今日は咸臨丸の日です!
咸臨丸とは、幕末期に江戸幕府が保有していた軍艦です。
黒船の来航に驚いた江戸幕府が10万ドルでオランダに発注し、1855(安政2)年7月にホップ・スミット造船所で起工、1857(安政4)年3月に完成しました。 その後、この船はオランダ人のファン・カッテンダイケの指揮で、同年8月に長崎に到着して幕府に引き渡されました。
長さ48.8m・幅8.74m・排水量625トン・最大速度6ノット、3本マストに100馬力の蒸気機関を備えた木造の蒸気帆船で、12門の備砲も装備していました。 当時の蒸気船といえば、船体の両側で水車を回して走る外輪船が普通だったのですが、咸臨丸はスクリュー推進の蒸気エンジンを装備するとともに、バーク型の帆装を備えており、汽船と帆走を併走できるようになっていた最新式の軍艦でした。
(咸臨丸の日の由来)
1858(安政5)年6月19日に日本(江戸幕府)とアメリカとの間で日米修好通商条約が締結されましたが、その第14条にワシントンにおいて批准書を交換することが明記されていたことから、1860(万永元・安政7)年、日米修好通商条約の批准書交換のため、江戸幕府が新見豊前守正興を正使とする77人の使節団をアメリカに派遣することになりました。 遣米使節団は、アメリカの軍艦ボーハタン号に乗艦して渡米することになりましたが、その護衛の名目で随伴艦に選ばれたのが咸臨丸でした。
この時の咸臨丸の艦長は勝海舟、提督を務めたのが軍艦奉行の木村摂津守喜毅で、士官・水夫併せて総勢96人の日本人と米海軍ジョン・ブルック大尉以下11人の米国人が乗り組んだが、その日本人の乗組員の中に福沢諭吉や中浜万次郎(後のジョン万次郎)もいました。
浦賀を出港した使節団は、37日間の太平洋横断航海を終えて1860年の今日(2月26日)、サンフランシスコに無事到着しました。 このことを記念して2月26日が咸臨丸の日となったそうです。
サンフランシスコに到着後、新見正興以下の遣米使節団は、パナマ経由で首都ワシントンに向かい、ブキャナン大統領と条約批准書を交換しました。 一方、咸臨丸の乗組員は、2ヶ月弱ベイエリアに滞在し、咸臨丸の修理が終わるのを待ってホノルル帰国の途に就きました。
サンフランシスコにおいては、咸臨丸は初めてアメリカまでやって来た日本の軍艦として注目を集め、新聞にも大きく報道されたそうです。 咸臨丸は往路の航海で暴風雨により船体に損傷を受けたが、その修理はバレホの米海軍工廠で米政府の好意により無償で行われ、この好意に感謝した木村喜毅提督は、サンフランシスコの消防士、船員の遺族団体にお金を寄付したと言われています。
ところで話題は変わりますが、今日はサザンオールスターズの桑田佳祐の誕生日(59歳)です!