に襲われたりして死を迎えます。つまり「老後」はないわけです(動物園にいる動物は別として)。

しかし、頭脳が発達した人間だけは違います。農耕を始めて食糧の備蓄をするようになった。「お金」という別の価値も生み出した。それに医療の発展が加わって寿命はどんどん伸び、「老後」が生じたわけです。

老後のためにお金を貯めるなど、しっかり準備した人、死ぬまで好きなことをして生きていける。これは人間だけに与えられた特権です。しかし、その一方で介護というやっかいな問題も生じました。

「とっくの昔に死ぬ人が今は生きている」

 

私自身、介護ではほんのわずかですがつらい思いをしましたし、介護現場で働く人から聞いた話では、それ以上の悲劇的状況がたくさんあるといいます。孤立、虐待、貧困……、親のために自分の人生を犠牲にしている人も少なくないそうです。

医療のおかげで私たちは昔より多くの時間が与えられるようになりました。

それが健康で楽しく過ごせる時間ならいいですが、今はそれを超えて過剰に与えられ過ぎてしまっているのではないか。昔ならとっくに死んでいる人が、今は生きている。死別はつらく悲しいものですが、人がより自然な死を迎え、この世を去ることによってひと区切りがつく。極端な考え方かもしれませんが、自然を超えた生を与えられたことによって生じた不都合が介護の悲劇のような気がします。

その点、人間以外の生物の生死は自然そのもの。種の保存という目的を果たしたところで死ぬというところは、介護の不条理からかけ離れていて、すがすがしく思えるのです。

また、私がつくった享年表に書き込んだ人物も、昔の人は戦死者を除いて自然な死を迎えています。つまり、若死(病死含む)にしている人が多い。歴史に名を残す人たちですから、その多くが有り余る生命力と類まれな才能を持っていたでしょう。だから、死が迫ってきた時は耐えきれないほどの悲しさを感じたはずです。「死にたくない。まだやりたいことはたくさんあるんだ。オレにもっと時間をくれ」と。

しかし、彼らは限られた時間で大事を成し、あるいはすばらしい作品を残しました。そして今も多くの人にリスペクトされている。自分の人生に満足していたかどうかは分りませんが、私の目からはすごい一生だったと思えるわけです。

で、その享年はひとつの指標になる。

その一生の濃密さや成し遂げた業績はとても比べられるものではありませんが、「あの人と同じだけ生きてこられたのか」という一種の満足感のようなものはありますし、逆に「あのすごい人もこのトシで死んだんだから、自分もそれ以上を望むこともないな」と自分を慰めたくなることもあります。

こんな思いを抱くようになったのも、介護の現実に接して「あんまり長生きしたくないな」とか「生に執着するのは格好悪い」と思うようになったからかもしれません。そんなことを考えているくせに健康診断を受けて異常がないとホッとしている自分もいるわけですが……。

10年間、多くの偉人たちの享年をぽつぽつ調べることで、私の心の中で次第に湧き上がってくるものがありました。それは、いろいろな人の死生観を知りたい、ということです。

同じ時代、同じ社会で生きる人が、今後どのように生き、そして何歳ぐらいで、どんな死を迎えたいと思っているのか。極論すれば医療の力を借りて、何歳までもダラダラ生きられる。そんなふうにも思える現代だからこそ死に方は自分で決めるものではないかと感じているのです。

次回からは、さまざまな分野で活躍する方から、その死生観とその境地に到達するまでを聞いていきたいと思います。