複数の“ドローン”目撃情報 実はヘリと見間違え?(19/05/03)
皇居上空にドローンが出没 新天皇の一般参賀控え、警視庁が捕獲作戦
新天皇、新皇后が即位後、初めて国民の前に姿を見せる一般参賀を明日に控え、”不穏な”情報が飛び交っている。
「皇居・半蔵門付近上空に点滅するドローンのような飛行物体を確認しました!」
5月2日夜8時過ぎ、皇居・桜田門付近で警戒中の機動隊員の無線通報で、付近で警戒中の警察官は一斉に上空を見上げたという。
ドローンの目撃情報は同時間帯で都内各地で相次ぎ、東京五輪のメイン会場である国立競技場の付近など10か所以上の目撃情報があった。捜査関係者によると、目撃されたドローンは白と赤のライトを点滅させ、特有の「羽音」をさせていたという。
警視庁の捜査関係者はショックを隠さない。
「夜間でのドローン飛行対策は発見や捕獲が難しい。今回は特別警備の中での目撃情報で、警備に穴があることをいわば露呈してしまった」
ドローンは遠隔操作や自動操縦で飛行する無人航空機。最近では小型化も進み、安価で入手は容易だ。
2015年4月には首相官邸屋上で放射性物質の存在を示すシールが貼られた容器を搭載したドローンが見つかり、警視庁が威力業務妨害容疑でこのドローンを飛ばした男を逮捕する事件も発生している。
事件を受けて同年に施行された改正航空法で禁止空域や飛行方法が定められている。そして、2016年3月には皇居などの上空飛行を禁じるドローン規制法が成立していた。
警察庁によると、全国の警察が2018年に違法飛行など航空法違反容疑で摘発したドローンに関連する事件は、夜間の無承認飛行など82件だった。
警視庁が今回の警備にも投入したのは「迎撃ドローン」だ。各機動隊に配備し、操作に習熟した隊員が縦3メートル、横2メートルの網をぶら下げた大型ドローンを飛ばし、空中でからめ捕る。そして、網を地上から発射し上空のドローンを捕獲する手法だ。
さらに、妨害電波を発してドローンを無力化する「ジャミング装置」も配備していた。
「夜間での確認、補足法など抜本的に対策を講じないといけない」(前出・捜査関係者)
警視庁では飛行物体はドローンとみており、航空法違反容疑も視野に飛ばした人物の特定を急いでいる。
5月4日に予定される新皇室の一般参賀でも、警視庁は数千人規模で周辺を警戒。ドローン対策も徹底する方針だ。
昨年の異常気象、気流が原因=今後も頻繁に発生か-英研究
【ロンドン時事】2018年夏に日本を含む世界各地を襲った異常気象が、北半球のジェット気流の変化によって引き起こされた可能性が高いことが3日までに、英オックスフォード大などの研究で明らかになった。気流の変化は近年増加傾向にあり、研究者は「気候変動や地球温暖化によって将来さらに頻繁に発生すると予想される」と警告している。
研究結果によると、西日本やバルカン諸国を襲った集中豪雨、北米や西欧など各地の記録的高気温が、いずれも上空1万メートル付近を吹くジェット気流の変化と強い関係があった。特定の気流の蛇行パターンが影響していたという。
この結果、何週間も熱波が一部の地域に滞留するなどし、「暖かな晴れの日は高温と干ばつに、雨の日は洪水に変わった」とされる。同様の気流の変化は03年や06年、15年などにも見られ、近年増加傾向にある。
同大のカイ・コーンフーバー氏は「18年夏に異常気象が起こった場所や時期はランダム(でたらめ)ではない」と強調。異常気象に見舞われた地域が世界の穀倉地帯と重なっており、食料生産のリスクを増幅する可能性があると指摘している。
象徴天皇制「支持」74% 自民支持層も8割超す 毎日新聞世論調査
2019/05/02 18:01
日本国憲法は3日、1947年の施行から72年を迎えた。毎日新聞が憲法記念日を前に4月13、14日に実施した全国世論調査で、今の憲法第1章に定められた象徴天皇制についてどう思うかを尋ねたところ、「現在の象徴天皇制でよい」と答えた人が74%と多数を占めた。「天皇制は廃止すべきだ」は7%、「天皇を現在よりも、もっと権威と力のあるものにすべきだ」は4%で、いずれも少数にとどまった。
自民党は野党時代の2012年にまとめた憲法改正草案で天皇を「日本国の元首」と位置づけたが、国民主権との整合性などの観点から、与野党に慎重意見が強い。今回の調査では、自民支持層の81%が「現在の象徴天皇制でよい」と回答し、支持政党がない無党派層でも75%と高かった。現行憲法に基づく象徴天皇制が国民に広く定着している様子がうかがえる。
◇安倍政権での改憲「反対」48%
安倍政権の間に憲法改正を行うことへの賛否については、「反対」が48%と、「賛成」31%を上回った。自民支持層は「賛成」が61%で「反対」24%を上回る一方、無党派層は「反対」が56%を占め、「賛成」は21%だった。
自民党が昨年に策定した改憲条文案は、今の9条1項と2項を維持した上で、新設する9条の2で「(現行2項が)必要な自衛の措置をとることを妨げない」としつつ自衛隊の存在を明記した。この案に対しては「賛成」27%、「反対」28%と割れたが、最多は「わからない」の32%だった。【岩嶋悟】
◇調査の方法
4月13、14日の2日間、コンピューターで無作為に数字を組み合わせて作った固定電話と携帯電話の番号に調査員が電話をかけるRDS法で調査した。固定では、福島第1原発事故で帰還困難区域などに指定されている市町村の電話番号を除いた。固定は18歳以上の有権者のいる845世帯から501人の回答を得た。回答率59%。携帯は18歳以上につながった番号672件から555人の回答を得た。回答率83%。
「天皇陵」の真実をどれだけ知っていますか クフ王のピラミッドを上回る陵もある
モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「天皇陵」。意外と知らない基本中の基本から、あまり知られていない逸話まで。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
この連載の一覧はこちら
01 天皇、皇后、太皇太后、皇太后を葬る所を「陵」という。
02 その他の皇族である皇子や皇女を葬る所を「墓」という。
03 皇族の墓である可能性があるもので、被葬者を特定せず宮内庁が管理している墓所は「陵墓参考地」と呼ぶ。
04 さらに分骨所、火葬塚、灰塚、髪歯爪を納めた塔や塚、本葬前に仮葬をした殯斂地も含めて陵墓と総称される。
05 宮内庁が管理する陵墓の総数は陵墓参考地を含め897。
06 陵は188あり、そのうち歴代天皇陵は112箇所。
07 陵墓の所在地は兆域の重複を差し引いても459箇所。北は山形、南は鹿児島まで1都2府30県に分布している。
08 陵墓の60%以上が京都に所在する。
09 全国の陵墓の総面積は約652万4000平方メートル。皇居の約6倍の広さに相当する。
10 「陵」は「りょう」「みささぎ」(古くはみさざき)と読む。
歴代天皇陵の場所が特定された時期は?
11 歴代の天皇陵の場所が特定されたのは江戸時代。最初に治定と整備に取りかかったのは五代将軍徳川綱吉。
12 尊王攘夷思想が高まった幕末には大半の天皇陵が確定とされ、明治以降に宮内省、宮内庁に引き継がれた。
13 陵墓の位置や被葬者は『古事記』『日本書紀』『延喜式』などの文献や伝承を手掛かりに指定された。
14 新資料の発見などにより位置や被葬者を修正した例もあるが、天皇陵は1889年以降見直しはされていない。
15 陵墓は皇室用財産に指定される。文化財保護法の適用外とされ、公開や調査が厳しく制限されている。
16 陵墓を一括して管理しているのは宮内庁書陵部。
17 全国の陵墓は、多摩、桃山、月輪、畝傍、古市の5カ所の陵墓監区事務所が分割して管理にあたっている。
18 陵墓は皇室の祖先のお墓として今も祭祀がとり行なわれている。
19 昔は陵墓に立ち入る際、背中に羽をつけ烏の恰好をするなど事前に儀式を行なう習わしがあったという。
20 日本には、大小合わせて15万から20万の古墳が存在するといわれる。
21 そのうち前方後円墳は4700基~5200基ともいわれる。
22 円墳と方墳を連結させた、上から見ると鍵穴のような形の前方後円墳は日本独特の墳形で、なぜこの形になったのかはいまだ謎。
23 その他に古墳の形の種類として、前方部を短くした帆立貝型墳、円形の円墳、四角形の方墳がある。
24 前方部と後円部の境目にある飛び出た部分は「造り出し」と呼び、祀りをした場所と考えられている。
25 大型の古墳にはその周囲に付随するように小型の古墳「陪塚(ばいちょう)」が築造されていることが多い。
26 初期の埴輪は円筒形や壺形が主流で、古墳の土壇を囲むように並べられ、墳丘装飾のほかに被葬者を外部から遮断する意味合いも持っていた。
27 棺が納められる石室は、古墳時代の中頃までは竪穴式、それ以降は横穴式が主流。
28 3世紀半ばから7世紀にかけて、古墳の築造が盛行した時代を古墳時代と呼ぶ。
29 「古墳」とは古墳時代の墓を指すもので、それ以前の弥生時代の墓は「墳丘墓」、それ以後の奈良時代の墓は「墳墓」など区別して呼ばれる。
30 奈良の纏向古墳群は前方後円墳発祥の地とみられる。
前方後円墳がつくられたのは600年ごろまで
31 纏向古墳群のある桜井市巻向地区は最古の神社といわれる大神神社の西に位置し、ヤマト王権が誕生した地ともいわれる。
32 纏向石塚古墳は3世紀初頭築造と推定され、前方後円墳成立期の古墳として注目されている。被葬者は不明。
33 定型化した最初の前方後円墳とされる箸墓古墳も纏向古墳群に所在する。
34 箸墓古墳について宮内庁では孝霊天皇皇女・倭迹迹日百襲媛命墓「大市墓」に治定している。
35 箸墓古墳は邪馬台国女王卑弥呼の墓説がある。
36 第1代神武天皇陵として治定される畝傍山東北陵は、橿原宮の跡とされる橿原神宮の北側に位置する円丘墳。
37 以降4代の天皇の陵墓が畝傍山近辺に治定されている。
38 第9代開化天皇陵(春日率川坂上陵)は天皇陵として最初の前方後円墳となる。奈良市の繁華街にあり、ホテルの横が参道となっている。
39 全国的に広く分布していた前方後円墳は、600年ごろには各地域で築造されなくなった。
40 第30代敏達天皇陵が最後の前方後円墳。
41 大化の改新後は「薄葬」という簡素な葬儀、御陵が基本となった。
42 平安遷都以後は天皇陵の築造の地も主に京洛に移った。平安~鎌倉時代は洛西に多く造られ、龍安寺には5人の天皇が葬られている。
43 洛南の深草北稜は第89代後深草天皇に始まり北朝天皇2代を含めて107代後陽成天皇まで12人の陵からなり十二帝両とも呼ばれる。
44 江戸時代の天皇陵はほとんどが東山区泉涌寺の月輪陵などにまとめられている。
45 明治天皇陵は洛南の伏見桃山御陵。豊臣秀吉が築いた伏見城の本丸跡でもある。
46 明治天皇陵は天智天皇陵を範とした上円下方墳を採用。
47 昭和天皇の陵は東京都八王子市にある武蔵野陵。一辺が27mの上円下方墳。
48 天武天皇・持統天皇は奈良県明日香村の野口王墓古墳(檜隈大内陵)に合葬されている。
49 野口王墓古墳は鎌倉時代に盗掘された記録があり、その内容が『日本書紀』に記された天武・持統両天皇の合葬陵とほぼ一致していたことから被葬者が確定された。
50 継体天皇陵として宮内庁が認定しているのは大田茶臼山古墳(三嶋藍野陵)だが、学界では今城塚古墳が継体天皇陵というのが定説。
今城塚古墳は自由に立ち入れる唯一の天皇陵
51 今城塚古墳は宮内庁指定の陵墓及び参考地ではないため自由に立ち入ることができる唯一の天皇陵といえる。
52 今城塚古墳は2011年に歴史公園「いましろ大王の杜」として整備され、高さ11mの後円部に登ることもできる。
53 第29代欽明天皇陵として飛鳥西部の梅山古墳が治定されるが、近くの五条野丸山古墳を真陵とする説も有力。
54 五条野丸山古墳は全長318m、奈良県最大の前方後円墳。
55 第37代斉明天皇陵は越智崗上陵とされてきたが、近年明日香村の牽牛子塚古墳が八角墳と分かり、こちらが真の斉明天皇陵との見方が強まっている。
56 八角墳は天智陵、舒明陵、天武・持統陵など飛鳥時代の王墓にだけ認められたとされる特殊な墳型。
57 日本武尊の陵「白鳥陵」は、古市古墳群の軽里大塚古墳と、奈良県御所市の2カ所に治定されている。
58 日本武尊は終焉の地とされる伊勢国能褒野に葬られたともいわれ、ここには「墓」がある。
59 大阪府南河内郡太子町の磯長谷は敏達、用明、推古、孝徳の4陵の天皇陵があり「王家の谷」と呼ばれる地。
60 聖徳太子の墓、叡福寺北古墳も王家の谷にある。直径55mの円墳で、鎌倉時代の記録によれば横穴式石室には三つの棺が納められ、太子と母、妻のものとされている。
61 最も小さい陵墓は1平方メートルにも満たない。
62 堺市は百舌鳥・古市古墳群の世界文化遺産登録を目指している。実現すれば大阪初の世界遺産。
63 百舌鳥・古市古墳群は、大阪の南部、堺市、羽曳野市、藤井寺市の3市にまたがる巨大古墳群。
64 この古墳群では4世紀後半~6世紀前半に200基を超える古墳が築造され、現在でも89基の古墳が残っている。
65 墳丘長が200mを超える古墳は全国に40基近くあり、そのうち11基は百舌鳥・古市古墳群に存在する。
66 百舌鳥古墳群を代表する古墳にして日本最大の古墳が墳丘の長さ486mを誇る仁徳天皇陵。
67 仁徳天皇陵は5世紀前半から半ばにかけて築造されたと考えられている。
68 仁徳天皇陵はエジプトのクフ王のピラミッド、中国の始皇帝陵と並ぶ「世界三大墳墓」のひとつとも称される。
69 仁徳天皇陵の平面積は47万8600平方メートルで甲子園球場が12個入る広さ。クフ王のピラミッドを上回る。
仁徳天皇陵はとにかく巨大
70 仁徳天皇陵の墳丘総土量は140万平方メートル。10tダンプカーで27万台分に相当。
71 仁徳天皇陵には2万個以上の埴輪、約537万個の葺石が置かれていたとされる。
72 この古墳を造るには1日最大2000人が働いても15年8ヵ月の工期を要する。
73 延べ作業員数は約680万人、総工事費は約800億円と試算される。
74 仁徳天皇陵は第二次大戦後、米軍が米国人考古学者とともに発掘し、出土品が米国に送られたという巷説がある。
75 応神天皇陵(誉田御廟山古墳)は古市古墳群の代表格。墳丘長は国内2番目の大きさ。
76 履中天皇陵に治定される上石津ミサンザイ古墳は百舌鳥古墳群のひとつ。墳丘長は365mで国内3番目の規模。
77 安閑天皇陵古墳からは6世紀ごろのササン朝ペルシアで作られたとみられるガラスの器が出土。
78 大阪府近つ飛鳥博物館では仁徳天皇陵のジオラマ(1/150)を見ることができる。
79 大仙公園では体験型イベント「百舌鳥古墳群歴史リアル謎解きゲーム」も開催。
80 堺市市役所21階展望室、三国ヶ丘駅の「みくにん広場」、百舌鳥駅前歩道橋などは仁徳天皇陵を見渡すスポットとして知られる。
81 堺市博物館ではVR技術を用いて上空300mからの仁徳天皇陵古墳の雄大な眺めと、古墳内部の石室をCGで再現した映像を体験できる。
82 仁徳天皇陵近くの手作りパン工場「ロアール」には古墳をイメージした「御陵パン」コーナーがあり、前方後円墳の形に焼き上げられた「御陵あんぱん」が人気。
83 2019年に審査を迎える百舌鳥・古市古墳群。世界遺産登録が決まれば経済効果は1000億円に達するとの試算も。
84 天皇陵の名称は、天皇の名前を冠したもののほかに、『延喜式』の記載に則った陵名がある。
85 さらに遺跡の所在地名をあてる考古学会の遺跡命名法に基づく表記法も併用されている。
86 たとえば仁徳天皇陵は陵名「百舌鳥耳原中陵」。遺跡名で「大仙古墳」「大仙陵」「大山古墳」などと呼ばれる。
87 また、被葬者が仁徳天皇である確証はないことから「伝仁徳天皇陵」と呼ばれる場合もある。
88 江戸時代は大山古墳(仁徳天皇陵)にも自由に出入りでき、役人がここで酒宴を催したという記録も残っている。
89 江戸時代には巨大な古墳は「みささぎ登り」という行楽地になっていた。
90 江戸時代には天皇陵探索の気運が高まり、本居宣長が大和盆地の古墳の観察記録『菅笠日記』、蒲生君平が近畿の天皇陵・旧跡の考察『山稜志』を著した。
独自の参拝記念印「御陵印」は全部で93印
91 大阪府高槻市には、かつて大王の墓の周りに置かれていた埴輪を作っていた工場跡の史跡が残る。
92 この史跡は現在「ハニワ工場公園」、「ハニワ工場館」として公開されている。
93 天皇陵は一般に中に入れないが、白砂が敷き詰められた先に鳥居を望む拝所が設けられている。
94 前方後円墳の場合は前の方形部の正面に拝所が設けられている。
95 歴代の天皇陵にはそれぞれ独自の参拝記念印「御陵印」が用意されている。
96 御陵印はかつて各陵墓に用意されていたが、現在は5カ所の陵墓管区事務所にエリアごとに分かれてまとめて置かれている。
97 歴代天皇は124代122人だが合葬などのケースがあるため御陵印の数は全部で93印。
98 宮内庁は2018年10月、仁徳天皇陵の一部を発掘調査すると発表している。
99 神武天皇陵は皇族が成年を迎えると参拝する習わしがある。
100 2019年3月には退位直前の平成天皇が神武天皇陵を訪れ「親謁の儀」で退位を報告した。