北海道枝幸郡中頓別町にあった上頓別駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいた全線単線非電化の長大ローカル線だった天北線の一般駅として、1916(大正5)年10月1日に開業しました(開業時は宗谷線に所属)。
しかし、天北線が国鉄からJR北海道に移行後の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたことに伴い、上頓別駅も廃駅となりました。
かつては相対式ホーム2面2線を有していて、列車交換も行われていました。 また、この駅からは木材の搬出がなされ、そのための貨物ホームや引込み線もありましたが、1973(昭和48)年9月の貨物・荷物取扱い廃止後にそれらは撤去されてしまい、天北線廃止時点では単式ホーム1面1線のみを有する無人駅でした。
開業時に建てられた木造駅舎は、無人駅化後もそのままの姿で廃止時まで健在でした。
上頓別駅が属していた天北線は、昭和40年頃から貨物・利用者共にが減少し、1981(昭和56)年の営業係数(100円の売り上げを得るために必要な費用)は887にまでなっていました。そのため、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが148.9kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるとして一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。 沿線自治体は天北線対策協議会を開いて存続運動を展開しますが、1988(昭和63)年に開かれた第4回対策協議会でやむなくバス転換を受け入れました。
そして天北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、それに伴い上頓別駅も廃駅となりました。
<上頓別駅の年表>
・1916(大正5)年10月1日:鉄道院宗谷線の一般駅として開業
・1919(大正8)年10月20日:線路名が宗谷線から宗谷本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
・1930(昭和5)年4月1日:線路名が宗谷本線から北見線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
・1949(昭和24)年6月1日:日本国有鉄道(国鉄)に移管される
・1961(昭和36)年4月1日:線路名が天北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
・1973(昭和48)年9月17日:貨物・荷物取扱い廃止。 駅の無人化。 列車交換設備の撤去
・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
・1989(平成元)年5月1日:天北線の廃止に伴って廃駅となる
(駅 名 標)
(上頓別駅駅舎)
撮影年月日:1988(昭和63)年11月1日