旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

ウィーンフリータイム

2011年08月31日 | 旅行
 昼食後はフリータイムだったので、4人で市内散策。(あ、ツアーで一人参加の女性が一緒に、とおっしゃったので途中まで一緒だったかも。)この旅行、第一目的の我がヨハン様の銅像で写真を撮りました。半端じゃないくらいしつこく。幸い、なぜか私達が行った時間は貸し切り。日本人じゃない方たちが少し集まったのでしばし中断。そしてまた写真を撮りました。だって、離れたくなかったもの(*^_^*)。像が高くて、生憎本体に抱きつくことは出来なかったけど、足に抱きついたりキスをしたり、これらの写真は全部主人が撮りました。はい!(^^)!。切りがないのでヨハン様にお別れし、公園の中のベートーベンやシューベルトの像もちゃんと写真は撮りました。
 それから、地下鉄に乗ってヨハン様の家を探しに行きました。テンションがピークの私は、地下鉄の中で結構大きな声で娘と騒いでいましたが、誰も日本語が分からないのでよかった。こんな時代でも日本人が地下鉄に乗っているのでさえ珍しいのに、いい年のおばさんが騒いでいたので、じろじろ見られていましたが、知ったこっちゃない。
 地下鉄の駅を降りて歩けども、目指すヨハン様の家は見つかりません。ついに鉄道の駅に着いてしまいました。それでは行き過ぎです。来た道を戻りつつ、3人(母の目は期待してない)が6つの目を凝らしてもそれらしき家は見つかりません。主人さえドイツ語は解らないし途方に暮れ諦めかけた時、天使が現れました。私より年上の天使でしたが!(^^)!。車椅子におばあさんを乗せ、押して歩いているおばさんが英語を話せるらしく、主人がたどたどしくも私よりましな英語で尋ねました。地元の方だとおぼしきその方もヨハン様の家を知らなくて、フルーツ屋の店内に入って聞きに行ってくれました。その間、車椅子のおばあさんはそこで待っていたわけですが、見ず知らずの私達におばあさんを預けて不安ではなかったのかしら(@_@)。日本人が治安がと思っている外国も、案外日本と変わらないのだと思いました。日本も治安が悪いこともあるし、悪い人はどこにでもいますからね。 
 ヨハン様の家は、それでもまだはっきりしませんが、おおよその方向と距離は何とか教わりました。教わった建物の入り口を恐る恐る入っていくと、奥にマク○ナルドの裏口がありました。それでもまだヨハン様の家は見つかりません。マク○ナルドの裏口で、ヨハンシュトラウスの名前を言うと、入ってきた建物の入り口を指さします。それは何の変哲もない普通のアパートの入り口で、とても世界のヨハン様の家とは思えません。入ると自転車がずらり。半信半疑で階段を昇って、やっとヨハン様のお宅にたどり着いたのでした。
 思えば、モーツアルトの家もアパートの2フロアを記念館として使っているだけで、他のフロアは普通に人が住んでいるし、シェーンブルン宮殿も一部は公務員住宅になっているので、ヨハン様の家も普通のアパートの1フロアが記念館になっているのは、おかしくはないけれど、日本では考えられません。モーツアルトの家は、壁が黄色くて看板もわかりやすく人の出入りも多いけど、ヨハン様の記念館は、私達貸し切り。看板もないのでとてもわかりにくいです。ガイドブックに見つけづらいと書いた方がいいと思います。
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コンサートチケットを受け取るに当たり

2011年08月29日 | 旅行
 私がウイーン市内観光をしないで、離団することをツアー会社に了承してもらわなければならないと思いました。何しろ初海外なので色々質問したくて、それはそれは嫌われるくらいしつこく電話をしましたから、市内観光は参加しなくてよいかも確認して、了承してもらっていたと思いました。窓口になったJ社にも、そのことをA社に連絡してもらって、私なりに念入りにしたつもりでした。
 出発前に、チケットは主人が取りに行ってくれると言ってくれたので(ホントに役に立つ主人だわ!(^^)!)、離団する人間が代わりはしましたが、私の念入りな確認は全く伝わっていませんでした。成田空港で添乗員に確認したら、聞いてないと言うのです。聞いてなくても、私がそう言うのだから添乗員は認めないわけにはいかなっかたのだと思います。男性だから認めてもらえたのか、私が行くことになっていたら認めてもらえなかったと、その後思いました。
 ウイーン市内観光の朝、私達より半日早く市内乗り物フリーパスをもらった主人は、バスの中からの「何で行かないの?」の声を聞きながら手を振り、バスを見送りました。その時の主人の市内自由行動は楽しかったようです。ツアーでは行けない場所を巡って、ドナウ河畔では鴨に癒され、王宮にも行って、あ、もちろんチケットも受け取り、シュテファン寺院も当然行って、夕食のお店まで物色して、昼食会場の市庁舎前で私達のバスをお出迎え。ツアーの方々にまるで旧知の友に会ったかの様に再会を喜んでもらえました。(^^;)  なんだそりゃ(@_@)
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ウイーンで

2011年08月27日 | 旅行
 ヨハンシュトラウス好きの私としては、どうしてもウイーンでコンサートを経験しなくてはなりません。「聴く」ではなく、何でも経験。この際楽団のレベルは目をつぶり(じゃない、耳をふさぎ)何でも良いからコンサートを経験したかったので、日本で調べました。その頃、インターネットはまだ使っていなかったはずなのに、いったいどうやって調べたのか自分でもよく覚えていませんが、多分ガイドブック頼りに電話とファックスを使って問い合わせたのだと思います。言葉は中学英語しかわかりませんから、かなり手こずったのだけは記憶しています。ちなみに主人はここの段階では手伝ってくれません。
 やっと、市立公園のクアサロンのチケットが手にはいることになりました。クアサロンは、我が憧れのヨハン様像の前です。勝手に素敵なコンサートを想像してしまい、日本でもどんどん期待は膨らみました。
 ただ、問題はウイーンのチケット店にチケットを取りに行かなければなりません。ウイーンでの自由行動は、午後の半日ありましたが、ちょうど運悪く土曜日なので正午までに行かなければ、チケットも代金もパ~です。地図で確認したら、シュテファン寺院の近くで、初めての私も行けそうですが、楽しみにしていたシェーンブルン宮殿は諦めなければなりません。
 主人は、また来れば良いのだから今回のコンサートは諦めたら?と言います。私にとっては、最初で最後の海外旅行の覚悟で行く海外旅行のつもりでしたから、どうしてもコンサートは諦められません。シェーンブルン宮殿は断腸の思いで諦めることにしました(T_T)(T_T)(T_T)(T_T)。
 
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突然のドレスコード

2011年08月26日 | 旅行
 初海外の私にドレスコードを教えたのは、8月3日の投稿に書いたせつこさん(ザルツブルクのガイドではなく)ときみちゃんで、出発前に「高価な物は持っていかない」「スカーフやおもちゃのアクセサリーでも対応できる」「スカートは1着だけ」などのアドバイスを聞きました。
 そこで、ドレッシーな服装は元々似合わないし、緊張するし、だいたい殆ど持っていないしなので、Tシャツの上に着られる濃紺のテーラーカラーの半袖ジャケットと同じ系統の色と素材のタイトスカートを用意していきました。靴とバッグは、かなり昔、娘の幼稚園の卒園式に使った物で、どちらも中はボロボロで捨てても惜しくない物。アクセサリーは無し、と決めて行きました。
 それをインスブルックのヨーデルコンサートでも使いました。その時はツアーの中で他にドレスアップしている人はいませんでしたが、ザルツブルク城のコンサートでは、男性はスーツに革靴、女性もロングドレスにヒール靴。(@_@)
 はやや、びっくり。皆さん、どこにそんな荷物を隠していらっしゃったのでしょうか?娘と同世代のお嬢さん達(高校生)も大人顔負けのドレスアップで、娘がとても嫌がりました。だって、私は高校生の娘にそんな格好をさせたこともなく、だから持ってもいなくて、この旅行はとにかく歩きやすい靴で、と言ったのでスニーカーしか履いてなかったから。唯一、持って行ったワンピース(値段は高かったのに(>_<))さえ子供っぽくて、ちょっとかわいそうなことをしました。
 娘は未だに、その時の事を根に持っています。(*_*)
 私のジャケットとタイトスカート、内側ボロ靴ボロバッグのワンパターンは、ウイーンのクアサロンのコンサートのために準備していったはずでしたが、なかなかどうして、インスブルックとザルツブルクでも微力ながら役に立ちました。以後、海外旅行に行くたびにドレスコードには頭を抱えています。添乗員さんが出発前に下さるお出かけコールでは「今回ドレスコードの場所はありません」と言われるのですが、何かしら対応できるように準備します。けれども、皆さん相当上手でとても敵いません。彼らのスーツケースはどうなっているのと思うくらい、靴もバッグもセミフォーマルくらいは準備されているようで、私はまだまだドレスコードの勉強中です。ハイ。(^_^)v
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ザルツブルクの何でも経験。

2011年08月25日 | 旅行
 ハラハラ、イライラのお昼前のザルツブルク。午後はちょっと落ち着きました。さすがモーツアルトのお膝元ザルツブルク、音楽家の卵が町のあちこちで演奏しています。この方達にお金をあげていいのか解らなくて、添乗員に尋ねようとしましたが、午前中の母の不手際に遠慮してしまい、なかなか近づけず断念。でも、私、この時には財布がペッタンコだったのです。わずかな小銭で路上演奏者にお金をあげてみようなんて、な~んて・・・(*^_^*)何でも経験。(^O^)
 午前中のトラブルを物ともせず、私達の家族はミラベル庭園でもまたまた別行動。ツアーなのでわずかな自由行動ですし、誰も人のことは構っちゃいない我が家族。一緒に行動していては心残りだらけで旅行は台無しです。「サウンドオブミュージック」のマリアにでもなった気分でウロウロ(*^_^*)。 そんな時に、そばに主人や母がいては気分台無しです。(^_-)。 最後は、ツアーの一番最後から名残惜しそうに出口へ。
 この日のガイドのせつこさん(注:友人のせつこさんではありません)は、かなり長くザルツブルクでガイドをされている方で多くの添乗員が神様の様に思っていると、我らが添乗員高○優子さんが言ってました。このガイドさんのお計らいで、夜はホーエンザルツブルク城でのコンサートに行けることになりました。希望者だけだったので、私と娘だけ参加することになり、主人と母はホテルでお留守番。あ~~~また、現金がなくなる~~~。(>_<)
 その前に夕方ホテルに入ってから、主人とホテル前の小さなお店へお水を買いに行きました。お水に2種類あるのはこの旅行で初めて教えてもらいましたが、ノンガスとガス入り。主人と二人読めないドイツ語のラベルを散々見つめて選んだノンガスのつもりのお水。部屋に帰って飲んだらガス入りでした。がっかり(-_-)。「何でも経験」の私もこの乏しい財布状態でこんな事になると、落ち込みます。ちなみにこのお店でスキンクリーム「ニ○ア」を買いました。日本でもおなじみなので、買う必要もないのですが、ドイツ圏にいるのが嬉しくて、お金がないくせについ・・・(^^;)。
 
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