嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

ピクニックに出かけて、ピクニックを飲めばもう忘れる。

2005年08月06日 22時07分41秒 | 駄文(詩とは呼べない)
一つ思い出した事がある

15歳の冬、僕は試験勉強を無理矢理親からやらされていた
高校一年生の春、
工業高校に合格した僕は今とは違って
新しい学校という場所に大きな期待を持っていた。
愛知県立東山工業高校という学校は、
僕にとって一つの目標でもあったし
壁でもあったのだと思う。

入学式の日、担任の先生から言われた言葉を思い出した。
「この学校に入って、これからの学校生活に不安よりも期待の方が多い人、手を挙げて。」
この時、すぐに手を挙げたのは、クラスの中で僕一人だけだった。
すぐにも何も、僕が手を挙げた後も誰一人として手をあげなかった。
実際のところ、じつに荒んだクラスだった。
僕は工業高校という場所が、普通科に行けないほど頭が悪い人たちの、
あるいは不良たちの、あるいは家が貧乏で働かなければならない人たちの、
溜まり場としてしか機能していない施設だとは、
その時全く気付いていなかった。

僕は自分を維持するために必死で勉強したし
優等生である自分がおかしいとも、嫌われているとも思っていなかった。
入ってすぐに、まだほとんどクラスに馴染んでもいない段階で、
すぐに一人の生徒が学校を辞めた。
挨拶する暇も無かった。
消えていっただけだった。

たぶん、そいつの名前、「こだましゅうや」
だった気がするけど、、、自信は無い。
何人もの人が学校を辞めた。
僕は、その人たちの事を考えなくなった。
ある日突然人が死んでも
ある日突然人が転校しても
ある日突然人が学校を辞めても
先生は何も言わない
そして僕も何も言わない
たぶんきっと、クラスメートがうわさ話をして、
数日でみんな忘れる。

今ではもう、そいつがそこに居たのかどうかさえ、
僕にはよくわからない。

それくらい、人の世界は薄情なシステムで出来上がっている。
だから僕も、これを読んでくれた君の事をすぐにでも忘れるだろう。
それが良いとか悪いとか、そんな事を僕は考えない。
ただ、僕がいつも思うのは、
僕の生は祝福されたはずなのに、
誰も僕の事をいつも憶えていない。
そして同じくらい残酷に、僕は他人の事を憶えていない。

だから僕の生命も経験も培われた言葉も
人に忘れられるために流れているだけなんだ。

僕はそれを、
良いとか悪いとか考えない。
良いも悪いも関係ない。
良いことも悪いことも境界がわからない。

だから僕が棲むこの世界は
自信を持って良いと言うことが出来ない。

ならば悪いに決まっている!
良さの一つも無いこの世界、悪い世界と俺が決める!!
つまり僕の言いたいことは、
もう君が忘れてしまった記憶の中にある。

だからそう、いつだって僕の言葉は
忘れるために刻まれる
たった一度の世界で
涙なんか、流したくない。

たった27ページの感想文

2005年08月06日 21時26分44秒 | 読書
少しだけ、気になるところもあったので
「死にぞこないの青」という本を読んだ。
片田舎の小さな町ですくすくと育った人の
小さい頃の思い出をのらのらと書き綴ったような話だった。

いつもおいてけぼりにされる事に怯える僕の
なんだかよくわからないけれど流れている世界の
日常のささいな出来事を
事細かにじっと見つめる視線
息を潜めて世界のゆくえをジッと見守る影からの目線
そういうピースで構成された
あまり面白くもなんともない本だと思った。

おそらくは、
おそらく。

この淀んだ清涼感の中を流れる寒々とした空気
遠くに佇むカカシに投影されるような僕の世界
そういった雰囲気の端々に潜む輪郭線を
ゆっくりと舐めるように見つめる事ができなければ
この本は読むことが出来ない。

コロコロについての考察を見ていて気付いたのだけれど

この本は、
記憶への距離が遠すぎる。
なのに細部だけがハッキリとしすぎている。
あまりにも遠い物事を望遠鏡で観察している。

すまないな…
27歳の俺には
27ページくらいが限度だな。

1年で1ページ。
遅すぎる読書。
そんな事を思った。