赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
↑次にお星さまが増えるのはいったいいつになるのでしょう…
 



大ヒットした出口治明さん(ライフネット生命保険会長)著「仕事に効く教養としての世界史」の発展的続編と私は理解しているので、発売を非常に楽しみにしていた前後半の2冊です。紀元前3000年から現代2000年までの人類史5000年を第1千年紀から第5千年紀までの5パートに分けた上で時系列に、前作と同様に出口さんがまさに「講義」のように語りかけるような調子で歴史を「点」ではなく「線」として解説してくれます(ただ、初見かつコンパクトに1冊にまとまっていたという意味でやはり前作の方がインパクトは強かったとは思います)。「歴史を点ではなく線で」といった表現のはいささか使い古されたものに思えますが、本書は、時間をもちろんのこと、国や地域をも超えた事象について、政治、経済、そして時に地政学的な側面からもそれぞれの因果関係を明らかにしようとトライしてくれています。要は「面」としても説明をしてくれるということです。

そうした点で本書で取り上げられた数多のトピックの中でも、個人的に最も印象深かったものがふたりあります。まずは19世紀後半から「栄光(名誉)ある孤立」として非同盟政策をとっていた英国が当時の日本と1902年に同盟を結んだ背景についてのくだり。ざっくり言うと、20世紀初頭前後に英国は3C政策という、カイロ(現エジプト)、ケープタウン(南ア)、カルカッタ(現コルカタ(インド))を結ぶ三角形を中心に世界戦略を描いていて、このうちカイロ~ケープタウンを結ぶ縦線はフランスのアフリカ横断政策に対抗するものという側面があった。そしてこれに対し、同時期のドイツは3B政策というものを執っており、これはベルリン~ビザンティウム(現イスタンブール)~バグダット(現イラク)の3地点を鉄道で結ぶことにより最終的にペルシャ湾からドイツ兵を送りインドを我が物にしようという企て。

ただ、インド進出というドイツの野望は、英国の3C政策でカイロとカルカッタを結ぶ横線が上記ドイツの3B政策によるインド進出の線上に横たわり目の上のタンコブとなる。つまり、バグダットからインドへドイツ兵を持って行こうにもそこには大英帝国の艦隊が待ち受けているということを意味します。他方、その頃英国はアフリカにおいてはオランダ系土着民のボーア人と激烈な戦争を展開していた。南アがオランダ植民地から英国植民地になったことを嫌って北上したボーア人が作った国(ここもまた3Cの三角形上にあり)にあった金鉱脈やダイヤモンド鉱脈が発見されたことにより英国がこれを奪おうと50万人という膨大な戦力を投入していたため、英国としてはアジアで中国に食指を伸ばしていたロシア対策まではとても手が回らなかった。だからこそ英国は英国らしく柔軟に孤立政策をあっさり捨て、同じくロシアを敵視していた日本を「いわば極東における『憲兵』として利用できる」と考えた末の日英同盟だった、という説明ぶりでした。他の書物でもこうした説明は恐らくなされているものはあるのでしょうが、個人的には初めてで、時間と地理的関係を越えた因果関係を説明してくれたので非常に腹に落ちました。

また、もう1つ印象深かったのは我が国の持統天皇以降の女性天皇に関するくだりです。600年代から700年代にかけての白鳳時代/奈良時代の日本には女性天皇が何人も登場しています。その「女帝」たちについて、病弱な皇嗣たちの中継ぎだったとする一部の説に対して、本書では当時の中国・唐に誕生していた強力な女帝・武則天をロールモデルにしたのでは、という仮説を提示しています。その根拠として、白鳳・奈良時代の政策の多くが武則天の政策を真似している、と主張しており、これも本当ならまさに「海を越えた因果関係」ということになりますが、なかなか面白い指摘だなと思いました。そもそも持統天皇以降の皇位継承というのはなかなかユニークなところがあり、議論を呼び、まさに先日法案が参議院で可決され成立したばかりの「生前退位」(6/13訂正)を考える上でもヒントに満ちていると思われるので、これについては自分でも時間がある時にでももう少し研究してみたいところです。

なお、本書の記述内容についてですが、著者自身が「僕は素人だから自分の学説があるわけではない」としっかりと断りを入れた上で、「この本に書いてある説は、すべて世界中の優れた学者が書いたものです。たくさんの本を読んで、(著者が)腑に落ちたものだけを自分の言葉で書き直した」としているおり、そのあたりの潔さもまたよし、と感じています。まあ当然と言えば当然なのですが。

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戦前の文部省(現在は別の意味で世の中を騒がせているようですが…)が編纂した「国体の本義」のテキスト全文を掲載しつつ、佐藤優さん流に丹念に読み解いた上でじっくりと解説してくれるのが本書です。「国体の本義」と聞くと、「戦後GHQ(占領軍総司令部)によって禁書に指定された!」という枕詞がどうしたってついて回ってくるので、何となく「極右の神がかり的テキスト」であり、「日本を無謀な戦争に導いた悪書」のような印象を持たれがちで、事実私自身もそのようなイメージを多少なりとも持っていました。ただ、佐藤さんが指摘されるとおり、そうした先入観を除いて虚心坦懐に読み込んでみれば、「天皇制絶対反対」といった左寄りのスタンスの方でなければ思いの他違和感なく読めるんじゃないのかな、という印象を持ちました(ちなみに、私は自覚する限り、少なくとも極端に右寄りなスタンスでないつもりですが…笑)。

本書では、「国体」について「日本国家を成り立たせる基本となる根本原理」とし、いわば「目に見えない憲法」ともいえる存在であると定義しています。先述の「国体の本義」では、その我が国の「国体」について、神話をベースに詳細解説しています(ちなみに自分は「神話は史実であろうがなかろうが少なくとも日本の国柄の一部であり、もっと言えば土台となるストーリーではあるはずだ、という理解)。その内容はと言うと、一般的にイメージされる排外主義的な内容など全くなく、むしろ、明治維新以降急速に流入した西洋思想や科学技術を日本人がすんなり消化して「土着化」させるという近代日本にとって極めて重要なテーマを真剣に掘り下げています。そして、少なくともそこでは、他国家や他民族に対する蔑視や偏見のようなニュアンスは微塵も存在しない点は強調しておきたいと思います。そういう意味では、むしろ昨今の「保守」を自称する皆さんにこそあらためて読んでいただきたい書と言えるのかもしれません。

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自分の悪いクセで、流行の本をとりあえず購入はしてみるものの、何せ全体的に読書スピードが遅いので結局本棚の肥やしになってしまい、挙げ句数年後にやっと手に取り読み始めるというパターンが少なからず。一時流行語にさえなった感のある本書もそのひとつです(しかも読み終わったのも1年以上前です)。数年前、この本から飛び出した「マイルドヤンキー」という言葉だけが独り歩きした結果、この本には何となくヤンキーの皆さんをdisるというか、小ばかにしたような漠然としたイメージを持っていたので、まさに「ヤンキー」がわんさかいた埼玉県北部で育った自分としても正直あまりよい印象は持っていませんでした。

ただ、あらためてページをぱらぱらとめくって読んでみるとそのようなことはなくて、著者の原田燿平さん(日テレ「ZIP!」に出てくる(た?)謎のスキンヘッドのおじさん、と言った方がわかりやすい?)が大手広告代理店・博報堂の社員であること、また副題からもわかるとおり、本書はマイルドヤンキーを小ばかにするどころか、大真面目にマーケティングの対象として、一般的な若者に比べるとやや特徴的なライフスタイル、行動原理及び消費に対する考え方を調査・分析し、「顧客」としてどのようにアプローチするべきかを提案するものです。もちろん、本を売るために話題を呼ぼうと「マイルドヤンキー」というキャッチ―な言葉で釣った部分があるにせよ、純粋にマーケティングにあたっての参考書と理解してよいのではないでしょうか。

さて、本書ではその「マイルドヤンキー」とされた皆さん135名にインタビューを行い分析を行っています。本書で言う「マイルドヤンキー」というのは、かつてのヤンキーに比して文字通りやさしくマイルドになった存在です。具体的にどうマイルドなのかと言うと、かつてのヤンキーに比べると、犯罪に手を染める割合も減り、社会や大人への反抗心をむき出しにする者もめったにいなくなった、といった点。そして、一般的な若者層、あるいは「意識高い系」と呼ばれる若者たちが、よく「若者の○○離れ」と言われるとおり(その手の報道をそのまま受け入れるかどうかは大いに議論はありそうですが)、「モノ」を買わなくなっている。そういう中にあって、このマイルドヤンキー層はクルマ、タバコ、ショッピングモールでの買い物などにより消費をしているなどの点で一般的な若者とは異なるようです。そうした皆さんを「かつての『ヤンキー』が変容した形としての新保守層」として、大真面目に研究対象としています。

この「マイルドヤンキー」は大きくふたつのタイプに分かれると著者は言います。ひとつは(1)「残存ヤンキー」で、要は昔のままの姿で今も残っているヤンキーで、そういう意味では絶滅危惧種とも言えるカテゴリ。ただ、それでもやはり昔に比べれば、随分とマイルドな人々が多く、見た目もかなりおとなしく、むしろEXILEのようにオシャレになっていると指摘しています。

もうひとつが(2)「地元族」、昔であればヤンキーカテゴリだった人も一部いるものの、見た目は全くヤンキーではない。人間関係が狭く、地元友達とつるむ。地元のファミレスや居酒屋、仲間の家でダラダラ過ごすのが好き。一方で多少のヤンキー性には憧れがある、といった点で特徴づけられます(地元志向は(1)も同様)。前述のとおり、若者のパチンコ離れ、やたばこ離れなどが叫ばれる中、パチンコやスロットをやっている人や喫煙者が多く、お酒や車やバイクに興味を残っている人も多いと言います。

こうしたことをもって、そもそも全体的に人口が急激に減少しつつある中で、消費意欲が減っていると言われる「さとり世代」(こういうレッテル貼りも個人的にはあまり好きになれません)の若者たちの中で、このマイルドヤンキー層は、少なくとも同世代の若者たちに比べると企業にとっては実に優良な消費者である、と整理されています。

そんな彼らの特徴として本書で指摘されている内容をあらためて箇条書きに落としてみると、

◆何があっても地元を離れたくない
⇒地元友達と、昔のまま居心地のよい生活をずっとキープし続けたい。ライフステージが変わったからと言って、ライフスタイルや人間関係を変えるのは面倒。地方に限った現象ではなく都内でもこうした例あり。激安居酒屋、ROUND1などデフレカルチャーの象徴のようなお店に出入り。地元に一軒家を持って初めて一人前。

◆現状への高い満足度(上昇志向のなさと表裏一体)
⇒大きな夢があるわけではないが、かといって将来に絶望しているわけでもない。このまま地元で仲間と過ごす生活が続くことを願っている(ただし、「失われた20年」と言われる我が国の経済情勢を踏まえれば、現状維持だけでも御の字と言えるか)。

◆メンツや見栄という感覚をわずかに残しており、それが消費行動にも反映される
⇒ブランド物を好む等。

◆地元で仲間と遊ぶにあたり自動車は必須アイテム。
⇒電車には乗らず自動車で移動。その自動車の車種については、ホスピタリティ重視ゆえ大きければ大きいほどよい、セダンやスポーツカーではなくミニバンを選択。

◆EXILEが鉄板の人気(仲間・家族主義、オラオラ系ファッションに共感)。その他、西野カナ、浜崎あゆみ、安室奈美恵など。

◆消費の選択にあたっては、地元の仲間のお墨付きを重視。

◆ITへの関心が全体的に低い。
⇒連絡手段としてのSNSのためにスマホにはするものの使いこなしていない。そもそも知的好奇心には乏しく、選択肢が多いことは苦痛。調べてまで買わない。閉じた人間関係がいわゆる「バカッター」現象を引き起こしている?

◆旅行は「パッケージ化された日常」、「息抜き」を望む
⇒決して刺激や冒険を望むものではなく、知っているところで仲間と親睦を深めて息抜きしたい。旅行にあたり事前に調べたりせず、知っているもののなかから選ぼうとする。TDR(ディズニーリゾート)への圧倒的ともいえる支持。

といったところでしょうか。

ポイントとも言える消費行動については、総じてかつてのような「今の自分を変革し高いステージに上るための消費」ではなく「現状維持を続けるための消費」としています。ただ、本書は「マイルドヤンキー」と著者たちが見做した135名にインタビューを行い、その内容を根拠に導かれた「仮説」くらいに理解しておいた方がよいのでしょう。というのも、全体的に、因果関係について「のだと思います」といった記述が割りと目立つこと、また、個人的には、最初から「マイルドヤンキー的な消費者層がいる」という前提で論理が組み立てられているのではないか、という疑念が最後まで消えることがなかったからです(加えて、そもそも「数年前の本」という前提でこの書評もお読みいただければ幸いです)。

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さて、今日だけは抱えた残務を全て投げ打って急ぎ帰宅して生で拝見しました「スクール☆ウォーズ芸人」。以下、OPのナレーションを未だに暗誦できるくらいにはガチな私のキモい所感をとりいそぎ(ちなみにイソップの懸垂シーンでひとり涙ぐみ、大木の「東京流れ者」をTVの前でハモって細君にドン引きされました)。

〇評価する点
・「信は力なり」
・「馬上から失礼します」
・「♪風はひとりで吹いている~」
・「女はいたぶるもんじゃねぇ、抱くもんだ」
・カブにまたがり手をふる大三郎の霊

といったあたりのポイントをきちんと拾っていた点は素直に評価したいかなと。他方、水原とのやりとり、大木のおにぎりエピソードや内田の花園、あるいは「悔しいです!」あたりは鉄板なので取り上げて当然でしょうね。逆に胴上げ49回は腹抱えて笑いました。

〇改善すべき点
・イソップの死に触れないのは…てかそもそも1時間で語り尽くせるかい!
・幻のスクール☆ウォーズ2についても忘れないであげて下さい(主題歌の丸山みゆき「FIRE」のCDは未だに持ってます)
・ザブングルは万死に値する

しかし水原のグラサン(死語)と白いスーツが本田圭祐に見えてしまったのはオレだけだろうか…。



とにもかくにも明日からもう少しだけこんな人生でも頑張っていけそうです、ありがとうございました。

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以前ご紹介した「いたこニーチェ」の続編と理解してよいものだと思います。今回は東日本大震災直後の日本を舞台に、主人公は平凡な31歳の男性営業マン「山本」。山本は、彼の元同級生であり、実は前作の主人公だった「吉田」と久方ぶりに出会い、そして新興宗教か何かの勧誘かと思いきや「ニーチェの講義を受けて『プラトンの呪い』から世界を救う手助けをして欲しい」という荒唐無稽な願いに付き合わされる羽目になり、ニーチェの言葉を浴び続けることで徐々にその現状認識を改めていくことになります。

著者の適菜収さんはニーチェの著作"Der Antichrist"(独題、英語では"The Antichrist")を「キリスト教は邪教です!」という刺激的な邦題で訳した方だけに、現代の「脳内」に降臨したニーチェの口を借りてプラトンと、そのプラトンの「やり口」を使って世界を席巻したキリスト教を徹底的に批判し、現代社会の常識やコモンセンスのようなものの見直しを迫りまくってきます。それをコメディタッチのドタバタ劇で描いているので、さながら「哲学ラノベ」といったところなのでしょうか(ラノベ読んだことないので自信はありませんが…)。

現実世界の背後に見えない《真の世界》を『でっち上げた』プラトンと、そのプラトンのカラクリを利用して「神の国」なるものを打ち立て、イエスの教えをさえ歪めて、というかイエスの教えを正反対のことをして信者を増やしてその後の世界を支配し続けている「邪教」キリスト教やそこから生まれた「民主主義」いったものの呪縛から、震災後の日本を、そして世界を解き放て!というのが本作におけるニーチェの「教え」なのだと思います。

そもそも歴史というのは古今東西、その時々の勝者によって都合よく塗り替えられてきたわけです。従って、現代社会で「常識」とされていることをすんなりと受け入れるのではなく、疑って自分の頭で徹底的に考えるべきだ、という、ネットの普及でより莫大な情報のシャワーを浴びる昨今にあってより求められる「情報リテラシー」の基本も教えてくれているのかもしれません。やや前作の焼き直しっぽいところがあり物語としての目新しさには欠けますが、軽い「頭の柔軟体操」にはなる作品だと思います。

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尾張の鍛冶屋からのし上がった世界的自動車メーカー「トヨトミ自動車」を舞台に、米国政府や国内外のライバルメーカーという外部との攻防は勿論のこと、内部における創業家と使用人との間の緊張関係まで描かれた経済小説。95年に創業家である豊臣家の後押しで創業家以外から抜擢された「使用人」武田剛平の社長就任からはじまり、以降サラリーマン社長が続いた後、リーマンショックにもがき苦しむ中で社長に就任するも米国におけるリコール騒動や世界的なハイブリッド包囲網など更なる困難に直面していく創業家のプリンス・豊臣統一の苦闘と、そこからの巻き返し策を打ち出すところまでを描いています。

お察しのとおりこれはかのトヨタ自動車を舞台に、創業家の後押しで社長に就任、同社の躍進とグローバル化を推し進めた奥田碩さんから、現在の創業本家直系社長である豊田章男さんまでの同社の経緯をトレースした「物語」と思われるものなのです。自動車業界担当記者の方にお聞きしても「事実と思われるエピソードばかり」とのことですので、過去にご紹介した「原発ホワイトアウト」同様、「事実をパッチワークして作られた物語」ということのようです(というわけでこちらも著者は不明)。ただ、こちらは「ほぼ史実をなぞったストーリーに大なり小なりの脚色が加わっている」というべきもので、ほとんどの登場人物はネットを駆使すれば大体実在の誰なのかわかると思います。

のっけからアラフォー時代の「トヨトミのプリンス」がホステスに入れあげてヤクザに軟禁され、そこに武田社長が颯爽と登場してプリンスを救い出す、という、事実とすれば衝撃的なシーンから始まるなど、巨大自動車メーカーの「創業家」と「使用人」たちの時に美しく、時にドロドロとした関係を中心に、局面局面のエピソード(と思われるもの)が非常に生々しく描かれているため、自動車産業関係者は勿論のこと、行政やメディアの関係者まで含めた「その筋」ではちょっとした話題になり、挙って読んでいるのだそうです。

些か陰謀論的に思われがちですが、グローバルな自動車メーカーが米国の政府と産業が仕掛けてくるえげつない「謀略」に対して如何に神経質になっているか、あるいは実際アンテナを高くしておかなければならないか、という過酷な現状。そして、企業にとって陰に陽に影響を及ぼす「創業家」という存在の「功罪」についてあらためて考えさせられる内容でした。グローバル経済下、サラリーマン社長やプロ経営者が株主と自分の報酬にばかり気を使って設備投資や技術開発を怠り短期的な利益の実現に走りがちな欧米から1周遅れの日本のコーポレートガバナンスの現状にあって、比較的長期的な視点で経営をすることのできる同族企業的な存在というのは割りと重要ではないか、と個人的には思っているのですが。

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本年6月に出版されたばかり、内容もホットイシューな本書は、全国区の選挙として初めて18歳選挙権が適用される参議院選挙を直前に控え誠に旬なトピックということで早速参院選前後に通読させていただきました。主に18、19歳の有権者とその予備軍、そしてその親御さんを想定して書かれたもので、内容としては、我が国の政党政治や普通選挙の歴史、選挙の制度や現状、候補者の選び方、選挙と政治とお金の問題、ネット選挙において有権者が注意すべき点、また、国会議員やその秘書の日常、国会質疑の仕組みや裏側などについて、与野党各党の政策担当秘書さんたちがわかりやすく記してくれています。ただ、お若い方だけでなく、選挙権を持って久しい方々が読んでみてもあらためて選挙や政治について認識を深める、あるいは改めることができること請け合いだと思います(全285頁)。

より具体的には、いわゆるシルバーデモクラシー、組織票が議員の行動に与える影響、いわゆる「文春砲」のような雑誌のスキャンダル記事の裏側はもちろんのこと、政治家側の悩みとして、具体的な政策提言や対案等を出し、かつ政府提出法案の8割近くに賛成しているにもかかわらず、それがメディアに報じられないがために「ただ批判と反対ばかりしているじゃないか!」と受け取られてしまう野党サイドの悩み、そして、これは与野党問わずですが、日々どれだけ懸命に真面目に活動しようとも、メディア側が「公平性」の観点から取り上げにくいためニュースに乗らず、結果としてそうした地道な取組みが有権者に知られることがない政治家の悩み(=テレビに出演している政治家が必ずしも「働いている」わけではない)といったあたりはもう少し広く知られるべき点かもしれません。

個人的にも、前回の都知事選におけるクラウドファウンディングを使った選挙資金集めの実例、いわゆる「青木の法則」=元自民党参議院議員会長の青木幹雄さんの経験則で「内閣支持率と(政権与党の)政党支持率の合計が50%を切ると内閣は退陣に追い込まれる」というもの、新聞や雑誌における選挙情勢の表現ぶり(当選可能性が高い順:安定⇒優位⇒一歩リード⇒横一線⇒大接戦⇒猛追⇒追う⇒伸び悩む)、メディアが報じたいのは「いままでにない新しい情報」「国民の間で意見が割れている争点・論点」であること、といったあたりは大変興味深く読ませていただきました。また、復習と言う意味でも、民主主義や立憲主義の本来の意味、選挙の5大原則(普通選挙、平等選挙、秘密選挙、直接選挙、自由選挙)、いわゆる「55年体制」以降の我が国主要政党の離合集散ぶり、そして、かつての中選挙制度から小選挙制度に変更した目的とその結果生じた変化についての分析あたりも勉強になりました。

そして、最後に本書の中で重みのある指摘として挙げておきたいのが、「有権者も『政治家や政党を育てる』視点を持つべきという指摘、そして、名著「職業としての政治」を記したマックス・ウェーバーの「一国の政治の質は、その国の民度の域を出ない」と言う言葉(これは「日本の政治はダメだ!」と吐き捨てた時、実はそのダメな日本の政治というのは我々ダメな国民の写し鏡なのだ、という大変厳しい、しかし本質的な指摘)、そして、約100年前の合衆国の政治家ジェイムズ・ポール・クラークの「政治屋(politician)は次の選挙のことを考える。政治家(statesman)は次の世代のことを考える。」という3つの言葉でした。今回の18歳選挙権について、世代間格差是正の観点から個人的には大賛成です。そして、その10代の皆さんの今回の実際の投票行動がどういったものだったかについては、与党支持が多かった等の大まかな情報は既に流れてきていますが、もう少し時間を置いて明らかになるであろうより詳細な情報についても今から非常に興味を持っています。

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友人がチケットを取ってくれて、幕張3daysの最終日に行って参りました。個人的には一昨年クリスマス以来のPerfumeさんのライブということになります。このツアーに何度も参加している方々によれば、映像などお三方のパフォとは関係のないところで多少のトラブル等はあったようですが、今ツアー初見参の私には全く気にならず。変わらないで欲しいものはしっかりと変わらないまま、それでも行くたびに新しい試みで毎回のようにこちらの期待を大きく上回ってきて全く飽きさせないPerfumeというユニットと、そのパフォーマンスを支えるスタッフ各位には素直に敬服します。

さて今回の幕張では「スタンディングエディション」ということでアリーナはエリアで区切りつつもオールスタンディングという仕切りです。メンバーのリクエストによるもののようですが、非常にインタラクティブというか、演者とオーディエンスが煽り煽られと言う感じで大変盛り上がりましたね(と勝手に思っています)。私のエリアは向こう側にスポットライトがあったこともあり、10数メートル前でそのスポットライトをバックに舞い踊るお三方にはもはや神々しささえ勝手に感じてしました(笑)

個人的には、2時間以上断続的に跳ねっぱなしということで、5年前に北ゴール裏での応援も事実上引退した四十路の老体にはかなり堪えましたが、いつもどおり元気をもらって帰ってきました。それでも目の前であんなに煽られたらおっさんとて踊らんわけにはいくまいて、ということで。いやしかし、ホントにマラソンやっといてよかった、お蔭で何とか倒れずに済みました。



以上キモヲタのおっさん全開で所感をば。

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主として起業家さん向けの書ということになると思いますが、彼らが「自家ブラック」に陥らないためのビジネスの「ストック化」の勧めというのが本書の要旨ではないかと。売上や収益のうち、ワンショットで流れ去ってしまう「フロー」(オフェンス重視型)ではなく、継続的に利益をもたらすものが「ストック」(ディフェンス重視型)です。勿論、その分ストックのビジネスモデルを構築するには手間と時間が必要ながら、その代わり、走り出せば雪だるま式に売上と利益が伸びていく。そして、ビジネスの、この「ストック化」が完成しない限り、企業や個人の収入は安定しないまま、自分が働き続けないと存続できない「自転車操業」のような状態を余儀なくされてしまうと言います。

本書でいう「ビジネス」とは何かと言えば、「連続的に利益(粗利益=売上-原価)を生み出す活動」です。そして、ストックビジネスを定義づけるものは2つあり、(1)継続的にお金が入ってくる、(2)売ることができる(人に依存していない:属人的ではない)、ということ。そして、ずばり究極のストックビジネスというのは不動産であり、それも無借金の不動産を所有するだと言っています。まごうことなき憧れの(笑)不労所得なのでそれは間違いないですね。ちなみに、昨年華々しくデビューしたソフトバンクの「Pepper」も、間違いなく原価割れな本体価格(20万円程度)で儲けているわけではなく、継続的に得られる基本料金プランと、修理が必要になった時のための保険プランという月額料金を継続的に得られるもので、本業の携帯電話と同じストックビジネスであるとしています。

さて、著者によれば、世界的に有名な投資家であるウォーレン・バフェット氏の投資スタイルは長期間保有することにあり、具体的に投資先に選んでいたのがカミソリの「ジレット」や「コカ・コーラ」など、やはりストック性の高いビジネスであると言います。要は、「インターネットがいくら発達しても、大人の男は毎日ヒゲを剃る。それが私の求めるビジネスだ。」とソロス氏が言うように、様々な要因にあまり左右されることなく伸びていく可能性の高い、ストック性の高いビジネスを選ぶだろうということです。髭剃りなら替え刃を継続的に購入する必要があるので、ワンショットでは終わらないということです。

更に言えば、ストック性が高いだけでなく、市場シェア1位のモデルというは、首位としての優位性の恩恵を受けると同時に、ストック性の継続的な利益と言う側面も更に加わり、時間が経てば経つほど資産価値が増大していく。したがって、「ストック性が高い×シェア1位」は最強のビジネスと言っています。

ただ、そのストックビジネスも、一度作ればその利益が永続的に続いていくというものではない。先ほどのバフェット氏は先ほどの言葉に続けてこんなことも言っている。「常に替え刃の研究開発を怠らず、販売力の増強にも励み、強力なブランド力を保持し続けることができている企業があるのなら、これに投資しない理由はない。」。つまり、ストックビジネスを維持・強化していくためには「収益ユニット」の絶え間ない「チューニング」が必要となる(収益ユニットとチューニングについては後述)。こうしてバフェット氏は消費させ続けられる商品を寡占もしくは独占状態で販売することができる企業へ主に投資をし、巨額の富を築きあげていった。つまり彼はストック性が高い企業を常に探していたということ。

では具体的にどのようにストックビジネスを構築していったらよいのか。まずはチャンスを引き寄せるために「信用」を勝ち取る。そして信用は継続的な仕事をもたらしてくれる。「切れない糸」を垂らしておき、「消えてなくなるもの」を組み入れておくことはビジネスをやる上でとても有利になるので覚えておくとよい。ストックビジネス構築の順序を、(1)フロービジネスを作る→(2)「フロービジネス」のストック化、(3)ストックビジネスを作る、としているが、どのステップからスタートしてもよい、という程度のもののよう。

ストックとは、「継続的に利益をもたらすもの」という定義づけたが、これは何も利益を生み出す「仕組み」だけを言っているのではない。利益をもたらすための要因となる。たとえば「コンテンツの質」や、また「顧客リスト」などもストックと言うことができる。そして「信用」もストックになる。

ビジネスを始めるにあたり、どの業界に軸足を定めるべきか。それは、長期的な視野に立って、これから伸びるだろう業界に立ち位置を定めるか、あるいはひたすらコンテンツの質を高めることによって、需要を喚起していくか。それにより、「価格の上昇」を実現しブランド価値が上昇すると、自然とマーケティングが不要になる。そもそも需要超過という状況こそが最強のPRであり、例えば行列は最強の広告となる。いったん需要超過に立ち位置を定めれば、価格の上昇によって利幅を多く取れるばかりではなく、マーケティング費用を縮減することができるので、ダブル効果で利益をもたらすことになる。

さらに、どうやってビジネスを起こすかという観点で言えば、例えば、女子大生がおじいさんやおばあさんにfacebookのやり方を指南してお金をもらう、といった形で、顧客と自分の「スキル差」を利用してビジネスの種とするのが、最もシンプルなビジネスの作成方法。実のところ、アイディアもビジネスも、全く新しいものをイチから構築していくのは難しい。世の中のアイディアもビジネスも99%は既存のアイディアやビジネスの組み合わせや、あるいは応用から生まれたもので、全く新しいものはほとんど存在しないと考えてもよい。つまり、今あるアイディアやビジネスを組み合わせたり、定義を変えたりすることによって、新しいものを生み出せばいいだけ。これを本書では「リノベーション」と呼ぶ。

先述の収益ユニットとは「継続的に安定した利益を得るための仕組み」のことで、具体的には、(基準の)収益〔粗利益〕×増加数×継続率という構造。ただし、このうち「増加数」は増やすと言うことよりも、「保つ」ことが重要である。

そして、いずれ「ストックビジネスは経年劣化する」ことと「人間の飽き」というものの恐ろしさを痛感することになる。その経年劣化を防ぐために、これまた先述の「チューニング」が必要となるが、それはそのストックビジネスの「収益ユニット」が高い収益を上げ続けるために必要不可欠な、きめ細かい「調整」ということ。

ユーザーに購入をやめさせない仕組みの一例としては、①コンテンツの「質」を高めること、②やめる理由がない金額に設定すること、③定期的にプラスアルファを投入すること、④コスト意識を転換させること、⑤提供する数を限定化すること、⑥コミュニケーションで接触回数を増やすことなどがある。この際、値下げというのはもはや非常手段であるから、どうしても下げなければならない場合には「ここまでなら下げても損をしない」という「最低価格」をあらかじめ設定しておく必要がある。いずれにせよ、このチューニングの鉄則とは、継続率を上げて、増加数を減らさないことにある。

以上が、拙いものですが私なりにまとめた本書の要旨です。本書の定義によれば、現在の自分の仕事はほぼ「フロー」ビジネスである、という理解で間違いなく、まさに自転車操業でブラック気味です(笑)そんな我が社でもかねてよりストックビジネス的なものを模索はしていて、今後本書から得られたこともヒントにしていきたいとは思いはするものの、なかなか実現まで持って行くのは難しいのでしょうね。一方では、一消費者の立場として、ストックビジネスの術中にやすやすとハマってチャリンチャリンとお金を吸い上げられることのにないよう注意したいところです。レッズでチャリンチャリンやられてんだろ、という突っ込みも既にいただいていますが…。

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昨年5月に「ナッシュ均衡」(Nash equilibrium)のジョン・ナッシュさんが交通事故で亡くなったとの訃報に接し、「そういえばオレ学生時代にゲーム理論のゼミに半年感だけ所属してたわ…」とはたと思い出し、数年前に買ったままタンスならぬ本棚の肥やしになっていた本書を手に取り、読み始めたものです。ナッシュさんはノーベル経済学賞を受賞していたのでてっきり経済学者と思い込んでましたが、数学者だったんですね。恥ずかしながらで今回初めて知りました…。

さて、本書のテーマであるゲーム理論というのは、今起きている問題がどのような構造で、何が原因で起きているのか、その全貌を「ゲーム」と捉え、その解決策を模索するものです。もともとはチェスやポーカーといったゲームで勝つ戦略の研究から生まれたもので、それがやがて数学の一分野として発展してきたものとされています。ここでいうゲームとは、①2人以上のプレーヤー、②戦略、③利得で構成されます。

上記①のプレーヤーとは、参加主体で意思決定者で、経済学で言う「合理的行動を取る個人」が想定されます。そしてここでいう合理的行動とは、③の自らの利得(利益)を最大化するような行動を指します。②戦略とはゲーム中でプレーヤーがどう行動するか、つまり局面局面でプレーヤーが利得を最大化するためにどう行動するかです。最後の③利得とはプレーヤーがゲームの中で得られる利益です。プレーヤーAとBがいた場合、Aの執る戦略と、Bの執る戦略により、それぞれが得られる利得は数値化されます。

また、ゲームには(1)同時ゲームと交互ゲーム、(2)協力ゲームと非協力ゲーム、(3)完全情報ゲームと非完全情報ゲームといった形である程度類別することができるとされます。同時ゲームは競争入札のようにみんな同時に意思決定するゲーム、交互ゲームは将棋やチェスのようなもの。協力ゲームと非協力ゲームとは、文字通りプレーヤー同士が敵対関係か共存関係か。そして完全情報ゲームと非完全情報ゲームも文字通り、各プレーヤーがゲームをめぐる環境について情報を得られているかどうか。有名な「囚人のジレンマ」(Prisoner's Dilemma)もここから生じます。

冒頭の「ナッシュ均衡」の話も出てきますが、これはつまり、多人数で交渉するような場合に、プレーヤーそれぞれがお互いベストな戦略を取ると、どの人も戦略を変更したくなくなる。つまり、必ず手詰まりになることを証明したものです。本書では、ゲーム理論の基本的な構造に加え、こうした膠着状態を脱する方策に関するヒントも含めて割りとわかりやすく紹介されています。とは言っても、日常の人間関係やビジネスはゲーム理論の「さわり」だけでどうこうできるほど単純ではなく、かつ人間はいつでも合理的な判断をするわけではないので、あくまで状況の理解や判断の際の「一助」になる程度のもの、ということなのだとは思いますが。

実際のところ、この理論は、ジャンケンから企業間の値引き競争、選挙、はたまた国際政治や貿易交渉までいろいろな「ゲーム」に応用はききそうではあります。ただ、結局のところ、自らの「利得」をどう定義するかによって「ゲーム」の内容や方向性が大きく左右されるところも大きいので、そのあたりに大きく主観や価値観の入り込む余地が大きそうではあります。

最後に余談ですが、ハリウッド映画「ビューティフル・マインド」(01年)はナッシュさんをモデルにした映画のようなので、ヒマな時にでも借りてきて見て見たいな、と思っています。

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ご覧のとおり1989年に初版が出た少々古い部類に入る本です。今回この本を読んで初めて知ったことですが、我が国が誇る民族学者・文化人類学者で数多の著作も出しておられる故・梅棹忠夫先生は、齢66歳にして突如としてほぼ失明状態となってしまっていました。しかし、視力を失ったことに途方にくれつつも、一方でめげることなく「知的生産」、つまり情報のインプットとアウトプットを少しずつしかし着実に再開していきました。本作は文字通り「暗中模索」となったその活動のご様子が、突然の失明というショッキングな出来事に対峙しての先生ご自身の葛藤やあらゆる感情も含めて割と克明に描かれたエッセーです。

例えば自分がこういった稚拙な書評を恥ずかしげもなくネットに垂れ流していることも、「知的生産」の端くれということになるのでしょう。しかし、仮に視力がほぼないとなれば、まず読書からして不可能、そして何とかインプットした情報をアウトプットしようにも、文字を書くにも一苦労、パソコンで打ち込もうにも画面も見えない。メールやLINEで家族や友人とコミュニケーションを取ることにも当然高い高い壁が立ちはだかることとなり、ましてや著作を執筆するような作業には目の見える者には想像を絶するような労苦を伴うことになります。

もちろん失明後の梅棹先生の知的生産には、目が見えた頃以上に家族、同僚といった身の回りの大きなサポートが必要でした。例えば、梅棹さんの場合は本や新聞・雑誌を読むにも誰かに朗読してもらう必要があり、他方、自分が執筆するにも口頭で述べたものを誰かに書き起こした上で編集してもらう必要があり、さすがの御大も自分以外の誰かの膨大なアシストなしには知的生産は成立しえません。むしろ、梅棹さんのような「大先生」だからこそ実現出来たことであるのは間違いないと言ってよいではないでしょうか。

ごくごく凡人の私としては、まずは視力を失うようなことにならないよう日常生活で細心の注意を払うのは勿論のこと、いざという時にサポートしてもらえるような人間関係づくりも重要、ということなのでしょう。また、本作では目の不自由な方が上記のような知的生産活動に留まらず、日常生活を送り、職務をこなしていく上で直面するであろう障害がかなり具体的に書かれており、平成の初めに出版された古い本ではありますが、私立文系の私にはともかくとして、技術系の方にはある種のイノベーションのヒントが詰まっていると言えるのかもしれません。


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日曜日は浦和ユナイテッドシネマにて映画「マイ・インターン」(原題:"The Intern")を鑑賞してきました。アン・ハサウェイ扮する、ネットのファッション販売会社を創業者として取り仕切るワーキングマザーの下に、ロバート・デ・ニーロ演じる、リタイア済もビジネス経験豊富な70歳の男性がシニア・インターンとして雇われ、彼が孤独な経営者である彼女に次第にポジティブな変化をもたらしていくというドラマです。

「アン・ハサウェイ」と「ファッション業界」という2つのキーワードからすると、未だに女性人気の高い「プラダを着た悪魔」の続編のようなものを想定しがちですが、あにはからんや、身近に転がっている社会の代表的な課題を取り上げた作品と言え、私のようなおっさん的にも十分に楽しめる内容でした。その社会的な「課題」とは何かと言うと、先進国共通のテーマと言ってもよい(1)引退した高齢者の生き甲斐、と(2)働く女性の直面する様々な問題です。

アン・ハサウェイの方はネタバレになるのでここでは書かないでおきますが、他方ロバート・デ・ニーロの方は妻に先立たれ、不幸まではいかないものの何となくぽっかりと穴の開いたような引退後の生活が、インターンとして若者の間で働き、立ち回ることで見事に活力を取り戻していきます。ただ、これは経験豊富で余裕があり、加えて寛容な壮年男性であればこそなのだと思います。

このところ、40過ぎて諸々に対する「寛容さ」や「余裕」を少しずつも確実に失つていることを自覚しつつある自分としては、この作品でデニーロが演じているおじいさんのレベルとまではいかないまでも、少なくとも「老害」などと呼ばれることのないように(笑)、日々精進努力してしていきたいものです(^^;;

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本書は、表題のとおり「日本史と世界史を同時に学ぶ」ことが出来るとする書です。特徴としては、日本史上の重要な30の出来事を軸にして紹介しつつ、それぞれ同時期に日本以外の世界では果たしてどんなことが起きていて、そしてお互いがどのように作用し合っていたのかについて、同じ時代のそれぞれの国・地域の歴史年表(下記写真参照)に加え、かの手塚治虫さんの漫画などもまじえつつ、比較的わかりやすく説明してくれている点にあると思います。



例えば、ペリー来航で日本に開国を迫った米国が、肝心の明治維新前後の期間において他の列強諸国に比べて影が薄かったのはなぜか、先日天皇皇后両陛下が戦争の慰問に訪れたパラオは如何にしてドイツから日本の手に渡り太平洋戦争で戦場となったのかといった疑問があらためてクリアになるなど、少々手垢のついた表現ではありますが、日本史を含む世界史を勉強してみて点と点でしかなかたそれぞれの出来事が国境を越えて線で繋がり、場合によってはさらに後の歴史的出来事との因果関係というところまで理解が深まったのではないかと思います。

いずれにしても、歴史というのは勝者によって書き換えられたり、また主義主張や立場によって大なり小なり見方が変わるものなので、その点は差っ引いて考える必要はあると思いますが、日本史は我が国の歴史としてただ独立しているわけではなく、あくまで世界の国々との「相互作用」によって脈々と紡がれてきたものだという認識を新たにしたところです。

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1年以上前に完読したものの所感を今更ながら。著者はご存じのとおり、一時あちらこちらで物議を醸しまくっていた竹田先生です。自分としても、実のところ先生のご主張に頷けないことも少なからずあるのですが、とはいえ、本書は「古事記の入門書としてはかなりお手軽でわかりやすい」という各所の評判のとおり、ホントに気楽に読ませて頂くことができました。

この「古事記」や「日本書紀」といった我が国の「神話」というのは、そこに描かれていることが史実かどうかはさておき、日本や日本人としての「根本原理」みたいなものを反映しているストーリーなのではないか、様々な局面で「日本とは、日本人とはなんぞや」というようなことを考える上で不可欠な知識なのではないか、と感じています。竹田先生の発言に抵抗を覚えることが少なならずあるくらいのスタンスである自分としても、そう強く思うようになりました。

というわけで、竹田先生の言動に違和感を覚える方が多々おられることは想像に難くありませんが、それでもなお、こうした神話に少しでも興味がある方にはお手軽な入門書としては強くオススメできます(古事記そのものをいきなり読むというのはさすがにきっついんじゃないかと思います)。ちなみに、多くの方々がもう少し神話を勉強するようになれば、ウチの嫁さんの実家である宮崎も「天孫降臨の地」としてもうちょっと聖地巡礼的な観光客の方々が増えるのになあ、などと少々邪なことも思ってたりはするのですが…^^;

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 フジテレビ猛プッシュ中の映画「海街diary」を2週間前にユナイテッドシネマ浦和で見てきました。ざっくりと「鎌倉を舞台に、過去に父に捨てられた3姉妹が、その父の死を機に腹違いの妹と出会い、一緒に住みだして徐々にお互いにわかり合っていく物語」みたいな理解で見始めたので、その割には予想していた深刻な対立やギスギスした人間関係もなく終始まったりとリラックスして楽しめる作品でホッとしたという感じでした。

 新聞の本作品の講評の中に、「この物語の底流に流れるものとして『同じ料理を食べることを通してお互いの理解を深めていく』というものがあるのだ」みたいなものがありましたが、確かに、何気ない家庭料理や定食屋さんの料理を一緒に食べたりしながら少しずつ距離を縮めていく様子は何となく共感できるものがありました。「同じ釜の飯を食った仲」という表現からもわかるとおり、友達や同僚をとりあえずメシに誘うという行為の背景に、その人と近づきたい、理解し合いたいという潜在的な心情があるんでしょうね。

 最後にキャストについて、長澤まさみさんのお色気担当はばっちりハマり役だった一方、「しっかり者の長女」としての綾瀬はるかさんも思ったよりは違和感なく見られましたかね(笑)しかし、一番驚いたのは、ネットでの噂どおり広瀬すずさんがなかなかにサッカーが上手だった点。聞くところでは彼女は割とガチのバスケ部で運動神経がよいこともあるらしいのですが、加えて、レッズファンとしては少々悔しいながらも、そこはやはり「さすがサッカー王国清水出身」というところなんでしょうね。

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