またしても奄美に来てしまいました(-_-#)
今回は、4月19日に神戸に移動するまでの一か月間におよぶ奄美生活になります(>_<)
はぁ…
朝羽田を8時45分発の奄美までの直行便で、2時間半かけて、やって来ました。
着陸する前は、悪天候のため、かなり揺れたみたいだけど、揺れれば、揺れる程、爆睡してしまう私には、心地良い揺れに感じて、着陸した衝撃で、目が覚めるまで、お気楽に寝てました(^_^;)
ホテルに着いてから、今回、トレーナーとして来て頂いている坂本先生のランチに付き合うために自転車で、商店街へ☆☆☆
帰りは、雨に濡れながら、激チャリ。。。
それから痛む左の股関節付近と座骨を見て頂き、だいぶ回復したような…
走ってみるまで、分からないけど、じっくりやって行きますワ!!!
この時期になると奄美から他県に進学・就職・転勤などで、島を離れる人達が、港なら船乗って、旅立ちます!!!
ホテルの裏の港も夜になると太鼓を叩いたり、歌を歌ったり、紙テープを投げたりと賑やかに☆☆☆
そんな姿を見る度にいつも私は、自分が、秋田から東京に向かった日の事を思い出す
9年前の3月6日、秋田駅の新幹線ホーム。
東京都府中市にあるNEC陸上部に就職が決まり、旅立ちの日。
母と友達4人が、新幹線ホームまで、見送りに来てくれた!!
私は、実業団で、走るとゆう事で、ウキウキ・ワクワクしていたo(^-^)o
母は、柱の陰から私の姿を見ていて、そばに寄ろうとしなかった。
私は、分かっていた。
母が、涙を堪えている事を。。。
出発を知らせる音楽が、ホームに鳴り響く…
途端に、、、、大好きな秋田を離れ、東京で、生活をする不安な気持ちが、涙となって溢れた(;_;)
秋田を離れる淋しさが、溢れた(;_;)
ボロボロ泣く私の姿に母も堪え切れずに号泣している(;_;)
滅多に人前で、泣いた事のなかった私。
それでも秋田を離れる新幹線の中で、一時間近く声を殺して、泣き続けた…
発車して、間もなく同じ時間に姉と兄からメールが同着した。
兄弟って、やっぱり繋がっているんだね☆☆
号泣する母の姿を見て、
“母にあんなに悲しい想いをさせてまで、私は、走らなければいけないのか??”
と東京で、競技を続ける事をその時に初めて、自分で、決めた道が、本当に正しかったのか…悩みました(-_-#)
でも“そこまでして、競技を続けるんだから、しっかり頑張らなければいけない”って、今でも強く思ってます。
あの時の母の涙、手の温かさは、一生忘れられないでしょう(;_;)
家族の大きな愛に包まれ、今も自由気ままに走り続けられている私がいる。
自分一人で、ここまでやって来た…なんて、私は、間違っても言えない。
多くの人に見守られ、支えられて来たから、この場所に立って居られる!!!!
全ての方々へ、ありがとう(*^_^*)
今は、そんな『ありがとう』の気分です(*^_^*)
明日からは、足と相談しつつ、トラックレースに向けて、頑張るぞぉ~(^o^)/
私の体よ!!!!
また頑張ろうね↑↑↑
今回は、4月19日に神戸に移動するまでの一か月間におよぶ奄美生活になります(>_<)
はぁ…
朝羽田を8時45分発の奄美までの直行便で、2時間半かけて、やって来ました。
着陸する前は、悪天候のため、かなり揺れたみたいだけど、揺れれば、揺れる程、爆睡してしまう私には、心地良い揺れに感じて、着陸した衝撃で、目が覚めるまで、お気楽に寝てました(^_^;)
ホテルに着いてから、今回、トレーナーとして来て頂いている坂本先生のランチに付き合うために自転車で、商店街へ☆☆☆
帰りは、雨に濡れながら、激チャリ。。。
それから痛む左の股関節付近と座骨を見て頂き、だいぶ回復したような…
走ってみるまで、分からないけど、じっくりやって行きますワ!!!
この時期になると奄美から他県に進学・就職・転勤などで、島を離れる人達が、港なら船乗って、旅立ちます!!!
ホテルの裏の港も夜になると太鼓を叩いたり、歌を歌ったり、紙テープを投げたりと賑やかに☆☆☆
そんな姿を見る度にいつも私は、自分が、秋田から東京に向かった日の事を思い出す
9年前の3月6日、秋田駅の新幹線ホーム。
東京都府中市にあるNEC陸上部に就職が決まり、旅立ちの日。
母と友達4人が、新幹線ホームまで、見送りに来てくれた!!
私は、実業団で、走るとゆう事で、ウキウキ・ワクワクしていたo(^-^)o
母は、柱の陰から私の姿を見ていて、そばに寄ろうとしなかった。
私は、分かっていた。
母が、涙を堪えている事を。。。
出発を知らせる音楽が、ホームに鳴り響く…
途端に、、、、大好きな秋田を離れ、東京で、生活をする不安な気持ちが、涙となって溢れた(;_;)
秋田を離れる淋しさが、溢れた(;_;)
ボロボロ泣く私の姿に母も堪え切れずに号泣している(;_;)
滅多に人前で、泣いた事のなかった私。
それでも秋田を離れる新幹線の中で、一時間近く声を殺して、泣き続けた…
発車して、間もなく同じ時間に姉と兄からメールが同着した。
兄弟って、やっぱり繋がっているんだね☆☆
号泣する母の姿を見て、
“母にあんなに悲しい想いをさせてまで、私は、走らなければいけないのか??”
と東京で、競技を続ける事をその時に初めて、自分で、決めた道が、本当に正しかったのか…悩みました(-_-#)
でも“そこまでして、競技を続けるんだから、しっかり頑張らなければいけない”って、今でも強く思ってます。
あの時の母の涙、手の温かさは、一生忘れられないでしょう(;_;)
家族の大きな愛に包まれ、今も自由気ままに走り続けられている私がいる。
自分一人で、ここまでやって来た…なんて、私は、間違っても言えない。
多くの人に見守られ、支えられて来たから、この場所に立って居られる!!!!
全ての方々へ、ありがとう(*^_^*)
今は、そんな『ありがとう』の気分です(*^_^*)
明日からは、足と相談しつつ、トラックレースに向けて、頑張るぞぉ~(^o^)/
私の体よ!!!!
また頑張ろうね↑↑↑