なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

元号は令和へ 明治から平成の気象のできごと

2019年05月01日 09時39分44秒 | ブログ

元号は令和へ 明治から平成の気象のできごと

 

2019年04月30日18:01

元号は令和へ 明治から平成の気象のできごと
日本で初めて天気図が配布されたのは、明治16年(1883年)のことでした。明治から平成にかけて、年号ごとの気象のできごとです。
明治16年(1883年)3月1日、日本で最初の天気図が配布されました。作成者は、ドイツ人の気象学者エリヴィン・クニッピング。
同じ年、5月26日、日本で初めて暴風警報が発表されました。四国の南岸の低気圧が発達し、天気概況に「沿岸ノ各地方ヘ警報ヲ発セリ」と記述されています。
明治17年(1884年)6月1日は、日本で初めて一般向け天気予報が発表されました。6月1日の「気象記念日」はこの日を記念して定められました。

大正(1912年~1926年)

大正6年(1917年)10月1日、関東を台風が直撃しました。高潮により東京都内では、広い地域が浸水し、甚大が被害が発生しました。
大正12年(1923年)9月1日、11時58分に関東大震災が発生。地震により発生した火災の延焼を引き起こしたのは、日本海沿岸を東へ進んだ台風といわれています。関東地方は強い風が吹き、台風が東へ進むにつれて風向きは西風から北風と、大きく変化しました。

昭和(1926年~1989年)

昭和8年(1933年)7月25日、山形で最高気温40度8分を観測。国内で初めて40度を超え、この記録は2007年まで74年もの間、更新されることはありませんでした。
昭和11年(1936年)2月26日、二・二六事件。日本の南を低気圧が進み、関東の平野でも雪が降ったとみられます。(東京は3日前の2月23日にも大雪が)
昭和20年(1945年)8月6日、広島に原爆が投下された日。広島は、朝から快晴となっていましたが、原爆が投下された後は、黒い雨が降り始め、総雨量が100から120ミリに達した所もあったようです。
同じ年の8月9日、長崎に原爆が投下された日、九州には雲が広がっていました。米軍は、小倉の視界が悪かったため、長崎に雲の切れ間から原爆を投下したといわれています。
同じ年の9月17日、台風が鹿児島県枕崎市に上陸。「枕崎台風」です。
昭和38年(1963年)1月、日本付近は冬型の気圧配置が続き、強い寒気が流れ込みました。山沿いだけでなく、平野部でも降雪が多くなり、最深積雪は、北陸で100センチを超えた所がありました。九州でも大分県の日田で、降雪の深さの日合計は30センチ以上を観測しました。気象庁は「昭和38年1月豪雪」と命名。豪雪の名前が付けられたのはこれが最初です。
昭和52年(1977年)2月17日、日本付近は冬型の気圧配置で、沖縄の久米島でみぞれが降りました。みぞれは雪として観測されます。雪の日本の最南端記録となりました。
昭和57年(1982年)7月23日、がけ崩れなど大きな被害を引き起こした「長崎豪雨」。長崎県の長浦岳(ながうらだけ)で午後6時から7時までの1時間に153ミリの雨が降り、国内の最大1時間雨量を記録しました。

平成(1989年~2019年)

日本気象協会に所属する勤続30年以上の気象予報士20人が「気象に関する平成の災害」を振り返り、被害の大きさや、社会的影響の大きさ、防災意識の変化や気象・防災情報の改善のきっかけをもたらした、などの観点から、17の気象災害をまとめています。
ボリュームが多めですので、詳しくは、tenki.jpサプリの tenki.jpラボにある「 気象予報士が振り返る平成の災害」をご覧ください。

新天皇陛下、4日も「おことば」検討 10月はパレード 令和

2019年05月01日 09時34分48秒 | 皇室ニュース

新天皇陛下、4日も「おことば」検討 10月はパレード

令和

2019年5月1日07時00分

 5月1日、新天皇陛下が即位した。当日は皇位のしるしとされる神器などを引き継ぐ「剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀」、新天皇陛下から国民に向けた最初の「おことば」がある「即位後朝見の儀」が開かれる。

 4日にはさっそく、皇居で即位を祝う一般参賀が開催され、新皇后の雅子さまや皇族方と宮殿・長和殿のベランダに立ち、集まった人々の祝意に応える。上皇さま、上皇后さまは出席しない。新天皇陛下のおことばも検討され、何が語られるかが注目される。

 25~28日にはトランプ米大統領が来日する。新天皇の即位後、最初に迎える国賓となり、歓迎行事や新天皇陛下との会見、宮中晩餐(ばんさん)会が開かれる。

 天皇の定例地方訪問「三大行幸啓」は、代替わり後は国民文化祭が加わって「四大行幸啓」となる。6月の全国植樹祭愛知県)を皮切りに、9月に全国豊かな海づくり大会秋田県)と国民体育大会茨城県)、秋に国民文化祭新潟県)が予定されている。

 皇嗣(こうし)となった秋篠宮さまは、皇嗣妃・紀子さまと5月18日に鳥取市で開かれる第30回全国「みどりの愛護」のつどいに出席する。新天皇ご夫妻から引き継いだ行事のひとつだ。

 また、秋篠宮ご夫妻は6月下旬~7月上旬、ポーランドとフィンランドを公式訪問する。外交関係樹立100周年の記念行事に出席する予定で、5月の代替わり後、皇室として最初の海外訪問となる。

 秋篠宮家の長女眞子さまは7月中旬、日本人移住120周年を迎える南米のペルーとボリビアを訪問する。国際基督教大学を卒業した次女佳子さまも本格的に公務に取り組む予定で、姉妹で両親を支えていく。

 9月にはラグビーワールドカップ日本大会が開幕する。秋篠宮さまが名誉総裁として各国代表を出迎える。

 10月22日には天皇即位を宣言する「即位礼正殿の儀」が開かれ、新天皇、新皇后両陛下が各国要人と対面する。この日には両陛下がパレードする「祝賀御列(おんれつ)の儀」も予定され、両陛下を乗せたトヨタの最高級車「センチュリー」のオープンカーが公道を走る。

 11月14日から15日にかけては、新天皇が新穀を神々に供え五穀豊穣(ごこくほうじょう)などを祈る儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」の中核行事「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」がある。

 2020年も大きな行事が続く。4月には秋篠宮さまが、皇太子と同様の立場であることを内外に示す「立皇嗣(りっこうし)宣明の儀」が行われる。7月に開幕する東京五輪、続く東京パラリンピックには新天皇陛下が大会の名誉総裁に就任する見通し。皇族方も各競技の観戦に訪れる予定だ。


6月に即位後初地方へ=「四大行幸啓」、多忙な1年に―皇位継承

2019年05月01日 09時30分45秒 | 皇室ニュース

6月に即位後初地方へ=「四大行幸啓」、多忙な1年に―皇位継承

 新天皇、皇后両陛下は6月初め、愛知県で開催される第70回全国植樹祭に出席される予定で、即位後初の地方訪問となる見通しだ。天皇、皇后両陛下が行ってきた公務は「ほぼすべて引き継ぐ」(宮内庁幹部)考えで、今年は即位に伴う一連の儀式もあり、多忙な1年となる。

 これまで行われていた恒例の地方訪問は、植樹祭と国体、全国豊かな海づくり大会で、「三大行幸啓」と呼ばれてきた。新両陛下はこれに加え、皇太子夫妻時代に取り組んできた国民文化祭へも出席し、「四大行幸啓」となる。今年の国体は茨城、海づくり大会が秋田、国民文化祭は新潟の各県が会場で、いずれも秋に行われる。

 即位した1日も、「朝見の儀」などの儀式が続き、新侍従長らの認証官任命式などの公務が早速予定されている。

 今月は、皇居・宮殿で春の勲章親授式が行われるほか、下旬には国賓として来日する米国のトランプ大統領の歓迎行事や会見がある。新陛下は皇居内での稲作も引き継ぎ、田植えを行うほか、内閣からの書類に決裁する執務なども控えている。 


歴代2番目の高齢即位、59歳2か月…新天皇陛下

2019年05月01日 09時27分16秒 | 皇室ニュース

歴代2番目の高齢即位、59歳2か月…新天皇陛下

歴代2番目の高齢即位、59歳2か月…新天皇陛下

 新天皇陛下は59歳2か月で即位された。生年月日の記録が残る8世紀後半以降の天皇では、2番目に高齢での即位となる。

 歴代天皇・年号事典を編修した米田雄介・神戸女子大名誉教授によると、奈良時代の49代光仁こうにん天皇(在位770〜81年)以降は、数人の天皇を除いて生年月日まで記録が残り、満年齢がわかる。

 即位時の最高齢は光仁天皇の60歳11か月。3番目は平成の天皇陛下で55歳、4番目に平安時代の光孝こうこう天皇(同884〜87年)の54歳が続く。

明治〜昭和 若く

 明治以降は、明治天皇が14歳、大正天皇が32歳、昭和天皇が25歳と比較的若い年齢での即位が続いた。

 一方、上皇になった年齢でみると、平成の天皇陛下の85歳が最高齢だ。次いで光仁天皇の71歳、戦国時代の正親おおぎ町まち天皇(同1557〜86年)の69歳と続く。光仁天皇は僧侶・道鏡らによる政治混乱を収束させ、正親町天皇は織田信長や豊臣秀吉ら時の権力者の力を借りて御所の修理などに力を入れたことで知られる。米田名誉教授は「激動の時代に、高齢になるまで第一線で公務にあたったという点で共通する」と話す。

在位30年超 10人

 平成の天皇陛下の在位期間(30年3か月)は、信頼性の高い記録が残る推古天皇以降(南北朝時代の北朝を含む)で、10番目の長さだ。在位期間が30年を超えたのは10人で、最長は昭和天皇の62年。2番目は明治天皇の45年で、江戸時代に朝廷の権威復興に努めた光格天皇の37年と続いている。

 代替わりに伴い、新天皇陛下の弟の秋篠宮さまが皇太子待遇の皇嗣こうしとなられた。米田名誉教授によると、南北朝から江戸時代前期までは皇太子が立てられない時期が続き、兄が天皇、弟が皇太子という確かな例は、鎌倉時代の後深草ごふかくさ天皇(在位1246〜59年)の時代まで遡るという。