嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

ながいながいエネルギーの糸は、ほどくことができない。それでも、辿る事はできるのか.

2007年08月19日 05時07分57秒 | 駄文(詩とは呼べない)
人と話していると、無意識のうちに相手に理解を求め、
そしてそのこと自身に僕が気付き、意識化されてしまう問題が
どうにも解せない領域で硬質化しつつある。

話していると、誰かわかってくれるんじゃないか?
このまま話し続ければ、なにか、ちょっとくらいは、
もしかしたら、この人なら、何か僕の事をわかってくれるんじゃないか?
そうした変な期待がだんだんと膨らんできて、
そして、思っている事の全部を、わかってくれる事を期待してしまう。
僕自身は、相手の事を、何もわかっていないのに。

理解され得ない会話を、
ひたすら不毛な会話を、
どこまでも続いて、終わりの無さそうな会話を、
続ける事を望みながら、断ち切れずに、それに傷つく。
その事自身に。
終わりのない、延々とした行為に、絶望して、
【途中で諦める。】

相手が思い込んでいる何かと、
自分が話そうとしている何かに、
違いを感じ取ったとき、どうしようもなく、
切実な苦しみが始まる。

それが元々は同じものだと思う事が出来たのなら、
もう少し、人と円滑なコミュニケーション、
あるいは表情の連鎖が、成り立つのだろうか。
喜怒哀楽の共有、その程度の事なら、僕にもできるのだろうか。

話を迂回する事なら簡単だ。
問題は、わかってもらえないと思いつつ、
それを真っ直ぐ繰り返していく行為なのだ。
僕が僕らしく真っ直ぐ直線的に思考を走らせる限り、
相手にとっては、それがゆがみにしか映らない。
それを、相手はどうやって直接的な何かだと、理解するのだろう。

机の上に物を置くとき、
何度か置き直してしまうことがある。
酷いときには、何度も何度も置き直してしまう。
それがどんな意味があるのか、僕自身にもわからない。
とにかく自分の中で、しっくりくる配置に
感覚的な、自然な位置はどこなのかを、探しながら再配置してしまう。

たぶん、記憶も同じように、
自分にとって矛盾のない位置に、
あるいは矛盾していても自然と思われる位置に、
【再配置されている。】

たぶん、このズレが「忘れる」と呼ばれる現象と、
記憶の捏造という行為に、なにかしら結びついているんだろう。

犯人と検察と裁判官が同一人物だったとき、
正しさは、果たしてそこにあるんだろうか。
自分を弁護する言い訳のほとんどが、どこかよそから借りてきたもので
ニセの功罪として自分を防護しているなら、
いつかその防火壁は燃えてなくなる。
今という感覚が、やがて燃え尽きる不思議のように。

人と話すたびに疲弊する。
話しても話しても、僕の中心にそれが触れられそうにない時、
ますますそれは絶望的な障壁として、
僕の迷路をつくり出す。

何度も僕の話をしようとした。
相手がじっと黙って聞いてくれる時もあった。
けれど途中で僕は相手の事に目を向けてしまい、
ことごとくそれは失敗した。

本当に自分の話をしようと思うなら、
それはやっぱりひとりでやるしかない。
それしか、今の僕らにはやりようがない。
それが、僕らの持つ孤独と、どれほど関係があるのだろうか。
人を信じられない猜疑心と、どれほど関わっているのだろうか。
相手の不在を疑う心と、どの程度ぼくの話そうとしてることは、
関係性があり、波動を産むのだろうか。
この伝わらない想いが、どれほどの波を持って、相手に遠ざける距離として
注がれているのだろうか。

宇宙の一番遠くにある星。
見えている何かでさえ、僕はまだ、達する事が出来ていないというのに。

今がどこにあるのか、変動する曖昧で相対な空間ではわからない。
僕は僕が死んだ位置にそれを固定する。
カメラをしっかりと、僕が死んだ場所に固定する。
強い強い引力で、僕らの間違いは絡み合う。
この糸は、まだ君に、届いてもいないのだろうか。
それとも、長すぎて、伝わる事にあまりにも永い時間と喪失がかかりすぎているだけなのだろうか。

僕はまだ、君に話したい事があるのに
僕の言葉は、もうこちらの端から燃え始めている。
燃え尽きる前に、君に伝わればいいのに。