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日本在住歴38年の英国人アダム・フルフォードさん(62)は今、日本の田舎が持つ魅力を国内外の人に伝え、都市と地方の住民を結びつける活動をしている。
来日以来、フルフォードさんはNHK「英語でしゃべらナイト」など、多くのテレビ番組で英語監修や制作などの仕事をしてきた。小泉純一郎元首相に英語指導をした経験もある。仕事を通じて「日本」のことをよく知るフルフォードさんだが、「今こそ日本人は地方に立ち戻らないといけない」と話す。
民間の有識者による日本創生会議の推計によると、2040年までに全国の896自治体が「消滅可能性」があるとの指摘している。その状況でなぜ、フルフォードさんは日本の田舎を守る活動をしているのか。そこには、「このままでは日本が消えてしまう」という危機感があった。
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──なぜ、日本の田舎が大切だと考えているのですか。
東京は、ニューヨークやロンドンとも違う、世界に二つとないユニークな都市です。優れたサービスに加えて安全で、犯罪率は少なく、街は清潔。新宿区の新成人の約半数は外国人で、世界にも開かれています。
しかし、日本という国のアイデンティティは東京だけにあるわけではありません。アマゾンに動物や植物の多様性があるように、日本国内には多様な世界があります。たとえば、北海道と沖縄では独自の文化や歴史がある。山形と広島でも違うし、一つの県でも、地域が変われば風景が異なるところもあります。
そのことを強く感じるようになったのは、2010年に、農林水産省の「美の里づくりコンクール」の審査員を務めてからです。14年には、同コンクールで農林水産大臣賞を受賞した山形県飯豊町にある人口約280人の中津川地区を訪れ、日本の「村」が持つ価値をたくさん学びました。
──どのようなことに感銘を受けたのですか。
中津川の人たちは厳しい自然に耐えながら、持続可能な暮らしをずっと実践してきました。特に、ふだんは注目されることの少ないお年寄りの方々から話を聞けたことは、貴重な体験でした。そこには、日本人だけではなく、人類全体にとって大切な「智慧」がたくさんありました。
たとえば、中津川がある置賜(おきたま)地域には、恵みを与えてくれる草木をたたえる「草木(そうもく)塔」と呼ばれる石塔があります。私は日本に来て、仏様に報告したり、神々に感謝の気持ちを伝えたりする日本人の姿に惹きつけられましたが、草木塔の前に立ち止まり、自然の恵みへの感謝を体現することに感動を覚えます。
日々の生活では「相手を想う心」を大切にしています。さきほど、日本には多様な文化があると話しましたが、この「相手を想う心」は日本人が共通して持っているものです。東京が魅力的な都市であるのも、日本の村にあった文化や習慣が、現代に現れていると私は考えています。
私の祖国である英国は日本と同じ島国ですが、山が少ないために日本よりはるかに人の移動が簡単です。そのため、英国のローカル文化は急速に薄れていて、方言も少なくなってきました。日本は急峻な山が多いので、多様な文化がたくさん残っています。これは、世界的に見て貴重なことなのです。
──しかし、日本の村は現在、人口減少によって存続が危ぶまれています。
私は、日本人の女性と結婚して3人の子供がいます。3人とも日本国籍です。親としては、今後の日本がどのような道を歩んでいくのかは、とても気になることです。
万華鏡のような村の文化が失われることは、日本にとってではなく、人類全体にとって大きな損失です。このまま地方の衰退が続けば、日本には東京と、東京に似た都市、あとは「観光地化された村」しか残らないでしょう。村がなくなれば、東京が持つ魅力も失われることになると思います。
だから、数百年にわたって持続可能な暮らしを実践してきた村の人たちのDNA(遺伝子)を残していかなければなりません。戦前生まれの人たちが減少していくなかで、その人たちの歴史を残すことは、今やらなければならない。持続可能で多様な暮らしを実践してきた村の人たちの智慧は、これからの人類にとって大きな財産なのですから。
──具体的にどのような活動をしているのですか。
私は、亜細亜大学で非常勤講師として異文化コミュニケーションを教えています。異文化コミュニケーションといっても、英国と日本の違いを教えているわけではありません。それは、つまらないですから(笑)。
異文化とのコミュニケーションが必要とされるところは、もっと身近にあります。若者と高齢者、東京と地方、大学のキャンパス内と周囲の街ではどう違うのか。異文化は、自分の周囲にたくさんあるものです。
学生たちが身近な異文化とコミュニケーションをすれば、自分自身のアイデンティティも客観的に認識できるようになります。それができてはじめて、外国人と日本人の違いも理解できるようになるのではないでしょうか。
そこで、学生たちを中津川に連れて行き、おじいさんやおばあさんと交流し、中津川の未来を考えるプロジェクトを実施しています。
──都市と地方、若者とお年寄りなど、接したことのない人には「村」は異文化のかたまりかもしれませんね。
そのとおりです。ポイントは、宿泊先はホテルではなく農家民宿にすること。自宅で熊の肉やヤマメの刺し身など地元の料理で食事を楽しみながら、村の歴史や文化を話す。そうすると、「昔は肥料集めてから学校に通っていた」といった昔話や、コミュニティを維持するための習慣や文化を学ぶこともできます。
同じように、日本在住の外国人を連れて行ったこともあります。外資系企業の社員、ジャーナリスト、コンサルタントといった人たちと、家族と一緒に訪問する。そこで、中津川の未来を考えるワークショップも開催しました。
──参加者にはどのような反応がありましたか。
外国人にとって、伝統的な神社や仏閣を訪ねるのも素晴らしい経験ですが、日本の村にある一軒の家を体験するのは、また違ったものです。どこか、親戚の家に帰ったような感覚になるんですよね。
日本を観光で訪れる外国人は増えていますが、その人たちが求めているのは、こういった「心の癒やし」だと思います。都会で日々の生活に追われていると、心が傷つくこともあります。「禅」という文化が外国で人気があるのも、無意識に「癒やし」を求めているのではないでしょうか。
日本では、割れたお椀を漆で接着して、金で飾る「金継ぎ」という修復技術があります。私は、村に行くことで「心の金継ぎ」ができるのでは、と考えています。
──最近では「村」という言葉が「閉鎖的」「排他的」という意味で使われ、経済合理性から村は消滅してもしょうがないという考え方もあります。
たしかに、村には複雑な人間関係があります。厳しい自然や時代の変化に対応するためには、「相手を想う心」を持ちながら、支え合って生きていかなければなりません。そのなかで、コミュニティの利益を損なう可能性のある行動や態度が問題視されることもあるでしょう。
ただ、知っておかなければならないのは、「相手を想う心」は、厳しい自然環境を生き抜くための現実的な考え方から生まれたということです。社会の変化、気候変動による災害にも、村の人たちは「相手を想う心」で対応してきました。
だから、私のような外国人が訪ねても、村の人達は積極的に交流してくれます。お互いに学びがあり、新しい発見がある。東京に限らず、都会に住む人たちは、自らが持っている影響力をもっと地方のために活かしていくべきです。
──今後の活動はどのような活動を考えていますか。
私も62歳になって、これからは衰えていくだけ(笑)。なので、体が動かなくなるまでに、別の地域に活動を広げたいですね。
私たちは今こそ日本の村に立ち戻り、過去と現在を学び、新しい未来への道を見出さなければなりません。その歩みは楽しく、実りの多い道です。
最近では「CSR(企業の社会的責任)」という言葉がよく使われていますが、私は、「CCR(企業の文化に対する責任)」というフランス発祥の新しいコンセプトに注目しています。日本の万華鏡のような文化を残すために、できることはたくさんあります。まずは日本にある英国企業に「もっと田舎に行こうよ」と呼びかけていきたいですね