嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

一人暮らし、はじめました。(読むだけ時間の無駄)

2005年04月17日 15時58分54秒 | Weblog
やは!
どうもお久しぶりっす。
MY PROFILEの部分を変更したので気付いてる人もいるかもですが
一度は実家に戻り、今度は神奈川県横須賀市に引っ越しました。

今住んでいる場所にネット環境がないので
現在は二駅ほど離れた場所の漫画喫茶から繋いでいます。

ん?今と現在の使い方が逆かな(?)

久しぶりに自分のところをチェックしたらTB打たれていたので
ちょっと不思議にホッとしております。
まだ読者は居るんだな、と。

昨日の夜、オフラインで書いた記事とも関係あるのですが
(いずれUPする予定)
知人から切り離された環境で
毎日仕事しながら寝る前の時間を
何をするともなく自分を反省する時間に割り当てています

そしてまた、それが苦痛でもあります。

わどさんと出会えた事自体は僕に良い影響を及ぼしていると考えていますが
彼と暮らした事のほとんどは、僕にとってあまり生産性は無かったと考えます。
むしろ悪い影響の方が多かったと感じています。
まったく無駄だったかどうかは、よくわかりませんが
少なくとも僕一人にとっては時間の浪費にしかなりませんでした。

それは彼の責任ではないかもしれないし
そもそも僕のこういう意見に彼は傷つくかもしれませんが
それでも僕がそのように感じている事を隠す方がおかしいと考えます。

わどさんと暮らしてみてわかった事は
彼との生活は、僕が詩を書く上では全く役に立たないということです。
そしてまた、小説を書く上でも逆効果であるということです。
これは他人を自分の道具として見ている僕の性格の歪みがどうこうという以前に
創作的な活動を妨害する方向にしか働いていないということが重要です。
やはり創作的活動は、一人の孤独な苦痛環境より生まれ、
また自分の中心にすりよる、集団言語より隔絶された異界への跳躍的意思によってしか
それは成し遂げる事ができないものと考えます。

要するに僕が何か生産的な事を行ううえでは、他人は邪魔だということです。
そしてまた、他人なしには基本的な食生活が成り立たない弱い現代人である事も事実です。
誰かが僕を養ってくれるかどうかは関係がありません。
それこそ缶詰十年分を倉庫に入れて暮らすのも良いかと思います。

食生活以外の面でも
僕自身が友人の居ない環境で生きていけるのかどうか、
それも気になっています。
たぶん、それを試すために今があるのではないかと思いますが
正直、退屈な時間に、気が狂いそうになります。
誰とも話す事など無いのに、
誰かが僕を見ていないという事の自覚に対して
かなり不安になります。

仕事は面白いものではありませんが
面白いのだと自分を騙さないと、
周り中に面白さを宣伝しないと、
退屈さに気付いて動けなくなりそうです。

いつもいつも、生活能力が無い事を精神性の問題と摩り替えてごまかしているような
そんな自分の弱さを感じています。
だけどその弱さが無くなったら、僕にはもう何も生み出すことが出来ないのではないかと
そっちの方がもっと不安になる。
そしてまた、自分に現状を打破する意思が何もなく
目的に向かう強い意志も無いことを認めるのが嫌だ。

世界を変えられないなら、
自分で世界を書き換えられないなら、
生きていたって面白くない。
そしてまた、世界を変える面白さは、生きる動機と関係ない。
人は面白いから生きているわけではない。
ただ、面白ければ生きている苦痛を軽減できる事を経験で知っている。

人生は面白くない。
だけど面白くしたい。
人はつまらない。
だけど面白い人には会いたい。

弱さを認めたくない
だけど強さには、もっと吐き気がする。

生まれる場所を間違えた、そんな気がしてならない。
明日を面白くするために、
今は苦痛の海で溺れてあがくだけだ。