一週間ほど
京都や四国に行ってました。
讃岐うどん食ったり、キャンプファイヤーをしたり、
テント張って山奥でじっと獣の気配と無言の闇と戦って自分一人で疲弊したり、
寝不足でふらふらになったり…
まぁいろいろしてました。
同じステージに立つ方法、残念ながら僕はまだ見つけていません。
というか、それに関しては不可能性をなかなかぬぐいきれません。
どうやったら、自意識と他意識を対等の立場に置く事ができるのか。
どうしたら、死人と生者を対等の位置に並べる事ができるのか。
僕の中で、答えはハッキリとは出ていません。
ただ、時間を逆に流したり、飛び越えたりする事はできると思います。
もちろん、机上の空論であり、妄想のレベルを全く脱していませんが。
基本的に、時間が正の方向に流れる変化って
ミクロからマクロへ向けての四次元ベクトルだと思うんですよ。
逆に、負の方向への変化というのが、
この場合の時間の逆再生にあたるんですが、
それはマクロからミクロへの完全干渉、封印、爆縮にあたります。
どういう事かっつーと
別にタイムマシンがどうとかアインシュタインがどうとか
そんな難しく考えなくとも、
自分を取り囲む外部球体への干渉、それ自体を全く望まない事です。
成長を一切しない事、自分自身の殻へ引きこもり、
決して他人を見ない事、流されない事、自閉症を目指す事、です。
一番簡単な方法は「思い出す事」です。
これ、妄想や空想といった類のイマジネーション現象をも含むんですが
基本的に、形質的現状からの連鎖イメージが
走馬燈のように「過去」と「未来」を生んでいますので
現実、他人、他者、社会の類から一切退いて、
過去だけに意識を徹底集中して思い出せば、
時間の逆再生は起こります。
時間は一定の正方向にしか流れないと思っている考え方が占めている
現状の社会情勢では難しいかもしれませんが、
世の中の常識はハッキリ言って僕の世界ではあまり役に立ちません。
同じように、あなたの世界にも、
単純な死生観、時の流れ、不可能論、絶望論、悲観論は、
ほとんどなんの効果も期待できないと思います。
あなたの進んでいる方向は、ハッキリ言って自分を欺き過ぎています。
みんなが口をそろえて何かを言うかは、
あなたの記憶が喪失している事とは、なんの関係もありません。
あなたが時の流れに身をゆだねてしまっていることが、
何よりもまず一番問われなければならない事だと思います。
要するに、どんな薄っぺらい可能性も、
それは等しくあなたの可能性であり、
世界の可能性であり、あなたのエゴに依存しています。
あなたが世界に対して無力である限り、
世界の意志はあなたを無視して時計の針を進め続けます。
あなたが僕と身体を重ねたいという話は、
一切合切全部拒否します。
僕が望んでいません。
お互いが望む物を互いに模索できない限り、
僕らの間にある架け橋に、未来は生まれません。
それは可能性とは呼ばれない方の、惰性に近い絶望です。
けどまぁ、あなたのそのもの在り方を、
今はあまり否定したいとは考えていません。
それは僕にとっても、切って捨てる事の難しい問題のような気がしてならないからです。
どれだけ他人に縋っても、
自分のエゴを手にする事はできない。
生そのものへの衝動は、もっと汚くて、醜い場所から生まれるものだと思うから。
残酷な場所で産声をあげる、かなしい人殺しの金切り声だと思うから。
そしてまた、どれだけ孤独を叫んでも、
一人の世界を埋める真理を発見する事など、できはしない。
それでもなお、世界そのものを呪い続けて、
嘆きの泉に沈んでいく姿や形は、
現代という空想の中で、一瞬輝く美しさを儚く持てるだろうと思う。
「君の話が聞きたい。」
僕と、何かについて語ろう。
もちろん君は拒否できる。
そしてまた、君は何も知らないままでいることができる。
何者をも、思い出さないままでいることができる。
不思議な泉の中で、顔をあげる妖怪のように、
僕は今日、醜い河童になろう。
皿の水が、砂と共に枯れるまでの間は。
京都や四国に行ってました。
讃岐うどん食ったり、キャンプファイヤーをしたり、
テント張って山奥でじっと獣の気配と無言の闇と戦って自分一人で疲弊したり、
寝不足でふらふらになったり…
まぁいろいろしてました。
同じステージに立つ方法、残念ながら僕はまだ見つけていません。
というか、それに関しては不可能性をなかなかぬぐいきれません。
どうやったら、自意識と他意識を対等の立場に置く事ができるのか。
どうしたら、死人と生者を対等の位置に並べる事ができるのか。
僕の中で、答えはハッキリとは出ていません。
ただ、時間を逆に流したり、飛び越えたりする事はできると思います。
もちろん、机上の空論であり、妄想のレベルを全く脱していませんが。
基本的に、時間が正の方向に流れる変化って
ミクロからマクロへ向けての四次元ベクトルだと思うんですよ。
逆に、負の方向への変化というのが、
この場合の時間の逆再生にあたるんですが、
それはマクロからミクロへの完全干渉、封印、爆縮にあたります。
どういう事かっつーと
別にタイムマシンがどうとかアインシュタインがどうとか
そんな難しく考えなくとも、
自分を取り囲む外部球体への干渉、それ自体を全く望まない事です。
成長を一切しない事、自分自身の殻へ引きこもり、
決して他人を見ない事、流されない事、自閉症を目指す事、です。
一番簡単な方法は「思い出す事」です。
これ、妄想や空想といった類のイマジネーション現象をも含むんですが
基本的に、形質的現状からの連鎖イメージが
走馬燈のように「過去」と「未来」を生んでいますので
現実、他人、他者、社会の類から一切退いて、
過去だけに意識を徹底集中して思い出せば、
時間の逆再生は起こります。
時間は一定の正方向にしか流れないと思っている考え方が占めている
現状の社会情勢では難しいかもしれませんが、
世の中の常識はハッキリ言って僕の世界ではあまり役に立ちません。
同じように、あなたの世界にも、
単純な死生観、時の流れ、不可能論、絶望論、悲観論は、
ほとんどなんの効果も期待できないと思います。
あなたの進んでいる方向は、ハッキリ言って自分を欺き過ぎています。
みんなが口をそろえて何かを言うかは、
あなたの記憶が喪失している事とは、なんの関係もありません。
あなたが時の流れに身をゆだねてしまっていることが、
何よりもまず一番問われなければならない事だと思います。
要するに、どんな薄っぺらい可能性も、
それは等しくあなたの可能性であり、
世界の可能性であり、あなたのエゴに依存しています。
あなたが世界に対して無力である限り、
世界の意志はあなたを無視して時計の針を進め続けます。
あなたが僕と身体を重ねたいという話は、
一切合切全部拒否します。
僕が望んでいません。
お互いが望む物を互いに模索できない限り、
僕らの間にある架け橋に、未来は生まれません。
それは可能性とは呼ばれない方の、惰性に近い絶望です。
けどまぁ、あなたのそのもの在り方を、
今はあまり否定したいとは考えていません。
それは僕にとっても、切って捨てる事の難しい問題のような気がしてならないからです。
どれだけ他人に縋っても、
自分のエゴを手にする事はできない。
生そのものへの衝動は、もっと汚くて、醜い場所から生まれるものだと思うから。
残酷な場所で産声をあげる、かなしい人殺しの金切り声だと思うから。
そしてまた、どれだけ孤独を叫んでも、
一人の世界を埋める真理を発見する事など、できはしない。
それでもなお、世界そのものを呪い続けて、
嘆きの泉に沈んでいく姿や形は、
現代という空想の中で、一瞬輝く美しさを儚く持てるだろうと思う。
「君の話が聞きたい。」
僕と、何かについて語ろう。
もちろん君は拒否できる。
そしてまた、君は何も知らないままでいることができる。
何者をも、思い出さないままでいることができる。
不思議な泉の中で、顔をあげる妖怪のように、
僕は今日、醜い河童になろう。
皿の水が、砂と共に枯れるまでの間は。