十七夜(立ち待ち)月
・源氏は女三の宮のところへ、
久々に来たので急に、
帰りもならず、
気が気でないところへ、
「ただいま、
息が絶えられました」
と二條院から急使が来た。
源氏は、
目の前が真っ暗になる気がして、
二條邸へとって返した。
近くまで帰ってくると、
道にまで人があふれて、
騒いでおり、
邸内には泣き声が充ちている。
「ここ二三日は少し、
持ち直していられましたのに、
にわかに容態が変わられました」
と女房たちは告げ、
泣きまどうている。
もう望みはないのかと、
源氏は強いて心を取り直し、
「待て!
物の怪のしわざかもしれぬ。
むやみに騒ぐな」
と制して、
加持の僧たちにいっそう烈しい、
祈願を立てさせた。
哀訴の祈願の声は、
邸内をゆるがす。
源氏も、
「もう一度、
一度だけでよい、
私を見て下さい」
と取り乱して、
紫の上の体をゆすぶる。
源氏の悲嘆が、
仏のお心に届いたものか、
この何か月ものあいだ、
修法しても一向に現れなかった、
物の怪が小さい女童にのり移った。
よりましの女童が、
叫びののしるうちに、
紫の上は息を吹き返した。
「おお・・・
生き返った。
あの物の怪のせいだったのか。
嬉しや、よう生き返ってくれた」
源氏は紫の上の手を握り、
再び絶え入りはせぬかと、
おろおろするばかり。
物の怪は烈しく調伏されて、
踊りあがって叫ぶ。
「人はみな去れ。
源氏の院おひとりに、
話したいことがある。
この何か月、
私を祈り伏せようと、
苦しめられるのが憎さに、
紫の上を取り殺そうと思ったが、
あまりに源氏の院が、
お嘆きになるゆえ思い直した。
今こそ、
浅ましい物の怪だけど、
もとはといえば人間、
源氏の院恋しと、
心に沁みついた思いは失せず、
物の怪の私の正体を、
知られたくなかったのだけれど・・・」
と髪をふり乱して泣くさま、
その昔、亡き正妻、葵の上に、
とりついた六條御息所の物の怪、
そのものではないか。
源氏は寒くなった。
あの時の不気味さ、
恐ろしさが、
まざまざとよみがえる。
源氏は物の怪がのり移った、
女童の手を捉え、
しっかと抑えこんで、
身動きを封じながら、
「まことにその人の物の怪か。
たしかに名乗れ。
人の知らぬことで、
私だけにわかるようなことを、
言ってみよ。
それなら信じよう」
というと、
物の怪ははらはらと涙をこぼし、
「まあ、おとぼけになって。
私の正体はおわかりのくせに」
泣きながらいうさま、
六條御息所そのものである。
源氏はぞっとして、
うとましく不気味になった。
物の怪はいい続ける。
「娘を中宮にして頂いて、
私はあの世で喜んでおりますが、
別世界のことのようで、
わが娘のことは、
深く心に沁みません。
それよりも報われぬ愛の傷み、
愛されなかったつれなさへの、
怨みばかりが執念となって、
この世にとどまっております・・・
生きているうち、
他の人より、
愛されなかった怨みより、
なお憎い怨みがございます。
あなた。
あなたは紫の上と、
むつまじい物語のうちに、
私のことを貶められました。
気位が高い、
うちとけぬ、
可愛げのない女だと、
お話になりました。
お怨みに思います。
たとえ他の人が、
私の悪口を申しても、
それをとりなして、
庇い立ててくださるもの、
とばかり信じていました。
その怨みで、
このひとにとりつきました。
このひとを憎んでいるのでは、
ありません。
あなたには神仏のご加護が、
強くてとりつけないのです。
調伏の読経が苦しくて、
なりません。
あなた。
娘の中宮にもこのことを、
お伝え下さいまし。
女の嫉妬と悪業の浅ましさを、
伝えてやってくださいまし。
宮仕えの間も、
人を嫉んだり、
争ったりなさいますな、
と・・・」
源氏は言葉もなく、
女童を一室に閉じ込め、
紫の上を別の部屋に移した。
(次回へ)