旅行に夢中です

今までの楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、困ったことを誰かに聞いて欲しいです。

出発前にトラブルはなかったのですが・・・(=_=)

2011年07月26日 | 旅行
 春休みに母、主人、娘と私4人で申し込みを済ませ、私は準備の楽しさを満喫していました。ところが、GWに帰省して義母に話したところ、決して誘ったわけではないのに「私も行きたい」と言い出しました。移動ばかりのヨーロッパですから、絶対に疲れるに決まっています。主人は自分の親のお守りはしませんから、嫁の私か娘の負担になることは目に見えています。
 それまで一緒に誘った箱根旅行も「小学生の娘のためロマンスカー、登山電車、ケーブルカー、ロープウエイ、船、バスに乗るのが目的だけど、それでもよければ」と念を押したにも関わらず、箱根の温泉に浸かってのんびり出来ると思っていたらしく「わたしゃ、疲れた。こんなはずではなかった」と言っていましたから、ヨーロッパなど連れていく自信は全くありませんでした。主人は自分の親に関心なく、私が説得しなくてはなりませんでしたが、一度救急車で運ばれ血管のバイパス手術をしているので「お医者さんにきいてみて」と言ったところ、お医者さんは「行きたければ行けば?」とおっしゃったそうで、その投げやりな言葉が義母には不安だったらしく「行かない」と言いました。
 ヨーロッパはトリプルルームが少ないので、義母が行っていたら部屋割りで揉めそう。海外旅行慣れしている私の母も、全くマイペースで添乗員やツアーの仲間に迷惑をかけ、私はハラハラし通しでした。それまで一人でツアーに参加していた母は、いったいどのくらいの人に迷惑をかけて来たのか、なぜ母が一人で海外に行けていたのか、その時初めて理解しました。
 
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二度と海外旅行をしないって決めたにも関わらず、現在24回。そうなったきっかけは。

2011年07月25日 | 旅行
 グアムに行ってパスポートを手にした母に、羽が生えてしまい、それからは家にいる暇がないくらい海外に行くようになりました。それでも最初はおとなしく友人と一緒に連れて行ってもらう、だったのですが、2年半後の早春に我が家にやって来て、3月にイタリアに行く予定だったのに、お友達が行けなくなったので一人で行くか迷っている(迷ってるって、もう決めていたかも)と言うのです。思わず私も行こうか?と言いかけましたが、ちょうど娘の進学と重なり、いくら春休みといえども何日も留守には出来ず断念。結局母は一人でイタリアへ行ってしまいました。当時70才直前。
 それからは一人でトルコだ中国だスペインだハワイだ韓国だアメリカだロシアだ北欧だカナダだと、一人暮らしで誰も止める者がいないのをいいことに、知らない間に出かけていました。周囲にも親戚にも黙って行ってしまうので、母の友人が家の中で倒れているのではと心配して叔父に連絡をよこし、叔父が家に探しに行ったこともあったとか。
 それを見ていて、なーんだか変(?_?)。昔から旅行好きで、私が赤ちゃんの頃から人に預けて国内ならどこでも行っていたとは言え、あんな年寄りが一人で行けるのに、私だって行っても大丈夫ではないかと思ったのです。更に、当時のパート先の社長の娘がやっぱり気軽に海外旅行に行くんです。しかもヨルダンとかエジプトとか、世界情勢に疎い私としては、あの周辺は危ないと思っている頃で、よく親が行かせてくれるな~って思いました。そして、世の中は若いお嬢さんたちが、これまたお気楽に近所でも行くように海外に行くようになっていました。な~んか変?(@_@)
 もう一つの理由は、「キ○ンビバレッジ」の懸賞で「コ○ズミトランク」が当たったのに、旅行の予定がないものだから、主人が先に海外出張に使ってしまい、新品のトランクが一度の海外でボロボロにされてしまったこと(=_=)。 怒りましたよ~。涙が出ました。もしかすると将来高値が付いたかもって思っていましたからね(*^_^*)。
 飛行機に乗せればこんなもんだ、となだめられて、じゃあ私もコ○ズミトランクを持って海外に行くと決めました。一人じゃ不安だから、主人と娘と海外旅行慣れした母も誘って、行き先は最初で最後だからと大好きなヨハンシュトラウスの「ウイーン」と即決です。1998年の春です。
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クレジットカードのトラブルも 11/7/23

2011年07月23日 | 旅行
 1994年では、私もクレジットカードに慣れていなくて、オンワードホテルから一番近いペイレススーパーマーケットで危うく二重取りをされるところでした。細かい物をたくさん買ったので、合計が半端な数字でしたから気が付きましたが、そうでなければ私の勘違いかと見過ごすところでした。何しろ初海外ですから、クレジットカードのサインを漢字でするのかアルファベットでするのかも知りませんでした。お店の人が読めるように親切にアルファベットで書いたら、裏のサインを書いてと言うので、その伝票の端に漢字でサインをしたのですが、それを二重にされたようです。
 帰国してから請求を見てびっくり(@_@)。同じ日に同じ店で同じ金額などあり得ません。お店は遙か遠くグアム。しかも私は英語が話せません。さて、どうすれば間違っている事を伝えられるか、しばらく考え、主人にも相談しました。たかだか二、三千円の金額です。泣き寝入りか~(/_;)と諦めかけた時、誰だったか忘れましたが、カード会社に相談することを勧めてくれました。簡単でしたよ~ 
UCカード会社はすぐに理解してくれ、現地に連絡をしてくれたとのこと。しばらく経っても現地のお店から返答がないので(返事もよこさないお店って
(?_?)・・・)、支払わなくても良いことになりました。カードを使ったら、伝票をチェックするべきです。私のように伝票を捨てられなくなっても困りますが・・・・。(^_^;) 
 このグアム旅行の最終日、成田に着いてから裏技を使ってお得したこと。昔は機内食がとても充実していて、食べきれないくらいの量でした。私達も食べきれなくて、年寄りと娘の分がかなり残ってしまいましたが、家に持ち帰りたいと思ってもそれは当時だってNGです。でも、そこを何とかってお願いして、食器とお盆ごと頂いてきました。もちろん、食中毒では絶対迷惑はかけない約束で、乗務員に許可をもらって内緒です<(_ _)>。
 成田には車で来ていたので出来たことです。更に初海外にしては、何と用意周到なこと(*^_^*)。ビニール袋はもちろん、ラップやアルミホイルに加え、ビニールの風呂敷まで買い揃えていましたから、お盆ごとの機内食など何の苦労もせずに家まで持って行けました。
 一晩冷蔵庫で寝かせたチョコレートケーキは、自分の準備に満足した事も加味され、ことのほか美味 でした。ちなみにホームセンターで10枚セットを買ったビニールの風呂敷は、その後活躍の場もなく残りの9枚はキッチンの隅で待機中。もう使えないかも。
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乗り物酔いは後を引き

2011年07月22日 | 旅行
 グアムまでの乗り物酔いは結構重症で、飛行機を降りても治りません。グアムには台風も近づいていて到着日は土砂降り。海外慣れしている主人は、食事を自分で調達するつもりだったらしく、その日の夕方はホテルの近くのスーパーに傘をさして出かけました。年寄り二人と中学生の娘を連れて。買った物と言えば、パン、コンビーフ、ハム、チーズ、トマト、オレンジくらい。 
 今なら私の方が用意周到で、日本からアルファ米やみそ汁、お粥、缶詰など持ち込むところですが、何しろ初海外ですし、頼りは全部主人で何の用意もしてません。主人は「これが朝ご飯だ」と年寄りにも言いました。私も食べるものがありませんでした。
 到着日の夕食はホテルのレストランでしたが、食欲が失せるほどの値段です。今なら納得できますが、当時は何せ初海外。私はもちろん、娘は大好きなステーキも昼間の乗り物酔いが後を引き、ほとんど食べられませんでした。そうなると機嫌が悪いのは、主人の母。食べ物を残したくない昔の人ですから、高いお金を(しかも息子が稼いだお金(-_-))出したのに気持ち悪そうな嫁と孫。元気なのは二日酔いはしても乗り物酔いは絶対にしない主人と何でも食べる私の母。翌日の朝もスーパーで買ってきた食材を、二人でもりもり。
 今も海を見ると血が騒ぎ、海には「帰る」と表現する娘は、海に入れるとまるで文字通りの「水を得た魚」で、復活宣言、元気になりました。 おまえは河童か(*_*) 私は、自分の楽しみに没頭する主人と海には行ったきりの娘が、マイペースの義母と好き勝手の母のおお守りをしないのでなかなか楽しめず、更に島内観光をすれば台風でお土産屋のテントも吹き飛ぶくらい。何しにはるばるグアムまで行ったのか、解りゃしない。(/_;)二度と海外旅行なんてするもんかと、その時は思いました。
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二度としたくなくなる海外旅行 11/7/21

2011年07月21日 | 旅行
 私だって初めての海外旅行。主人の海外出張の見送りに時々成田まで来ていた頃から、成田空港のあの出国ゲートの先は何があるのか関心はありました。何だか絶対に入れないと思うと余計に覗いてみたい気持ちが募ります。主人は慣れているので、自分の母親を腰巾着のようにして空港内を闊歩します。私と母と娘は、初めて出国するお客としての成田空港で、まるで「おのぼりさん」 出発前に免税品が買えることさえ珍しく、きょろきょろしたり飛行機をバックに記念撮影をしたり・・・。まさかその10年後にこんなに成田空港にお世話になるとは思いもせず、これが最初で最後の経験かと思っていました。
 どんなに楽しい旅だろうとわくわくしていたのに、最初の躓きはグアムまでの機内。朝早く家を出たので睡眠不足も重なり、私と娘は撃沈(>_<)。すっかり酔ってしまいました。その上、パック旅行の悲しさ。座席が最後尾だったため喫煙席。それだけでは足りず、「禁煙席の人のための喫煙席」の前で、グアムに着くまで煙草の煙に悩まされ、ただただ吐き気だけ。機内食ものどを通りません。煙草を吸っている人に消臭剤をスプレーしたくらいです。乗務員の席を変えてもらおうにも満席とのことで、「死ぬかも」と脅かしても効果なし。当たり前か・・・(T_T)。
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