赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
↑次にお星さまが増えるのはいったいいつになるのでしょう…
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愛する浦和レッズと、軽く食べ歩いているラーメンとたまに思い出したようにジャズと洋書について書いてたのも今は昔。今や更新頻度は年1,2回です。ゴール裏は当の昔に卒業しました。
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餃子をめぐるエトセトラ
ぶらりアウェイの旅
/
2011-03-03 01:22:45
と言っても国立のピッチに乱入するお話ではありませんので誤解なきよう・・・。
先週末はPSMで初めてグリスタ訪問。自分としては、親戚筋が益子周辺にいたり、那須や日光には何年かに1度は必ず訪れてているなど栃木には何かと縁があると思っているのだが、なぜか宇都宮だけは過去通過するのみであり、宇都宮についても今回初めてゆっくり(とっても日帰りだけど)滞在したことになる。移動は、個人的に最近家電貧乏なこともあり、今回は在来線である宇都宮線で往復。ただし、在来線といいながらグリーン車にしてしまうあたり、節約なのか贅沢なのかどうもよくわからん感じだ。
上野から朝8時過ぎの電車に乗り込んで、宇都宮には10時半前に到着。さっそく「ブランチ」ということで、駅ビルっぽい「パセオ」にある青源というお店に入店。那須味噌豚丼(680円)にしようとしたところで、ウエイトレスのおばさんが当方の好みを知ってかしらずか「これは戸田恵梨香ちゃんも食べた餃子なんですよ」なんて煽るものだからやむなくネギ味噌焼餃子(380円)も追加。午前中から餃子を食ったのは30ウン年の人生で初めてかもしれない。普通においしゅうございました。
駅前をうろうろしていたら、またチームバスと出くわした。最近アウェイに行くとやたら見かけることが多い。てか、色的に遠くからでもすぐわかっちゃうからなあ・・・。ちなみに、帰りにオレたちがなかなか来ないピストンバスを待っていたらその横をこのバスが通り過ぎていった。こちらに向かって律儀に手を振ってくれている選手もいたように見受けられた。お疲れ様でした。
3年間を費やしてJ2仕様にアップグレートされたというグリスタ。既に言い尽くされているが、こじんまりとした専スタでピッチも近く非常に見やすかった。欲を言えばゴール裏に関しては幾分傾斜をつけて頂けるとありがたいかなと。見やすさは勿論、当方身長が無駄に大きいもので、後ろの方に少々申し訳ない気持ちになりますので・・・。そうそう、栃木SCの選手紹介BGMが「カウボーイビバップ」のOP曲だったのはびっくり、すごくイカしてると思う。当方がガンダム以外でわかる数少ないアニメwで、仕事でアメリカにいたときに英語の勉強用にみていたのだが、「未来の世界のハードボイルド」的内容でとてもクールで好きな作品。
駅からの行き帰りは、栃木SCのスポンサーであろう「マロニエ交通」による「現物支給」のようなもんなのだろうか、無料ピストンバス輸送があって非常にありがたかった。無論、浦和者が地方に集結すれば必然的に帰りは大行列になるわけで、当然のようにしこたま待たされることになるわけだが、今回は無料で乗せて頂いているのであんまり要求できる筋合いでもない。しかもシルバー人材の方が誘導係をなさっているものだから、あれじゃ文句も言えないわw
そして昼飯も夕飯も餃子です。宇味亭(うまいてい)というチェーンの専門店に入ったのだが、質量ともに満足。カウンター中心のお店で回転が速く、また若いカップル(死語)で餃子を食いに来ていたのは少々びっくり。文化なんだろうな。しかし3か月分くらいの餃子を食ったのでしばらくは見たくないかな・・・。そういえば試合前に挨拶していた栃木県知事が「来季こそはレギュラーシーズンで浦和と戦えるように」云々とおっしゃっていたのだが、試合内容的には思わぬ形でレギュラーシーズンの対戦が実現してしまいそうな気も。まあ、そうならないように頑張りましょう。
試合前のアップ中に「決めろ浦和」をやってるとき、マゾーラがしきりにこちらをチラチラ見ていたのが微笑ましかったな。彼のチャントは、彼を浦和に導いたワシントンのそれを承継するようですね。
(宇都宮編・了)
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ぼくたちの失敗
ぶらりアウェイの旅
/
2010-10-29 01:41:55
とりあえず先日のエコパ遠征について記録しておきます。今回は試合開始時間が早めということもあり、バスは使わず「ぷらっとこだま」でまずは静岡まで。静岡駅で昼飯でも思って駅の出口に向かうと、お土産屋でガンプラが売っているという衝撃的な光景に出会う。いや、さすがに買ってません。連れは帰りに欲望に勝てずに買ってしまったようです。迂闊なヤツめ!
昼飯とはいってもまだ10時半過ぎなのだが、いずれにせよ昼飯は、何度も静岡県を訪れていながら未喰だった静岡(しぞーか)おでん。駅近くの「海ぼうず」というこのお店は80年代後半から90年代のナンバーがかかりまくって我々のハートを鷲づかみにし、結果「ぼくたちの失敗」とか「ポケベルが鳴らなくて」を聴きながら10時台からビール飲んぢまいました。静岡おでんは関東のおでんより汁の色がダークで、味付けも少々異なるようだがおいしかった。それにしても、そして試合前の「キメロ浦和」と翌日の駅伝がすこぶる堪えた。
静岡駅から愛野行きの臨時の各駅停車に揺られ、試合開始1時間ほど前にエコパスタジアムに到着。「さわやかヤクザ」の愛称で親しまれた磐田OB・福西崇史さんのDVD販売イベントをやっていて、ご本人も降臨していた。その昔、当時売り出し中だったウチの吉野を削りやがったこと等、彼に対する恨みは一生消えないが、いちおう社会人なのでここは加齢にスルー。
ジュビロ磐田もW杯での駒野効果(笑)やナビスコ杯決勝進出効果で多少は賑わいが戻ってきているんじゃないかと期待していたのだが、観衆は1万8千人に留まり、昨年の同カードとほぼ変わらず。勝ち負けについてはも、浦和としては実に勿体無い試合だった。(´・ω・`)
今回は日帰りではなく静岡に宿を取っていたため、新幹線でなく在来線で静岡方面へ。臨時の東海道線静岡行きの列車で何とか座れたのだが、菊川-掛川間で人身事故があったようで途中70分以上待たされる羽目に。試合は負けるは人身事故の影響はモロに受けるわで、試合のついでにガンダムを見に行こうというオレたちの下心がそんなに悪いのかと。やっと辿りついた静岡駅のホームも到着時にはカオス状態。そしてオレたちがようやく東静岡に到着したころには静岡ホビーフェアの展示もガンダムのライトアップも終了して閉門済み。とほほ・・・。同じような境遇の赤い人たちがちらほらいたのはちと笑えたが。
気を取り直して静岡の繁華街・両替町で残念会。定番のラインナップ、まずは桜海老の掻揚げ。
今回は旬じゃないから食べられないと思っていた生しらすにもありつくことが出来た。本日のいいこと。
こちらはマグロの尻尾の部分のステーキ。肉も柔らかく、なかなか美味。そうして静岡の夜は更けていった・・・。
翌朝は諸般の事情から7:15静岡発のひかりで東京へトンボ帰り。返す返すも悔いの残る遠征だったなと。
(静岡編・了)
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高槻に行ったのが運の尽き
ぶらりアウェイの旅
/
2010-10-06 00:46:31
また随分と前の話になるが、8月のアウェイ万博遠征の際のショートトリップの話。今回は近場の高槻に立ち寄って、高槻城跡を見学。
昼飯は既報のとおり、大阪在住の師匠引率で
彩色らーめん きんせい高槻駅前店
にてつけ麺を喰らう。入口は絵的には涼しげに見えるのだが、その実雑居ビル1階の奥まったところにあるため風通しがすこぶる悪くてその点についてはやや閉口。
さて高槻城だが、「城」と言ってもここもそう言われなければ城があったとは俄かにはわからないような状態。この城も他の城同様明治時代以降は帝国陸軍、具体的には工兵第4連隊の駐屯地だったようで、その門だけが残っていた。門の横には守衛(歩哨兵?)用のボックスも残っていたが、掃除用具がしまってあってややげんなり。ちなみに門の向こうは現在は公立の学校。
高槻城も城主はめまぐるしく代わったが、一番有名なのがキリシタン大名、そして「利休七哲」のひとりでもあった高山右近公。駅から城跡までの途中には「カトリック高槻協会」があり、高山右近の彫像もあった。この写真はもろ逆光・・・。
ご覧のとおり、パっと見は普通の公園にしか見えない。この後に「しろあと歴史館」で聞いたところでは、石垣さえも東海道線敷設の際に押収されてしまったとかで、昔の民家が移設されたものは公園内にあるものの、城についてはほぼ跡形もないという感じ。
城跡公園の近くにあった、その「しろあと歴史館」でのヒトコマ。展示もなかなか充実していて興味深く、また他にお客さんも少なかったせいかボランティアのおじさんがマンツーマンマークで解説してくれた。のは良かったのだが、この解説、ボランティアでやられているので文句を言える筋合いではないのだが、どうにも滑舌が悪く、説明も要領を得ないものでなかなか厳しかったかな・・・。時節柄頑張って実績作らないと仕分けられちゃうのかなw
そして夜は宿近くのお店で串揚げで舌鼓。大阪らしいってことで。
(高槻編・了)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(7)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-10-02 01:08:34
(
前回
からの続き)
仙台観光の定番中の定番であろう、伊達政宗公の前で。(他人様のことは言えないが)強面の浦和系のお兄さんたちが女子大生っぽい人たちに頼まれてにこやかに写真を撮ってあげていて、何となく微笑ましい光景だった。
護国神社鳥居付近。なかなか美しい曲線であります。ここから乗り込んだ循環バスの混雑ぶりにはやや閉口しましたが。
街中は「仙台青葉まつり」でそれなりに盛り上がっていた。仙台在住経験のある友人から「すずめ踊りはみておけ(笑)」というアドバイスを受けていたのだが、どうもそれらしいものにはめぐり合わず。武者行列とかやってたような。
空腹に耐えかねて祭りの真っ只中に飛び込んだ牛タン屋はどうにもイマイチ・・・。空いているのも道理かと。
公園で行われていた火縄銃の実演はなかなか見応えがあった。伊達家直系の子孫の方まで登場していたが、いろいろ大変なんでしょうなあ・・・。銃声で泣き出す幼子続出w
勝ち点2を失った上につまらん騒動があった以外は・・・という感じ。
(仙台編・了)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(6)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-10-01 00:58:43
(
前回
からの続き)
関口選手の代表選出を祝してというわけでもないですが、5月の仙台遠征まだまだ引っ張ります・・・。二代忠宗公が祀られた霊屋(おたまや)である「感仙殿」であります。昭和60年に再建されたものだそうで。
瑞鳳殿エリアのMVK(Most Valuable Koke)。いやそこまで英語で言うなら"Moss"って言いたくなるかもしれませんが。
伊達家から寄贈された文化財の保管・展示・研究のために、仙台城の三の丸跡に建設された仙台市博物館。伊達家ゆかりの品々は勿論、仙台の歴史もなかなか興味深いものだった。
仙台上大手門の脇櫓。大手門も脇櫓も国宝に指定されていたが、戦災で焼失。その後脇櫓のみ昭和42年に復元されたもので、現状仙台城では唯一の建屋となるのかな?
本丸石垣は、解体修復が行われており、これはこれで美しいと言えるのでは。気まぐれで仙台市博物館から本丸まで歩いてみたら、意外と長い上り坂だわバスには追い抜かれるわで踏んだり蹴ったり。
仙台城址入口には護国神社の鳥居。観光用循環バスの停留所もここにあるのだが、帰りは長蛇の列で阿鼻叫喚。それにしても仙台城の駐車場に埼玉県のナンバーが多くていつもながら笑えた。
(まだつづく)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(5)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-08-27 01:47:05
(
前回
からの続き)
瑞鳳殿の前に立ちはだかる涅槃門。門をくぐると石段あり。
涅槃門アップ。
そして瑞鳳殿。伊達政宗公がホトトギスの泣き声を聞くためにこの丘に入ったところ、自分の死後この場所に葬るよう従者に命じ、その約1ヶ月後に亡くなったとのこと。この「瑞鳳殿」の名は、遺命によるものとか。
極彩色が鮮やか。約30年前に復元されたもので、つい最近まで改修されていた由。
二代忠宗公の感仙殿と、三代綱宗公の善応殿につづく門。
(つづく)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(4)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-08-20 01:01:16
(
前回
からの続き)
対仙台戦(アウェイ)は引き分け。よーく考えたら対仙台は今季アウェイもホームも1×1の引き分けだったってことなんですなぁ・・・。ちなみに試合終了後の仙台駅、JR降りた直後はこんな感じ。
試合終了のホイッスルと同時に席を立ったため、バスが囲まれている頃には既に国分町を徘徊中。あの試合内容でそんな騒動に発展しているとは露も思わず、翌朝びっくりした。しかし居酒屋で食べた牛タンは思いのほかおいしかった。
翌朝は観光用周回バス「ループル仙台」を利用して伊達家代々の廟へ。「瑞鳳殿」というのは仙台藩始祖・伊達政宗公の霊所で、二代伊達忠宗公の感仙殿、三代伊達綱宗公の善応殿もあるが、いずれも戦災等で消失し、後に再建されたもの。
これが何だったかどうしても思い出せない・・・。まあ既に3ヶ月も前の話だけに無理もないはn
山の上にあるもんで、こんな階段を登って行くことになる。2時間断続的に飛んだり跳ねたりした翌日だけに、それなりに応えるのは必定。
(つづく)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(3)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-08-19 01:00:03
(
前回
からの続き)
松島を後にして、仙石線で一路塩釜へ。寿司屋の集積する試合前に塩釜へ向かう目的はひとつ。こんな標識が見られるのも港町ならでは。
まずは、○○と煙は高いとこ、ということで市内の建物屋上の展望台へ。特定重要港湾である仙台塩釜港を一望。
勘を頼りに入った「すし哲」というお店だったが、どうやら長年に渡って高い人気をキープする全国区のお店だったようで、連れの引きの強さには脱帽。生かき(1200円)。以降は説明不要かもしれません。
まぐろの串焼き。清水でも同じようなものを戴いたことがあるが、そちらは値札がなくて精算の際にすこぶる痛い思いをした苦い記憶あり。こちらのものも、大変おいしゅうございました。
上にぎり(2600円)。少なくとも、費用対効果はかなりいいと思う。東京で喰ったらいくらするのやら。
あら汁(430円)。そういえば同じフロアにも関東地方から来たであろう浦和者の方がいたような・・・。
寿司を堪能した後は、恒例の漁港散策を軽くこなす。その後、塩釜からそのままタクシーで宮スタ入り。時間といい運賃といい、意外とリーズナブルでびっくり。
(つづく)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(2)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-08-07 00:52:44
(
前回
からの続き)
参道を山門に向かって。あらためて、実に厳かな雰囲気であります。
その並木道の参道の脇、山門に向かって左の杉子木立の向こうには断崖が広がっており、そこには無数の石窟が。
なぜ車輪か、というと、国鉄(当時、現JR)仙石線の開通工事で命を落とした方々のために建てられた碑、ということだったと思います。
この石窟は修行の場として掘られたもので、仏像が刻まれている。
石窟の前には観音様の像なんかが並んでました。
改修工事中で何かと制約の多い瑞厳寺を早々に後にして、五大堂へ。島の上に建てられており、島全体が聖域っつーことらしい。
松島や ああ松島や 松島や
ってここで詠んだわけじゃないと思いますが・・・。五大堂は、古くは坂上田村麻呂の時代まで遡ることができるようだが、現在の建物は伊達政宗が建立したもので、風雪に耐えて今に至ると。
「透かし橋」というらしい。要はしっかり足元を見て歩けという教訓らしい。我々としては実に心にしみる教訓ですなあ・・・。
(つづく)
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暗闇の一歩手前・・・だった?(1)
ぶらりアウェイの旅
/
2010-07-27 00:36:06
既に2ヶ月以上が経過しているが、ぼちぼち仙台遠征の話でも。新幹線で一路仙台、そのまま仙石線で松島に向かった。松島海岸駅を降りると、やはりちらほらと浦和者の姿が目立ち始める。駅からとぼとぼ歩いて遊覧船方面へ。遊覧船に乗ろうとする浦和者と、遊覧船から降りてくる浦和者が交錯する波止場。
島々を巡る遊覧船にはカモメの群れ。エサ目当てのカモメ、かわいらしいというよりは・・・。別の船にカモメの群れがまとわりつく姿は何とも言えず。
上陸後は国宝・瑞厳寺へ。ご覧のとおりの厳かな雰囲気に、身が引き締まるような、ホッとするような。
いきなり楔を打たれました。って苔を愛する者としてそんなことはしませんが。
苔とおじさん。
庫裡(こり)、お寺の台所ということのよう。ご本堂が改修工事中ということで、こちらで伊達家代々のお位牌やら襖絵やらの展示を見ることになりました。
本堂が見られないということで、あっという間に構内見学を負えて、境内にある茶屋で早々に腹ごしらえ。仙台らしくずんだ餅。
と牡蠣って食い合わせはやっぱおかしいよな・・・。
(つづく)
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ありがとう湘南 Memories
ぶらりアウェイの旅
/
2010-05-24 01:01:55
昨日の帰りはJRで平塚から藤沢まで出て、小田急に乗り換えて東京方面に向かうつもりだった。しかし、昼間に食べられなかった生シラスがどうしても食いたくなり針路変更、小田急の下り列車に乗り込み江ノ島へ。片瀬江ノ島駅から橋を渡って江ノ島に上陸し、江島神社の仲見世通りから路地を少し入ったところにある「いのうえ食堂」にお邪魔し「おさしみ定食」(1,400円)を18時頃と少々早めの夕飯とさせて頂いた。写真の他にライスまでついて盛りだくさん、付け出しの烏賊の塩辛に誘われるようにビンビールにも手を出す。ちなみに、見た目はちょっと強面ながら実はとっても柔らかい感じの御仁だったマスターによれば、残念ながらこの日シラスは不漁だったようで、まあそれはまたの機会にということで・・・。しかしまさか片瀬江ノ島駅で「今日勝ちましたか?」なんて聞かれるとは思わなんだ。
それにしても気になったのは店内のこれ↓
右から2番目って一体・・・
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中央道は敗者の行進(2)
ぶらりアウェイの旅
/
2009-11-15 07:51:57
(
前回
からのつづき)
とっととスタジアムを出てさっさとバスに乗り込んだせいか、復路は駅まで20分足らずで到着。不甲斐ない試合と合わせ、お陰で帰りの高速バスまで2時間ほどあいてしまったため急遽松本の市街地をぷらぷらすることに。想定外で全く予習をしていなかったためとりあえず松本城方面へ向かう。こちらは市街地を流れる女鳥羽川で、なかなか趣がある。「松本」で「川」というと学生時代に好きだった「白線流し」というドラマが懐かしく思い出される。しかし残念ながらおっさんふたり連れにスピッツはマッチしませんな。
その女鳥羽川の傍にあった四柱神社。その名のとおり四柱の神々を祀っている神社らしい。四柱もの神様が祭られているくらいだからいろんな願い事がかなうと信じられているようで、むしろ試合前に無事祈願をしておくべきだったか・・・。ちょうど境内?で結婚式が行われていた。
やがて松本城のお堀に沿って歩いていく。実は松本城は少し前に訪れたばかりだったのだが、その際は城内見学しか出来なかったのでお堀散策はある意味新鮮だった。ちなみにさきほどの女鳥羽川は松本城の外堀の役割も果たしていたとか。
開智学校。旧藩校か何かかと思ったが、そうではなく、ご覧のとおり洋風であることからもわかるとおり、維新後に全国の旧藩がこぞって教育に力を注ぎあった時代に建てられた学校とのこと。現在は隣にある「開智中学校」にその名前は引き継がれているよう。件の「白線流し」のモデルと聞いたことがあるような気がする名門・松本深志高校もこの周辺にあるようだった(11/16追記:「白線流し」という儀式それ自体は岐阜の高校のものらしい)。
松本城は相変らず絵になる名城だった。しかしながらこのあたりで地元の若者が話しかけてきて、
地元:「試合どうなりました?」
我々:「ああ、松本が勝ちましたよ」
地元:「ええ!マジですか?うおおおお、ありがとうございます」
みたいな何かの罰ゲームみたいな心温まる交流があったことをご報告しておきます。
連れの極太うぃあーさんがいかがわしそうな看板に興味を示している(盗撮)。先生残念ながら今日は日帰りなんです・・・。と、罰が当たったのか知らないが、帰りの中央道は35kmもの大渋滞に閉口、大幅に到着が遅れて新宿での終電に間に合わないかと焦ったが事なきを得る。まあ、やはりスピッツはないなと。
(松本編・了)
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中央道は敗者の行進(1)
ぶらりアウェイの旅
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2009-11-12 07:43:39
これまた随分と前かつ鬱な話になるが、松本で赤っ恥をかいて帰ってきたときのお話でも・・・。日帰り行程で、行きはあずさ、帰りは節約のため高速バス。8:02新宿駅発のスーパーあずさ53号に乗り込むと10時半過ぎに松本駅着。車内には見るからに浦和な方々はちらほらという程度で登山客が多かった。とりあえず、せっかく松本に着たのだから蕎麦くらい喰っておくかということで、駅の建物にある榑木野(くれきの)駅前店へ。
こちらは鴨南蛮そば。鴨はやたらな店で頼むと痛い目を見ることが多いが、こちらの鴨南蛮は上々。しかしまあ折角蕎麦どころに来たのだからどう考えてもせいろにしておくべきだったなというのが反省点。
馬刺し。恥ずかしながら馬肉が信州名物のひとつだとは今まで知らなかった。脂分が少ない感じがするが、ぬめっとした舌触りとしなやかな歯応えでおいしゅうございました。正直にんにくをもっとたくさんまぶしたかったし、それこそ一杯やりたくなっちまったが試合前なので一応自重しておいた。
初訪問の松本アルウィン、駅からバスで何十分も揺られることになるアクセスはともかく、噂通りピッチが近くて臨場感抜群。個人的には絶妙の規模感でもあり、素晴らしいスタジアムだった。この試合のチケット発売日は広島に居て、当日現地のコンビニで買おうとしたらゴール裏は既に完売ということで今回はバックスタンドだったのだが、フクアリのバックスタンドを思い出すほどのピッチの近さ。
松本山雅FCのファン・サポーターの方は失礼ながら予想していた以上の規模でびっくり、そして彼らのサポートもあたたかいものだった(さぞかし痛快だったでしょうなorz)。「4部相当」の地域リーグのなかでも北信越地域は近年JFL昇格チームが出ておらず、ゆえに上が痞えていて戦国状態なんだとか聞いたが、まあそれにしてもねぇ・・・。しかし器も立派だし、早くJリーグに昇格してきて欲しいなと素直に思いましたです。
最近負け試合では終了のホイッスルが鳴るととっとと席を立って帰ることにしているのだが、この試合はもはや笛が鳴るや否や立ち上がったので今季最短記録だったかも。そんなわけで復路のピストンバスには易々と乗り込むことが出来た。傷ついた心を美しい山々の姿が癒してくれる・・・はずなのだが、余りに傷が深かったせいかかなりのやさぐれモード。
少年たちがプレーしている向こうに見えるのがアルウィン。掘り込み型スタジアムであるため、一般的なスタジアムのように聳えているような感じがない。つまり、バックスタンドではコンコースからスタンドに入ると、スタンドの真ん中あたりの高さの地点に出ることになるだが、掘り込みであることを思い起こすと「ああなるほどな」となる。
(つづく)
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紀伊街道の要衝(3)
ぶらりアウェイの旅
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2009-11-06 23:56:48
(
前回
からのつづき)
随分と間が空いた上にネタ的にどうにもハンパな感が否めないのだが、諸般の事情から今季はシーズンが早々に終了しそうなので敢えて引っ張ってつないでおくことにさせて頂く。
岸和田城を後にして駅まで戻ろうと歩き出すと岸城(きしき)神社という立派そうな神社に遭遇。岸和田城の旧三の丸に位置し、歴代藩主に崇敬されたお宮だそう。ご覧のとおり本殿は数年前に新築されたばかりで、鳥居の周辺の古めかしい様子とある意味鮮やかなコントラストを形成していた。
1619年に小出氏の後に岸和田城主となった松平康重が新たな社殿を建立。その後城主となった岡部宣勝は、荒れ果てた社殿を修復して美しく飾り立てた由。平成23年に鎮座650年記念大祭が行われる予定とか。
前述のとおり、岸和田は「だんじり」なんかの豪放なイメージ(オレだけ?)とは別に、こんな美しい街並みが広がっているエリアが少なからずあった。遠くに見えるネットは岸和田高校のグラウンドのもの。
岸和田駅前には熊谷駅北口同様、主に避暑目的で「ミスト」を浴びることができる施設も。その熊谷駅では、ミストはかなり高いところから降り注いでいるため直撃を受けることは不可能に近い。しかし、ここ岸和田の施設はミストの立ち込めるトンネルを潜ることが出来るようになっているので、比較論で言えばより涼を楽しむことができるのだろう。と思ったが・・・正直さほどでもなかったw
アーケード商店街にある
和蘭豆(ランズ)
という喫茶店で一服。名古屋ほどでないにせよ、大阪は人口一人あたりの喫茶店(カフェ除く)の数が東京より多いような印象を持っているのだが気のせいだろうか。おっさんおばさんが多いが、いずれにせよ喫茶店派の自分としては有難いことだ。こちらのアイスコーヒーは上々だった。
大阪に出、阪神電車で甲子園での巨人戦に向かう夥しいタイガースファンに揉まれながら神戸に到着、「ホムスタ」へ。しかしながら、岸城神社での当方の密やかな祈りも空しく終わった。いやそれでも、10月や11月になれば「あの頃は大変だったねえ」とか笑っていられると思っていたのだが、残念ながら現在の状況はよりカオスになってたりして・・・、ははははは。
(神戸編・了)
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紀伊街道の要衝(2)
ぶらりアウェイの旅
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2009-10-24 00:36:37
(
前回
からのつづき)
さて岸和田城。現在の位置に建てられたのは豊臣時代、秀吉の叔父にあたる小出秀正が城主となり1587年に築城を開始したとのこと。入口となっている小天守と天守が連結しているのだが、実は当時は小天守はなかったという話もあるようだ。
その後江戸時代に入り小出氏は3代で但馬国に移され、丹波篠山から松平康重が入封。しかしその息子の代でやはり播磨国に移され、摂津高槻から岡部宣勝が入国。その後は維新まで岡部氏による治世が続いた。天守から遠くに望めるのは海だろうか?
城内の展示の中には武将ゆかりの品々のみならず、岸和田城下の発展の様子を示す写真などもあり、なかなか興味深いものだった。土曜だってのにえらく空いていたのだがいつもこんなもんなんだろうか・・・。写真は天守から趣のありげな建物だと思って撮影したものなのだが、よく見たら何のことはない「がんこ」の店舗・・・(´・ω・`)ショボーン
徳川家と縁戚関係にある岡部氏は紀州徳川家のお目付け役として、大阪城と和歌山城の中間地点にあるここ岸和田に配置されたという見方が有力らしい。一際異彩を放っていたこの石庭は「八陣の庭」というらしいのだが、特に歴史的なものではないようでちょっとした空振り感のみが残った・・・。
岸和田城は江戸時代終盤に落雷のため天守が焼失し、以後再建されることはなく、維新後に廃城となった。従いこの天守も戦後に復元されたもの。
この門を潜ると本丸なわけだが、どうやら模擬という話。多くの城がそうであるように、ここ岸和田城も春には桜の名所となる由。それにしても「城で花見」というのは宿場町で育った者としてはちょっぴり羨ましくもある。死ぬまでに一度「城下町」と呼ばれるところに住んでみたいような気はする。
「櫓だ櫓だ」と思って勇んで近づいてみたら公衆便所だったでござるの巻。
堀を挟んでの絵。石垣の下に広がっているのはいわゆる「犬走り」というやつでしょうか。背後には岸和田高校があり、部活に勤しんでいるのであろう生徒さんたちの活発な様子が伝わってきた。
(つづく・・・かもしれない)
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