東電3旧経営陣 第2回公判開かれる
「福島原発事故の責任」を問う東電3旧経営陣の第2回公判が1月26日東京地裁であった。その焦点を追ってみた。
2002年~2011年までの主な出来事
(資料 1)
<添田孝史著東電原発裁判より>
<NHK原発メルトダウン危機の88時間CGより>
厳寒の朝、東京地裁前のアピールが始まり「厳正な判決を求める署名」3,127筆を集約し代表団が提出した。最高裁並みと言われるボディチェツクがまたしても行われた。
証人尋問は上津原勉氏(事故当時・原子力設備管理部長代理)が事故を未然に防ぐ対策として「重要設備の水密化や防潮堤建設など複数の津波対策を講ずるべきだった」と述べた。しかし、2008年6月10日、被告の武藤栄元副社長らが出席した会議で最大15.7㍍の津波が敷地を襲うとの試算結果の報告を受け「従来の想定より大きく、違和感が残った」と信頼性に疑問が残ったと述べていた。
公判報告会では海渡弁護士が「10㍍盤の上に10㍍の防波堤は不可能と印象付けたかったのだろう!」と語っていた。
(資料1)の主な出来事である。これを見れば東電は巨大な津波が来ることを自覚していたのは明らかだ。
公判を通じて裁判長の被告人の擁護が目立った。何と!裁判長の指示で冒頭のテレビ撮影が行われた後に3被告が入廷して来たのだ。6月までの公判期日17回、連続2日が2回、開始が10時からだ。抽選は早朝。「告訴人の多くが福島県民だ!」を意識した訴訟指揮である。