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愛する浦和レッズと、軽く食べ歩いているラーメンとたまに思い出したようにジャズと洋書について書いてたのも今は昔。低空飛行が続いてましたが、そろそろ再起動したい。
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池の水が抜かれる前に丸亀城(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-03-23 22:47:48
(
前回
からのつづき)
スーツ姿のサラリーマンが夏場のまだ明るいうちから汗だくで丸亀城を回った記録の続きです。大手二の門をくぐって右手に高麗門「大手一の門」が聳えています。江戸時代の1670年、京極氏の時代に完成したものだそうです。
大手二の門をくぐると左手には山上に向かう「見返り坂」を見上げることができます。奥に見えるのはお土産も買えそうな観光案内所です。
その観光案内所を過ぎてさらに歩を進めるとこの「絶景」。一瞬「まえにそびえ しりえにさそう」という「箱根八里」の一フレーズが頭を過ったように感じました。夕方とはいえまだまだ暑い7月の15時台にオレは今からこの坂を上っていくのか、とあらためて自らの酔狂さを呪いました。
見返り坂の急な坂を上っていくと、この美しい曲線美を拝むことができます。平山城である丸亀城はまごうことなき石垣の名城といえましょうが、その圧倒的な石垣群の中でも特筆すべきもので惚れ惚れします。
視線を右に移してもそこには荒々しくも見事な石垣を見上げることができます。
こちらは愛媛・松山出身の歌人・高浜虚子の句碑があります。「稲むしろ 飯の山あり 昔今」は讃岐富士こと飯野山を仰ぎ見て読んだものだそうです。
「見返り坂」の由来は坂の傾斜が急で時折振り返りたくなるから、という実にわかりやすいものであるようですが、それを知らずに無意識に振り返るとご覧の絶景。我ながらなかなかの一枚ではないかと思っています。
ある程度上りきって一段落。高浜虚子が一句詠みたくなる気持ちもわかります。
(つづく)
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池の水が抜かれる前に丸亀城(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-02-10 23:42:26
昨年7月に出張で香川県丸亀市まで足を伸ばす機会があり、チャンスは最大限に活かす、ということで全国に12のみ残る現存天守のひとつである丸亀城を2度目の訪問。この出張では節約とLCC体験を兼ねて成田空港からLCCのジェットスタージャパンで高松空港まで飛びました。出張当日に早起きして成田まで足を伸ばすのは正直しんどいですが、それでも片道5,000円台で香川まで飛べるのは抗えない魅力があります。
高松空港から丸亀への移動はリムジンバスで1,200円でした。特徴的な円錐型?の山々やため池など香川らしい風情が広がる車窓を楽しみながらの旅は悪くありません。座席のシートから何となく想像はつくでしょうが、さすがに最新鋭のバスというわけにはいかず、乗り心地は「並」なのはまあ致し方ないところでしょう。
昼前からの用務を済ませ、同行者とは遅めのランチを済ませて首尾よくそのまま現地解散となりました。香川の定番土産に「かまど」という饅頭のようなものがあるのですが、丸亀駅前にあったその「かまど」の喫茶というのが大変気になったのですが、じっくりと城を愛でる時間を確保するために今回は泣く泣く我慢しました。
7月の晴れの日ということで駅からおとなしくタクシーで向かえばよいものを、血迷って歩いて汗だくになりながら官庁街にある丸亀城の大手二の門前に到着。門の背後にそびえる天守という構図が我ながらなかなか。日の午後ということで人気もまばらで遠慮なく舐めるように見回ることができるというものです(笑)
大手二の門前から左手の内堀を臨む。汗だくのおじさんにとっては誠に涼やかな眺めです。
同じく右手の内堀。完成にあたり羽坂重三郎の貢献が大きかったという丸亀城名物の石垣は相変わらず惚れ惚れするフォルムです。
お堀を優雅に泳いでいた亀さんです。
(つづく)
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出張の合間の京都紀行(4)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-02-03 03:25:24
(
前回
からのつづき)
伏見稲荷大社の参拝ということで、外国人観光客でごった返す千本鳥居よりもむしろいわゆる「おやま巡り」に足を伸ばしたかったのですが、出張の合間で時間も限られ、しかもスーツに革靴という井出達のため奥社奉拝所までも行かずにあえなく退却となりました。「別世界」などと形容される奥院にはいつか必ず訪れてみたいと思っています。
まあしかし、ここに限らず京都全体の問題なのでしょうが、外国人の方々を中心に数多の観光客でごった返している状況でした。ですので、時間帯をしっかり選んだ上で、かつ、おやま巡りの所用時間が2時間ほどとされていることもふまえると、十分な時間的余裕をもった上で、かつ運動に適した服装であらためて来る必要がありそうですね。そういうわけで若干の心残りはありつつも伏見稲荷大社を後にして、京阪の京都方面行に乗ります。
次の訪問先は「御寺(みてら)」とも呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)で、京阪の東福寺駅で下車します。駅から徒歩だと15分かかるということで、タクシーを利用して一気に大門前まで。皇室の菩提寺であることが御寺と呼ばれる所以ですが、こちらも弘法大師空海と縁があるようで、平安時代に空海がこの地の草庵を結び法輪寺としたのが起こりともされ、その後鎌倉時代に月輪大師(がちりんだいし)が大伽藍を造営して中興を果たしたと言われています。
大門から参道を下ったところには仏殿が見えます。個人的な印象ですが、こうした施設は門を潜って見上げる形が多いであろうところ、参道を「下った」ところにあるというのは珍しい気がしました。現存する仏殿の建物は江戸時代に4代将軍家綱公により再建されたものになるようです。仏殿の内部は見学できるようになっており、そこでボランティアでご説明下さるご婦人に少し水を向けたところ、孝明天皇については「長州による暗殺」と断言され、明治政府と同政府が発出した神仏分離令についてはかなり批判的でした。京都には都を荒らし御所に大砲を打ち込んだ長州がお嫌いの方も多いとも聞いたことがありますし、まあむべなるかなというところでしょう。
こちらは仏殿に向かう参道の右側にあった浴室。こちらも4代将軍家綱の治世のもので明治時代にこの場所に移築されたものであるようです。文字通り僧たちが身を清める場所として使われていた施設で、風呂は蒸し風呂方式になるとのことです。さすがに今は使われていないのでしょうね。
唐門の奥に見えるのが霊明殿で、こちらで歴代天皇のお位牌が安置されています。明治時代に火災で焼失して再建されたものですが、こちらに、仏教に帰依したのであろう天智天皇、光仁天皇から昭和天皇にまで至る歴代天皇+皇后の位牌があるというのは、国家鎮護のために大仏を建立してしまうくらい歴代天皇が「仏教徒」だったことをふまえてもなお、少々の驚きを禁じ得ないところです。
こちらは勅使門で、皇室の皆さんや天皇の勅使がお通りになる門ということになるようです。こちらも江戸時代天保年間に再建されたもので、奥には「お車寄せ」もあるようです。お「車」寄せといっても馬車用ということになるようですが。いわゆる菊の御紋も見られますね。
こちらが歴代天皇の陵墓にあたる月輪陵(つきのわのみささぎ)で、光格、そして上述の孝明という江戸時代最後の天皇までのお名前が、皇后、皇太后、親王なども含めて並んでおり、勝手に身の引き締まる思いでした。
そして帰路大門の傍らに唐突に「楊貴妃観音堂」なる建物を発見。世界3大美女などとも言われる楊貴妃の名がなぜ御寺に?とお思いましたが、開山の祖・月輪大師が中国での修業時に請来されたのがここにある楊貴妃観音像で、楊貴妃の夫である唐の玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈ってつくったと伝えられているものなのだそうです。そんなわけで巷では「日本一美しい観音像」とも言われているようで女性に人気、と言われていますが、私が行ったときはタイミングが悪かったのは自分含めおっさんが3人いるばかりでした(笑)
(おわり)
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出張の合間の京都紀行(3)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-01-27 01:21:18
(
前回
からのつづき)
というわけで京都駅ほど近くの東寺をざっとめぐったのですが、こちらも本来の目的は東寺からやや東北に位置する石上神社(いそのかみじんじゃ)でした。ご覧のとおりこぢんまりとしたお社ですが、こちらは長らく東寺=真言宗の政所(まんどころ)、つまり政務や事務を司る阿刀(あと)家の屋敷があったとされる場所に鎮座しており、境内にある石上布留社(いそのかみふるしゃ)はその阿刀家の祭壇だったと言われています。そしてその阿刀家は空海こと弘法大師の母の実家ということになるようです。
下の能書きにあるとおり、空海の伯父にあたる人物がその阿刀家に婿に入り阿刀大足となり、以降明治維新直後に至るまで阿刀家が東寺執行家として政所を司っていました。今更説明不要の空海上人は唐留学から帰り真言密教を日本に広めた人物で、帰国後に空海が嵯峨天皇に託されたのが東寺でした。その東寺のそば、しかも東寺の「鬼門」という見方もある場所にあった政所が神社として現在に至るというのは、明治維新まで日本が神仏習合の国だった点にかんがみても俄かには理解しがたい部分があり興味を引かれるところです。
しかも、石上神社の境内にある波切不動堂は空海の「地盤の明王」とされる波切不動明王を祀っています。たとえ東寺、四国のいわゆるお遍路や本山の高野山にお参りしたとしてもこの明王様にお参りしなければご利益がいただけない、と真言宗のインサイダーの方々には常識なのかもしれませんが、私のようなアウトサイダーにとっては割と衝撃的なことがさらっと書かれてありました。機会があればもう少し勉強して再訪してみたいものです。
そして石上神社を後にして南海で向かったが、打って変わって超メジャー観光スポットの伏見稲荷大社へ。全国の稲荷神社の総本山ということになるのだと思いますが、最近では写真を見ればみんな一目でわかる「千本鳥居」がインスタ映えスポットとして大人気となり、ご覧のとおり外国人観光客の皆さんが殺到していますが、こちらも瀬織津姫スポットめぐりとして訪れたのだと思います。
日本書紀における記述によれば、第29代欽明天皇が夢で見た啓示のようなものを受けて山背国紀伊郡深草里に秦氏を見出し以降秦氏を厚遇したとされているそうです。これは500年代に秦の大津父が大蔵省に登用されたといわれる伝説ですが、この伏見稲荷大社は711年にその秦の大津父が狼同士の争いの仲裁をしたという稲荷山のところに鎮座したもの、ということになるようで、秦氏の祖先神を祀っているとされています。
他方、ネット上では、この711年という年が日本書紀の完成(720年)の直前ということで、記紀以降我が国の神話から消されたという説のある世織津姫を封印するためにこの大社が鎮座されたのではないか、という説もお見かけし、なかなか興味深いところですが、このあたりは半分オカルトになってくるのでしょう…(笑)また、空海上人と稲荷信仰との関係を指摘する説もあり、そちらもなかなか奥が深い話の様です。
(つづく)
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出張の合間の京都紀行(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-01-19 23:59:51
(
前回
からのつづき)
1日目の要務を終えて夜は錦市場近くのクラフトビールバー、
スプリングバレーブルワリー(SVB)京都
へ。ご覧のとおり歴史ある町屋をリノベーションした趣のある佇まいの建物です。SVBはキリンビールのクラフトビール専業子会社でありブランドで、関東では代官山とキリン横浜工場内にバーがあります。大手のキリンが関与したものを「クラフトビール」と呼ぶのかどうかは議論があるところなのでしょうが、米国でクラフトビールがどんどんシェアを伸ばするなどグローバルな潮流に乗ってスタンダードビールとは異なる個性的なビールを日本でも、という取り組みはなかなか興味深いものであると個人的には思っています。
それぞれユニークな味や香りのビールを飲み比べセットで比較して飲むのは面白かったですし、京都産の原材料を使った料理もいちいちおいしかったです。町屋の建物を愛でるもよしでしょう。外国人観光客でごった返す錦市場の至近ということで、ジャパニーズのクラフトビールということでインバウンド需要の増加も見込めそうですね。現在は京都産100%原料のビールといった取り組みもしているようですから、また足を運ぶ機会があれば再訪してみたいと思います。ホロ酔い気分で宿に帰り1日目は終了です。
翌朝は宿に近いイノダコーヒ本店でビーフカツサンドをいただきました。京都に来た際は可能な限り朝食に食べています。更に値上がりして1,880円と朝食としては少々値がはりますが、それだけの価値はあるのかな、と個人的には思っています。無論コーヒーもおいしいですしね。
そして仕事の合間に今度はタクシーで東寺(教王護国寺)を訪問しました。真言宗の総本山と位置付けられる、京都駅にほど近いエリアにあるお寺です。平安時代に平安京鎮護のための「官寺」として建立され、第52代嵯峨天皇(786-842)より空海(弘法大師)に下賜されたもので、世界遺産にも指定されています。
こちらは洛南会館という宿泊施設のようです。お寺の境内の中に泊まるという体験もなかなか面白そうですね。各種観光地へのアクセスもよさそうですね。ただ、ぐぐろうとすると「東寺洛南会館 心霊」と出てくるのがやや気になるところですが(笑)、それに対して「洛南会館でビビってたら京都を観光したら発狂すんぞ」というコメントが付いていたのは笑えました。
五重塔を仰ぎ見ることができます。確か新幹線の車窓からも見えたと思いますが、こちらの五重塔が京都のCMなどでよく使われるものになるのでしょうか?高さ55mと木造建築としては日本一の高さになるようですね。空海が唐から持ち帰った仏舎利(釈迦の遺骨)が納められているとのこと。
こちらは大日如来が安置された「講堂」だったと思います。「(真言)密教の教えを表しています」と紹介されています。この内部にもあった曼荼羅は真言密教の世界観を表したものだと漠然と理解していますが、私も興味津々でいつか深く勉強してみたいと思っています。こちらで私がしばし見入っていたのは、大日如来を主尊として全ての諸尊を総集的に表わした「両界曼荼羅」だったのでしょう。その曼荼羅同様、この東寺においても大日如来のあるこの講堂が中心に置かれているようです。
(つづく)
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出張の合間の京都紀行(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2019-01-14 16:50:11
もう1年ほど前の話になってしまいますが、昨年冬に出張で京都に行った際、合間の時間を縫って、最近の上役の趣味に付き合って寺社仏閣をめぐった際の模様をお届けします。今回のコースとしては概ね賀茂御祖神社(下鴨神社)⇒(クラフトビールバーを経て1泊)⇒東寺⇒伏見稲荷⇒泉湧寺(御寺)という流れで、まず1日目に京都駅で新幹線を降りて夜の仕事まで時間があったので、早速市バスに乗り込んで賀茂御祖神社に向かいました(仕事しろ)
この賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)は数多ある京都の寺社の中でもかなり古い部類に入ります。とはいえ、創建年ははっきりしないようで、第10代崇神天皇元年に創建という見方もあるようですが、そのあたりは「諸説あります」ということになるようです。賀茂別雷神社(上賀茂神社)と共に、天神系の賀茂建角身命(天神系)を祖とする賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社をあわせて「賀茂神社」と総称します。写真は中門と思われますが、バス停を降りて西参道から入っての1枚です。
当日は流鏑馬か何かの奉納演芸?の日だったようで、それに向けた準備や警備が行われていました。学生時代に藤沢に住んでいた頃に鎌倉の鶴岡八幡宮でみた流鏑馬の儀式を思い出して懐かしくなりました。この賀茂御祖神社は本殿右に上賀茂神社の祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)の母にあたる玉依姫命、そして左にはその玉依姫命の父の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀っています。
ただ、今回の我々が賀茂御祖神社を参拝した目的は敷地の東端に佇むこちらの井上社(別名:御手洗社)でした。井上社は井戸の上に建てられたのがその名の由来のようで、この御手洗社から湧きだす清水で葵祭の斎王代の禊ぎや、あるいはいわゆる土用の丑の日に行われる足つけ神事が行われるそうです。
この井上社の祭神が瀬織津姫命(せおりつひめ)で、一部には「神話から消された神」と言われる神です。ここはややオカルトチックになりますが(笑)、皇祖神とされる天照大神は女性神とされているところ、日本書紀や古事記が出来た際に歴史の書き換えがあり、実は本来男性神であるという見方があるようで、その妻と位置付けられる神と言われています。明治時代に時の政府の意向で神話にない神々は姿を消したものが多いようですが、その荒波も乗り越えて生き残っているということなのでしょうか。興味深いところです。
その井上社を参拝した上で本殿にも参拝し(内部は撮影禁止)、女性陣へのお土産にお守りなどを買い込んだところで時間もあまりないので本殿を後にします。帰路といってもこちらの南からのアプローチは小川が流れ、パワースポットとして知られる糺(ただす)の森や河合神社などかなり距離がありました。こちらは帰り際に振り返り楼門を撮影したものと思われます。
南口の鳥居で、右側には手水舎、左側にはお茶やお菓子を楽しめる休憩所がありました。
誠に神社らしいというか、信仰の場らしい長い長いアプローチです。
参道の途中には賀茂御祖神社の摂社で、最近いわゆる「インスタ映え」スポットである河合神社があります。こちらの祭神は神武天皇の母にあたる玉依姫命(たまよりひめ)が祀られ、玉依姫命が「玉の様に美しい」として美麗の神としての信仰も深いということで、こちらでは「鏡絵馬」と呼ばれる手鏡形の絵馬が数多奉納されています。この絵馬を自分の顔に見立てて美しい女性になれますよう、にとお化粧を施して奉納するのだそうです。
そしてなぜか河合神社には「行く川のながれは絶えずして」の出だしで知られる鎌倉時代のエッセー「方丈記」の著者である鴨長明の庵を再現したものがありました。どうやら鴨長明はこの河合神社の神官の子だったということで、この地にこの庵が再建されたようです。
こちらは御磨通(みかげどおり)を渡ったところと思われます。
驚いたのは途中表参道の両脇に平屋(2階建て?)の高級マンションが続いていたことです。そういえば都内の地下鉄の広告で売り出しているのを見かけたような気もしますが、
こちら
になるのでしょうか。こんなところに住むのは有難いのか恐れ多いのか測りかねますが、よりによって観光地にわざわざ住むというのは個人的にはあまりポイント高くはないですかね…(笑)
(つづく)
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春の乾門一般公開(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
/
2018-12-24 00:42:10
(
前回
からのつづき)
春の乾門一般公開の様子、後編となります。更に進むと左手には山下通りが見えてきます。この山下通りを進んでいくと太田道灌築城時から存在するという「紅葉山」があるようですね。
その紅葉山には江戸時代の間には東照宮、歴代将軍の廟所などもあったようです。そして現在は美智子さまが歴代皇后から引き継いだ紅葉山御養蚕所もあるとのことで、興味深いところです。
振り返り右手に目を移すと蓮池濠をバックに美しい桜。
などなど、時折見られるこうした桜を愛でながらゆっくりと歩を進めます。
しかし何度見てもこちらの石垣は壮観です。そして石垣の上には富士見多聞を見上げることもでき、その向こうには本丸が広がっています。
こちらの局門は大奥女中の通用門として使われていたそうで、「お局門」と呼ばれることもあったとか。
サクラ、サクラ、サクラ。枝垂桜もなかなかです。
こちらは道灌濠ではなかったかと思います。
ここで真っ直ぐ進んで乾門から出るか、あるいは右に曲がり皇居東御苑に進むかの選択を迫られます。個人的に皇居東御苑はここ数年で2回も訪れているのでまっすぐ進みたいところでしたが、多数決に従って皇居東御苑へ。
皇居東御苑、本丸に向かう西桔橋から右手に見える蓮池濠です。
逆に左手に見えるお濠は「乾濠」ということになるのだろうと思います。
ということで乾門一般公開に関しては、ここまでということで、この先の皇居東御苑についてはよろしければ
過去記事
をご覧下さい。今年の秋の一般公開は行けませんでしたので、紅葉の様子はまた来年にでも…。
(おわり)
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春の乾門一般公開(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-11-18 18:01:25
今年の春、職場の上司の移動中の思いつきで皇居(江戸城)乾門の一般公開に行ってきました。皇居東御苑にはこの2、3年で2回ほど足を運んでいたところ、例年大混雑だという乾門の一般公開にはなかなか足が向きませんでしたが、勢いで行ってみて正解でした。平日の真昼間とはいえ行列はやはりあり、入場までに多少時間はかかりましたが、恐らく比較的スムースに中には入れたのだろうと思います。全体のコースは
こんな感じ
で、行列と警察による荷物チェックを抜けて坂下門から入場します。言うまでもない、幕末に尊攘派・水戸浪士が時の老中安藤対馬守信正を襲撃した「坂下門外の変」の舞台ですが、現在は宮内庁に入るときの通用門になっているようですね。
右手に見える蛤濠は直角に折れ曲がっていますが、防衛上の理由から水深が深い部類に入るようですね。
坂下門を潜るとなだらかに右にカーブしており、左手奥に宮内庁庁舎が見えてきます。この界隈に数ある中央省庁の庁舎の中でもそうそう簡単に拝むことのできないかなりの「レアもの」と言うことができますね。
こちらがその宮内庁の建物です。以前訪問する機会があったのですが、私の思い込みでしょうが、その時は職員の皆さんがみな上品な貴族のような方々に見えてしまいました。皇居東御苑同様、この庁舎内にも確かお土産屋さんがあり、そこで菊の御紋を拝した諸々のお土産を購入することができますが、なかでも現在は栃木県にある御料牧場の牛乳が人気のようでした。
ご覧のとおり、抜けるような青空の下で咲き誇る桜の花々。人が多くて少々慌ただしくはありますが、誠にありがたいことです。
このように道の両側に桜の花々を眺めながら歩くことができます。
見学者の方々は思い思いに記念写真。
こちらは、道路を挟んだ向かいの「蓮池壕」にちなんでか「蓮池参集所」といい、要は皇居の勤労奉仕の際に集合場所や休憩場所として利用されている施設の様です。勤労奉仕といえば、奉仕中に皇族の方々がわざわざ労をねぎらいに来てくれることもあるようで、せっかく「奉仕」にきたのにかえって気遣っていただいて恐れ多かった、などという経験談を聞いたことがあります。
その蓮池参集所では個人的にはこの高い壁が妙に気になりましたが、詳しいことはよくわかりませんでした。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(7)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-07-16 23:42:43
(
前回
からのつづき)
1日目の夕食は片町にある赤玉本店で金澤おでんをいただきました。店舗は新しく小奇麗で女性客も多く、やや想定と異なり面喰らいました。もちろん味は確かでしたが。
一番搾りとの相性も当然ながら上々であります。おでんは勿論のこと御造りもおいしゅうございました。
そして宿ではまた幹事としてやらかしてしまいまいました。ホテル泊だった
前回
に続いて、今回はいわゆるゲストハウス泊だったとはいえ、おっさん4人の旅なのにまたもやダブルベッド登場。やむなくじゃんけんで勝った人が一人ベッドで寝て残りは座敷で雑魚寝となりましたが、もう呪われているとしか思えません。参加者の方々にはこの場を借りてあらためてお詫び申し上げます…。しかしもう1組の外国人の若者たちの騒々しかったこと(笑)
翌朝は早朝に起きてバスで輪島に移動しました。NHK朝ドラ的には「黒歴史」かもしれない「まれ」の舞台ということもあり個人的には諸々楽しみにしていたのですが、能登半島を北上するにつれ段々と雲行きが怪しくなり…。
輪島漆会館のところでバスを下されるとそこはとんでもない暴風雨で茫然と立ち尽くします。外を歩いている人の傘がおちょこになるような状況でとてもではありませんが外出する気力がわきません。
それでもしばらく雨がおさまるのを待っていたのですが一向に和らぐ兆しも見えず、やむなく近場、道の向こうに見えるお土産屋さんに移動します。
そちらの休憩スペースでいただいた金箔コーヒー。少しでも加賀らしいものをということで。
多少雨が和らいだこともありランチへ向かいます。当初「海亭 のと吉」で昼食を取るつもりで事前に予約の電話をしたところ、電話にでたおばちゃんに「予約なんてなくても全然大丈夫!」と言われたのでそれならと当日向かおうとしたら「今日は貸切です」とあっさり言い放たれさすがに閉口しました(わざわざ顛末をブログに載せるくらいにはおっさんの食べ物の恨みは恐ろしいですよ(笑))。とはいえ、やむなく急遽飛び込んだ「
漁師の店こだわり
」のお料理(ブイのたたき丼(1000円)にミニ刺身のトッピング(300)等をつけたものだっと思います)もご覧のとおり文句のつけようのないものでしたので良しとします。
そういうわけで結局観光らしい観光もできず失意のうちにバスで夕方に金沢に戻り、駅前でバスを降りてそのまま北陸新幹線で首都圏に戻ります。
帰りの晩飯は駅弁「利家御膳」(税別973円)で旅を締めくくりました。今回も楽しい旅でしたが、何せ宿の件の粗相では皆様に大変ご迷惑をおかけしました。他方、個人的には結局年明けの連休にも再度金沢を訪問しましたので、またそれは「番外編」として後刻ご報告申しあげます。
(おわり)
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空母ではない加賀の旅(6)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-07-16 13:51:00
(
前回
からのつづき)
金沢城を後にして、これまた一大観光地となっており、時に「金沢の台所」などと呼ばれる近江町市場に周遊バスで向かいます。「市場」や「港」というワードは無条件にグッとくるものがあります。
昼飯時を過ぎて夕方に差し掛かろうという時間帯になればさすがに少しは落ち着くのではないか、との目論見でしたが、さすがに連休のピークタイムに比べれば人手は少な目だったのでしょうが、それでもやはり観光客の姿は少なからずでした。
前回往訪時
同様「
鮨処源平
」さんへ。それでも多少待つことにはなりましたが、無事カウンターの一部をおっさん4人で占拠。これまた前回同様の「あげは」(12貫2,600円)をいただきましたが、安定の美味。のどぐろなど魅力的なメニューは他にもあれど、財政上の制約からここはぐっと我慢なのでした。
遅めの腹ごしらえを終えて向かったのは長町(まがまち)武家屋敷跡。こちらも金沢の有力観光スポットのひとつとして有名なところで、旧加賀藩の上中流武士の屋敷跡が立ち並んでいます。ご覧のとおり今風に言えば大変「フォトジェニック」なスポットということで、この手の歴史的建造物スポットにしては若い女性の姿も少なからずみられます。
お城同様こちらにも土塀・石垣に関する解説がありました。
前回訪問時には土塀の屋根には苔の姿も見られたのですが、吹き替えを行ったのか綺麗になっていました。苔ファンとしては、目線レベルで愛でることができる稀有なものがなくなってしまい、その点はやや残念でした。
当然ながら数多の外国人観光客が闊歩していました。我が国における外国人観光客と言えば最近ではアジア系の方々がマジョリティですが、この道中の金沢ではむしろ白人の観光客の姿の方が目立ちました。
武家屋敷の土塀沿いを流れる大野庄用水です。灌漑、物資運搬、防火、防御、そして融雪など多目的な用水路とのことです。
旧野村家の屋根越しに望む秋空です。
こちらは鞍月用水と思われます。このあたりの高低差についてはブラタモリ金沢編でかなり突っ込んでましたね。「秋吉」という赤提灯の看板が見えますが、これは当時開店直前だった焼き鳥屋さんのものです。最近知ったことですが、福井が地場の有名チェーン店だったようで、金沢まできてなんだけど食べたかったなあと。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(5)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-07-07 14:49:30
(
前回
からのつづき)
だいぶ間があいてしまいましたが引き続きの金沢城ということで、こちらは三十間長屋です。一度は火事で焼失しまいましたが、幕末・安政年間に再建されたという重要文化財で、再建後は武器弾薬庫としての機能を果たしていた由。
11月ということでモミジもほどよく色づいていました。おじさんたちだけで愛でる紅葉というのも意外と悪くはありません。
「石垣の博物館」との異名をとるらしい金沢城。今回は2度目の訪問ですが、いつかチャンスがあるなら一人で石垣だけ一日舐めまわしたいくらいなのですが、40過ぎたおっさんがそこまでのスタンドプレーもできません(笑)さて、こちらは年代毎の石垣の積み方について、大まかに3段階に分けてわかりやすく展示してくれています。まずこちら「自然石積み」ですが、個人的には「野面積み」という呼び方の方がしっくりくるような気もします。文字どおり自然の石や少し割った程度の石がそのまま積んでいるため、石と石の間の隙間があるので排水がよい反面、そうそう高く積み上げることは難しいということになろうかと思います。凹凸があり敵が攻め込んできた際に上りやすいという側面もあるようです。
こちらはもう1段階進んだ「粗加工石積み」で、割った石の表面をさらにノミで加工することである程度まで形を整えた石で積み上げるものです。割石を加工し、形や大きさを揃えた石材(粗加工石)を用いて積む技法。金沢城では櫓や長屋などの外周の石垣に見られるそうです。
さらに進んだ「切石積み」はより丁寧に加工し方形にまで整形した石で積み上げる技法です。ご覧のとおり石と石の隙間はなく密着しています。正方形・長方形・多角形・鍵型などがある。どちらかというと機能性(防御性)よりもデザイン性を重視しているとされ、人目につく場所に多く、こちら金沢城では数奇屋敷石垣や鉄門石垣で用いられているようです。
石垣の展示の傍らにあった「鶴の丸土塀」の構造展示ですが、この土塀は防御用と位置付けられるようですね。
こちらがその「鶴の丸土塀」を再現したものですが、たくさんの「鉄砲狭間」があり、内側から瓦1枚割れば鉄砲で迎撃できる構造になっています。外側からは単なる壁にしか見えないため「隠し狭間」と呼ばれるそうです。
ということで、後ろ髪を引かれながら金沢城を後にします。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(4)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-02-18 18:39:18
(
前回
からのつづき)
引き続き金沢城跡を散策します。前回の最後でお見せしたのが金沢城の実質的な正門であったという河北門の一の門です。この河北門も発掘された礎石を活用しつつ、江戸時代の「御城中壱分碁絵図」や明治期の古写真をもとに復元されたようです。
石垣に手書きで「△」などの印が掛かれています。印と言っても石を削ったものではないので発掘調査の過程で何らかのマーキングをしたものなのでしょう。河北門の下にはサッカーでもできそうな広大な広場がありますが、こちらは新丸広場というそうです。
河北門から左手を見下ろした「湿生園」と思われます。こちらも江戸時代の古絵図や発掘調査結果に基いて新丸南堀の外郭を再現したものだそうです。園なのとおり季節によっては湿性植物が楽しめるのでしょう。
三の丸に戻り、二の丸の正門である橋爪門の前まで来ました。現存の城は無論素晴らしいのですが、この金沢城のように各種エビデンスに基づいて往時の姿を出来る限り再現しようという試みもなかなか興味深いもので、個人的には敬意を表したいです。
橋爪門の向こうには二の丸広場が広がっています。彼方に見えるのは武器倉庫だった五十間長屋で、左手に見える櫓は菱櫓で、大手と搦手を見張るいわゆる物見櫓です。写真にはありませんが右手にある橋爪門続櫓とこの菱櫓は五十間長屋で接続されています。
二の丸広場から三十間長屋に向かう本丸附段を渡るのは極楽橋で、金沢城築城前にこの地にあった「金沢御堂」に参詣する人々が朝方に念仏を唱えながらこの橋を渡り、夕方には日本海に沈む夕日を拝んで極楽往生を願って帰ったと伝えられているそうです。
極楽橋は空堀に上にかかっており、左右にその姿を見下ろすことができます。
7年前に来たとき
は空堀にある小路を通っていたようです。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(3)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-02-08 23:20:19
(
前回
からのつづき)
兼六園から県道10号線を挟んで向こう側には金沢城跡があります。この地には戦前は陸軍第九師団司令部という帝国陸軍の拠点があり、戦後は国立の金沢大学のキャンパスになっていましたが、89年から95年にかけて随時大学が移転したことに伴い、以降は城跡公園として整備されてきました。
見下ろすのは兼六園と金沢城に挟まれた県道10号線ですが、兼六園と金沢城の間には歩道橋があり、そこから行き来することができようになっています。
石川門から入りますが、ここまで早朝から新幹線に乗り、降りたら満杯のバスに揺られ、その後茶屋街を歩きどおしですっかりくたびれてしまったおじさんたちは入ったところの休憩所で少々ブレイクタイム。そもそもこの日は秋の金沢とは思えないほど暑い日だったのですが…。
前方に見えるのは新しい金沢城公園を象徴する建物のひとつである五十間長屋です。01(平成13)年に再建されたもので、戦の際に二ノ丸を守るための施設ということで、石落しや鉄砲狭間となる格子窓が見られます。
金沢城の実質的な正門とも言われる河北門ですが、石川門、橋爪門と共に「金沢城三御門」と位置づけられているようです。10(平成22)年に再建されたものです。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(2)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-02-04 22:04:21
(
前回
からのつづき)
「兼六園下・金沢城(石川門向い)」バス停で下車して兼六園へ向かいます。苔好きとしてはついついカメラが下の方に向かいがちになる場所ですが、こちらもアジア系に限らず外国人観光客の方々の姿が数多く見られました。
霞ヶ池のところでは、ご覧のとおり国籍問わず多くの方のシャッター音が鳴り響いていました。兼六園内で一番大きな池ということで、5800m平米もの表面積を誇るとのこと。
雪吊りの松ということで「ザ・兼六園」という感じの絵ですね。「唐崎松」でしょうか…確証は全くありません(笑)
こちらも見事な松ですが、こちらは上の松を別角度から撮影したものではないかと思います。
こちらは「根上松」と思われます。その認識が正しければ、という前提付ですが、兼六園名物のひとつとも言われ15メートルの高さの黒松です。40数本に上る根が地上2mにまでせり上がっているという意味で珍しい外観、ということのようですが、森喜朗元総理や野球の松井秀喜選手の出身地である旧根上町(現能美市)とは何か関係があるのでしょうかね。
木漏れ日を見上げながら歩くおじさんたち。
えも言われぬ迫力があります。
確か何かを感じてカメラを向けたのですが、果たして自分は何の気配を感じたのでしょうか。
霞ヶ池を逆サイドから。雄大さが際立ちますね。
兼六園を一回りしたところで、いよいよ金沢城へ。
前回
訪問時はまだ再建が始まったくらいの段階だったので、その後どうなっているのか個人的には非常に楽しみにしていました。
(つづく)
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空母ではない加賀の旅(1)
アウェイじゃないけどぶらり旅
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2018-01-27 22:45:05
昨年11月に仲間内で行った金沢/輪島旅行の記録について記しておきたいと思います。今回の1泊2日の旅、1日目の金沢に関しては個人的に7年ぶりの訪問(
前回
)となったわけですが、みどころは多く2回目でもまだ全部回りきれた感はなく、まだまだ飽きないなーと言う感じです。2日目の輪島については生憎かなりの荒天で歩き回ることさえ出来ず閉口、加えて予約なしでOKと言われていたはず食堂には「満席です」と言われるなど幹事としては少々恨めしいところもありましたが、リカバリーの昼飯では海の幸をそれなりに堪能できましたのでまあよしとしておきます。
今回は初めて乗った北陸新幹線で往復しました。我がグループは上野乗車組と大宮乗車組に別れるのですが、いずれも7時台に乗車ということで皆さんには早起きを強要してしまいました。うち大宮乗車組は大宮駅東口で合流したのですが、早朝からパトカーがサイレンを鳴らしながら南銀の入口にやってきて、車から降りた警察官の方々が南銀の中へバタバタと走って行くという警視庁24時(埼玉県警か)みたいな光景も目撃してしまいました。朝食ですが、当てにしていた吉野家が改装中でお休みということで富士そばでお世話になりました。
10時に金沢駅に到着し、コインロッカーに荷物をしまい、駅前の「金沢駅東口バスターミナル北鉄グループ案内所」にて
北鉄バス1日フリー乗車券
を500円/人で購入。早速に「城下まち金沢周遊バス」の右回りに乗り込むのですが、同じ新幹線で到着した方々が多かったのが朝っぱらからバスがごった返しており、みんな荷物も多いのでさながら都内の通勤ラッシュのような様相を呈していました。そして最初にバスを降りて訪問したのがこれまで粛々と写真だけ掲載してきた東茶屋街というわけです。
「橋場町(ひがし・主計町茶屋街)」バス停で下車するとすぐ浅野川があり、その東岸に広がるのが東(ひがし)茶屋街、かつての旦那衆の遊び場というところなのでしょうかね。江戸時代の文政年間に加賀藩主のお墨付きを得た茶屋街のひとつで、当時の茶屋建物、1階に出格子を構え、2階のを高くしてお座敷を設ける「茶屋建築」のものが道路沿いに建ち並ぶご覧のとおり風情ある街並みです。右手奥に見える昔ながらの電気屋さんが非常に懐かしい感じの店構えでした。
各茶屋街に置かれた「検番」は明治時代に芸妓さんたちの風紀取り締まりを目的として設置された組織で、こうした事務所は後述の主計町茶屋街にも見られました。
ここの一本右はもう浅野川沿いの道でした。
ひとしきり東茶屋街をぶらりと回った後は、浅野川大橋を渡り川を挟んでひがし茶屋街の対角線上にある主計町茶屋街に向かいます。
日露戦争の旅順攻撃の司令官を務めた乃木将軍のお名前が突然登場して「なんだろう}?」と思ったのですが、後々調べてみたら東京の乃木坂にある乃木神社に乃木将軍とこの今越清三朗(少年時代)おふたりの像があるようです。出張で金沢を訪問した乃木将軍が辻占(和製フォーチュンクッキー的な?)を売り歩いていた当時8歳の清三朗少年と出会い、家計を助けようと一所懸命に働く姿にいたく感銘を受けたそうです。そしてその少年を励まし金2円を手渡したのですが、清三朗少年はこの乃木将軍にいただいた恩を忘れることなく精進し、後に金箔製造業で大きな業績を上げたという美談に基づくもの、ということのようです。
こちらの主計町茶屋街は東茶屋街に入りきれなかった茶屋が集積したところのようですが、東茶屋街に比べれば些か小ぶりで人通りも少ないものの、その分少々狭い路地も落ち着いて散策することが出来て個人的には好きです。こちらも一回りして、再び周遊バスに乗り今度は兼六園/金沢城に向かいます。
(つづく)
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