知の海で溺れていく君を見ていると
僕は不思議とやるせない気持ちになる
君が誰にも食べられることのないように
僕が食べてしまいたい感情とは、どれだけ似ていても
本質的に根本が違う。
それはあまりにもどうしようもない海の広さのような問題に似ていて
しかくい水槽が現れない限り
僕等の起こす波はシュミレーションできないだろう。
それと同じようにして
君が待ち望む実も蓋もない時間の連鎖は
ときおりどうしようもなく、
砂時計を欲するだろう
わかっているから書いてるんじゃない
わからないから、書いてる。
それと同じような動機が
きっと君にもあるだろうと思う
僕はそれに近い輝きを、かつての自分の中で見たような気がするからね
本質的に言うなれば
過去を投影した第三他人の問題は
他者の問題と似ているし、
自分の問題だと捉える事もできる
だけど僕はそれがどこにも当てはまらないパズルであることを知っている
あるいは、知ることによってのみ、そこには丸さが、
どうしようもない閉塞的な丸さの中が、
洗脳と呼ばれる教育の全ての根幹であることも知っている。
だけど僕は、その記憶の中にいる君が、
決してもう僕には触れられぬくらい近くにいて
そして永遠に確かめる事の出来ない僕の全てになることを
どれだけ待ち望みながら過ごしてゆくのだろう。
未来は本質的には他者と似ていて違う
それは原初の記憶が、原書の中で繰り返し行われる言葉と似ているように
与えられた未来と、
巡り合わせた未来と、
期待された未来と、
選びすぎた未来と、
自分が勝ち取った未来は、
本質が失われる限りに置いて、
観念的には素数の領域にあるから。
かつて翔ばたいた翼が失われた時の、
もぎ取られた痛みとその苦痛の喪失が心を揺さぶるように
ありえない形だけが、現世で承認されない僕の形だけが、
生来的な他者であることを許される
僕はそのことを、きっと誰にも教わらなかった。
そして自分で考え出すことも出来なかった。
それでも知の糸は編まれてゆく、。
それが失い続けた心を掴み取りたい君たちの欲望だったとしても
僕はそれを断ち切るだろう。
あわせて一つになることを願わない、たった一つの欲望が奇跡の慎歩をうむのなら。
僕は不思議とやるせない気持ちになる
君が誰にも食べられることのないように
僕が食べてしまいたい感情とは、どれだけ似ていても
本質的に根本が違う。
それはあまりにもどうしようもない海の広さのような問題に似ていて
しかくい水槽が現れない限り
僕等の起こす波はシュミレーションできないだろう。
それと同じようにして
君が待ち望む実も蓋もない時間の連鎖は
ときおりどうしようもなく、
砂時計を欲するだろう
わかっているから書いてるんじゃない
わからないから、書いてる。
それと同じような動機が
きっと君にもあるだろうと思う
僕はそれに近い輝きを、かつての自分の中で見たような気がするからね
本質的に言うなれば
過去を投影した第三他人の問題は
他者の問題と似ているし、
自分の問題だと捉える事もできる
だけど僕はそれがどこにも当てはまらないパズルであることを知っている
あるいは、知ることによってのみ、そこには丸さが、
どうしようもない閉塞的な丸さの中が、
洗脳と呼ばれる教育の全ての根幹であることも知っている。
だけど僕は、その記憶の中にいる君が、
決してもう僕には触れられぬくらい近くにいて
そして永遠に確かめる事の出来ない僕の全てになることを
どれだけ待ち望みながら過ごしてゆくのだろう。
未来は本質的には他者と似ていて違う
それは原初の記憶が、原書の中で繰り返し行われる言葉と似ているように
与えられた未来と、
巡り合わせた未来と、
期待された未来と、
選びすぎた未来と、
自分が勝ち取った未来は、
本質が失われる限りに置いて、
観念的には素数の領域にあるから。
かつて翔ばたいた翼が失われた時の、
もぎ取られた痛みとその苦痛の喪失が心を揺さぶるように
ありえない形だけが、現世で承認されない僕の形だけが、
生来的な他者であることを許される
僕はそのことを、きっと誰にも教わらなかった。
そして自分で考え出すことも出来なかった。
それでも知の糸は編まれてゆく、。
それが失い続けた心を掴み取りたい君たちの欲望だったとしても
僕はそれを断ち切るだろう。
あわせて一つになることを願わない、たった一つの欲望が奇跡の慎歩をうむのなら。