熊本県などの一連の地震で犠牲になった人たちは、どんな場所に立つ、どんな家にいて巻き込まれたのか。建物の古さ、緩い土壌、2度の激震……。専門家は様々な要因を指摘する。

 家屋が軒並み倒壊している。震度7の激震に2度見舞われた熊本県益城(ましき)町内では、そんな光景をあちこちで目にする。

 地図に重ねてみると、倒壊が多かった地区は、町内を流れる木山川や秋津川に沿うように並び、ほぼ並行して活断層が走っている。亡くなった人がいた建物もその地域に目立つ。

 ログイン前の続き平田地区もそんな場所の一つだ。内村宗春さん(83)は自宅1階で寝ていて、本震で家屋の下敷きになって亡くなった。1階が押しつぶされ、2階の瓦屋根が崩れ落ちていた。102歳になる宗春さんの母親が幼少の頃からあったという古い建物だ。

 他方、その隣に立つ家は損壊も傾きもない。住人の宗春さんの娘(55)は「築13年の木造住宅。傷みはなく、地震後も変わりなく住んでいる。この辺りは旧家が軒並み倒れている」と話す。一帯では宗春さんを含め、6人が死亡した。いずれも古い木造家屋だった。

 現地で倒壊家屋や地盤の調査をした古賀一八・福岡大教授(建築防災)によると、調べた範囲では倒壊家屋のほとんどが、建築基準法が改正された1981年以前の建物だった。81年以後の建物で倒れたのは数軒で、より基準が厳しくなった2000年以後の建築では建材が折れる損壊が1軒で確認されただけで、いずれも死者はいないという。

 古賀教授は「旧基準の建物は大きな地震で倒れる可能性が高く、耐震補強の必要があると改めて感じた」と話す。2階部分の重さがかかる1階は、特に崩れやすいという。

 さらに古賀教授は、土壌についても指摘する。「川に近く砂質で液状化しやすい。『盛り土』も目立つ軟弱な地盤。活断層も近い。建物の倒壊が起きやすい条件が重なってしまった」

 そんな町を2度の震度7が襲った。町内では家屋倒壊で前震で7人が死亡、本震では12人が死亡した。県内全体では、本震での家屋倒壊で30人が死亡。取材によると少なくとも8人は、いったん避難所や車中泊した後に帰宅して犠牲になっていた。

 東京大の腰原幹雄教授(木造耐震)によると、耐震基準は、何度も大きな揺れが襲うことは想定していない。木造建築の場合、震度7クラスの揺れで、10センチ程度変形し、耐震性能は3~4割に落ちることがある。「間を置かず震度7が2度襲うとは思っていなかっただろう。見た目で被災建物の耐震性を判断するのは専門家でも難しい。震度6強、7の地域では、専門家による応急危険度判定を受けるまで、自宅でもすぐ逃げられる範囲で活動し、泊まるのは避けて欲しい」(奥村智司、贄川俊、小寺陽一郎)

■警戒区域外でも土砂災害

 南阿蘇村では15人が死亡したが、そのうちの9人は土砂災害に巻き込まれた。

 片島信夫さん(69)と妻の利栄子さん(61)は、本震後に自宅が土石流に押し潰されて亡くなった。

 片島さん宅がある立野地区は、山すその傾斜地にある。2012年7月の九州北部豪雨では土砂崩れが起き、2人が死亡した。

 県によると、地区は住民への事前周知が必要な「警戒区域」だった。一方、その東数キロで、今回の地震で5人が死亡した同村河陽の高野台と2人が死亡した長野地区のログ山荘火の鳥は、比較的新しく造成された場所で、県は警戒区域に指定していなかった。県砂防課の担当者は「(急傾斜地でないといった)地形などから判断した」と説明する。

 九州大の陳光斉(ちんこうさい)教授(防災地盤学)は「一帯の土壌は火山灰などが含まれていて崩れやすい。災害が起きる前から、土砂の到達可能性などのリスクを住民に説明することが大切だ」と強調。静岡大の牛山素行教授(防災情報学)も「いずれも山間部の傾斜地近くで、地形的には土砂災害が起きやすい場所。安全とは言い切れない」と指摘する。

 一方、避難生活を続ける被災者を脅かすのが、血栓が肺に詰まるエコノミークラス症候群だ。県によると、エコノミークラス症候群の入院患者は30日現在、45人に上る。

 新潟大の榛沢和彦講師(心臓血管外科)は「避難所となるべき建物も壊れ、避難スペースが足りていない。避難者は軽い運動や水分補給、マッサージ、弾性ストッキング着用を心がけてほしい。中越沖地震の時のように自衛隊にテントを設置してもらうなど、行政も早く手を打つべきだ」と話す。(吉田啓、香取啓介、渡辺純子