体調悪し、命に障りなし

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

私と義姪の金銭感覚

2012年05月15日 | 旅行
 私には会いに来ないけど、主人には家族で醴泉(イエチョン)からソウルに会いに来るのは、実の叔父だから当然と言えば当然。欲しい物はあるかと聞いたら、ご主人が野球が趣味でファイテインのネックレス?を欲しがっているとのこと。私には全くなじみのない物で、しかも当時は売っているお店も商品も今と比べたら少なく、ネットで調べたり遠くのお店まで探しに行ったり本当に苦労しました。それでも彼が欲しがっている物と量は手に入りませんでした。そして、これの代金は結構な金額でしたから、「払います」と義姪は言ったのです。ですから、両替はこの代金を受け取れることを前提でしたのです。
 お土産はカレールー(韓国のカレーはおいしくないと、当時は言っていました)と子供のお菓子くらいでしたから、叔父として私の金銭感覚に見合う金額を、義姪と子供3人にを用意していました。ソウルに到着した日は食事に行きましたが、もちろん叔父(我が家のだんな)持ち。そして翌日は私を水原(スウォン)の民俗村に連れて行ってくれるはずでしたが、私はホテルの前で1時間待ちぼうけ(-_-;)。まあ、子供3人もいて時間通りに行動できないのは仕方ない(T_T)。
 私の金銭感覚では、民俗村までの高速料金も入村料もカルクッス(そうめん?)の代金も財布は開けませんでした。だって、韓国語わかりませんし、韓国人の義甥夫婦が付いているのに私がいちいち財布を開けてられませんから。彼にとっては「お金を出さない日本人のケチな義叔母」と思ったことでしょう。でも、子供達と一緒に歩いていましたから、風船やアイスクリームを買うときは財布を開けましたよ。 ←模擬結婚式   
 そして、彼のお母さんの家に行くので帰ると言います。私は一人でソウルに帰らなくてはなりません。もう少し民俗村にいたかったし、5回目の韓国ですから何とかなるだろうと義姪家族は帰す事にしました。義姪にファイテインのネックレス代を請求すると「払わなければならないの?と主人が言っている」と言うではありませんか。「ああ、そういうこと?」と逆らえませんでした。別れ際に、用意していたお小遣いを全部渡しました。私から離れて歩いていた彼は、初めて私の前にわざわざ来て、日本語で「ありがとうございます。気を付けて」と言いました。それまでは一言も話さなかったのに。
 実は義姪の家族がまだ4人だった頃に、日本の主人の実家で会ったことがありました。その頃は誰も韓国語を話せませんし、彼は居心地悪そうにしていましたが、私が韓国へ行けるようになったのだから、少しくらい愛想笑いくらいすればいいのに、怒っているみたいに見えました。
 身内のことですが、ドラマ以外で「韓国人の金銭感覚」を目の当たりにした気がしています。義姪はもちろん日本人です。ただ、元々主人と私の実家は親戚の付き合いや金銭感覚は違いましたから、彼女が独身の時はそれなりに理解出来ました。それが韓国に嫁いでから拍車を掛けたようで、感覚的には「財布の隅までひっくり返された」感じ。実際、財布はほとんど空でした。

 和○ちゃん、「お義叔母さんには無理だけど、叔父さんにはお小遣いはたくさんもらえると思ったのかと思うけれど、残念ながらあなたの叔父さんは、私が全部お膳立てしなければ、そんなことに気が利くタイプではないのよね~(^_^)v。叔父さんが結婚するまでお年玉ももらえなかったの、忘れたの?」あっかんべ~----。
 それ以来会っていません。
コメント
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