やは!
はにゃです。
最近どうも情緒不安定なので
現在思っているところを書いておきたいと思います。
自分の情緒不安定が、
自分の一人の矮小さから来るものなのか
外部より来たる伝達の妄想から来るものなのか
それらを今一度、自分の中で問うために。
開かれた態度なんて僕には無理だ
僕に出来る事は、固い貝殻の中ででたらめに動いて、
世界の堅さを確かめる事くらいだ。
そしてそれは、必ず失敗する。
軟弱な表現とはなんだろう。
踏みにじられた自己顕示とはなんだろう
僕が持つ、閉鎖性の拡大は
それ自体が矛盾を併せ持つため
人々の感情に、緩やかに浸透していく。
それは一つの汚染の拡大で
論理性の潔癖な防壁を持つものにとっては
僕という存在はきっと嫌悪の対象となることだろう。
何故なら僕自身の持つ真理を追い求める論理の美意識は
かつてどうしようもないほど感情を憎いんでいたからだ。
数学は美しい。
その美しさへの陶酔は
自己の醜悪さ、人間の歪みを力ずくで正そうとする。
ただ、美しい人間であろうとするために。
僕は記憶喪失に憬れる。
ただ一つの、生まれた場所へ帰るための、動物の知恵。
あるいは本能と呼ばれる自己自身への
欲望的確認。
動物の欲望、知性の論理、崇高な神
それらは妄想の伝達によって結ばれる。
他人は居るかもしれないという妄想。
自己宇宙に対する、平行宇宙への存在の祈り。
かつて相対性理論が支持された背景には
どのような絶望があったのだろう。
完璧なまでの論理の集大成であるはずの孤独の科学に、
相対性という概念を持ち込み、
思想の空間をねじ曲げる自殺行為に
一体どれほどの人が共感できたのだろう。
僕は科学を信じない
僕は他人を信じない
僕はデムパを信じない
妄想も夢も信じない
真理なんて見つからない
人間なんてどこにもいない
生きようとしてはならない
決意も決断も信用ならない
回帰できるような原点は無い
だからまた僕は、死を掲げて
死への祈りを捧げる
削られる魂、死んだテキスト
僕の死体
意味の崩壊
どうしようもない迷いの中で
かすかな希望のように、
舞い降りる光があるとすれば
それはどのような思い込みからくるものだろうか
あるいはまた、
僕が僕自身を確認して愛するために必要な心は
いったいどこから生まれようとあがくだろうか
傷ついた魂から、
鉄の毒液で書かれたテキストを愛する者へ
少しばかりの、ヒントとなるようなものは
何か書けないものだろうか
そのような動機を持つ者
我こそは夢を叶える人間であると豪語する者
それらの全てを打ち砕く
破壊のテキストが生まれる事は
はたしてあるのだろうか
しわくちゃの
むじゅんだらけの
どうにもならないもうそうのかけらをあいしてやまない
そんな祈りが願いが
光に変わる奇跡は
一度も起こらない
たった一度の奇跡でさえも
僕を貫く真理へは至らない
声は閉ざされる
無限の静寂の中で
死人の叫び声だけが
僕の中でこだまして
全てを血でぬぐうように…
痛い
顔が痛い
皮膚が痛い
頭が痛い
心が痛い
世界が痛い
痛がってるのは誰だ
確認する
確認する
確認する
痛い、確かに痛い、居る、僕は居る、僕は此処にいる。だめだ!信用できない。
自己への圧力が
自殺の概念が
悲しい動機を刻むように
ハートビートモーターは
世界の渦で回る、廻る、まわる。
鼓動音が声に聞こえる
BLOG-FRIENDS、はたして友情を、作れるかな?
はにゃです。
最近どうも情緒不安定なので
現在思っているところを書いておきたいと思います。
自分の情緒不安定が、
自分の一人の矮小さから来るものなのか
外部より来たる伝達の妄想から来るものなのか
それらを今一度、自分の中で問うために。
開かれた態度なんて僕には無理だ
僕に出来る事は、固い貝殻の中ででたらめに動いて、
世界の堅さを確かめる事くらいだ。
そしてそれは、必ず失敗する。
軟弱な表現とはなんだろう。
踏みにじられた自己顕示とはなんだろう
僕が持つ、閉鎖性の拡大は
それ自体が矛盾を併せ持つため
人々の感情に、緩やかに浸透していく。
それは一つの汚染の拡大で
論理性の潔癖な防壁を持つものにとっては
僕という存在はきっと嫌悪の対象となることだろう。
何故なら僕自身の持つ真理を追い求める論理の美意識は
かつてどうしようもないほど感情を憎いんでいたからだ。
数学は美しい。
その美しさへの陶酔は
自己の醜悪さ、人間の歪みを力ずくで正そうとする。
ただ、美しい人間であろうとするために。
僕は記憶喪失に憬れる。
ただ一つの、生まれた場所へ帰るための、動物の知恵。
あるいは本能と呼ばれる自己自身への
欲望的確認。
動物の欲望、知性の論理、崇高な神
それらは妄想の伝達によって結ばれる。
他人は居るかもしれないという妄想。
自己宇宙に対する、平行宇宙への存在の祈り。
かつて相対性理論が支持された背景には
どのような絶望があったのだろう。
完璧なまでの論理の集大成であるはずの孤独の科学に、
相対性という概念を持ち込み、
思想の空間をねじ曲げる自殺行為に
一体どれほどの人が共感できたのだろう。
僕は科学を信じない
僕は他人を信じない
僕はデムパを信じない
妄想も夢も信じない
真理なんて見つからない
人間なんてどこにもいない
生きようとしてはならない
決意も決断も信用ならない
回帰できるような原点は無い
だからまた僕は、死を掲げて
死への祈りを捧げる
削られる魂、死んだテキスト
僕の死体
意味の崩壊
どうしようもない迷いの中で
かすかな希望のように、
舞い降りる光があるとすれば
それはどのような思い込みからくるものだろうか
あるいはまた、
僕が僕自身を確認して愛するために必要な心は
いったいどこから生まれようとあがくだろうか
傷ついた魂から、
鉄の毒液で書かれたテキストを愛する者へ
少しばかりの、ヒントとなるようなものは
何か書けないものだろうか
そのような動機を持つ者
我こそは夢を叶える人間であると豪語する者
それらの全てを打ち砕く
破壊のテキストが生まれる事は
はたしてあるのだろうか
しわくちゃの
むじゅんだらけの
どうにもならないもうそうのかけらをあいしてやまない
そんな祈りが願いが
光に変わる奇跡は
一度も起こらない
たった一度の奇跡でさえも
僕を貫く真理へは至らない
声は閉ざされる
無限の静寂の中で
死人の叫び声だけが
僕の中でこだまして
全てを血でぬぐうように…
痛い
顔が痛い
皮膚が痛い
頭が痛い
心が痛い
世界が痛い
痛がってるのは誰だ
確認する
確認する
確認する
痛い、確かに痛い、居る、僕は居る、僕は此処にいる。だめだ!信用できない。
自己への圧力が
自殺の概念が
悲しい動機を刻むように
ハートビートモーターは
世界の渦で回る、廻る、まわる。
鼓動音が声に聞こえる
BLOG-FRIENDS、はたして友情を、作れるかな?