有田鉄道は、紀勢本線の藤並駅と金屋口駅とを結んでいた全長5.6kmの全線単線非電化のローカル鉄道でした。
(藤並)-田殿口ー下津野ー御霊ー金屋口
和歌山県の有田市とその周辺の各町は全国的に有名な有田みかんの主産地であり、その出荷は主に海上輸送によっていましたが、産地で穫れたみかんを積出港である湯浅港まで運搬する目的で1913(大正2)年2月28日に有田鉄道が設立され、1916(大正5)年7月1日に全線開通しました。 全通後はみかん輸送と旅客輸送のほか、有田川流域で産出された木材の輸送なども行われていました。
有田鉄道が最も賑わっていたのは1965(昭和40)年前後で、旅客は年間160万人を、貨物は3万トンを超えていました。 しかし、それ以降、旅客数は減少し続け、みかんなどの輸送も次第にトラック輸送に切り替わっていき、貨物営業は国鉄の貨物縮小のあおりを受けて1984(昭和59)年2月1日で廃止されましたが、廃止前の貨物輸送量は年間2000トンでした。
大きな収入源を失ったことで、人員の大幅削減、車両保守を近くの自動車整備工場に委託するなどの合理化が図られ、利用者も沿線の高校への通学生にほぼ限られるようになっていたため、1995(平成7)年3月6日から、第2・第4土曜日と日曜・休日(つまり学校の休日)は全列車運休して並行する道路を走る路線バスで代替するようになり、1日の運行本数も次第に減少しました。 2001(平成13)年11月1日からは運転本数が1日2往復(最終列車は藤波12:00発)に減らされ、利用者数は1日平均29人でした。
そして有田鉄道が鉄道廃止の意向を示した時も、もともとバスの定期券で並行する同社鉄道線の利用が可能だったため、さほど本数の減少及び廃止による影響はなかったらしく、地元から廃止反対の声はほとんどなかったため、2002(平成14)年12月31日限りで廃止されました。
(金屋口駅)
(御 霊 駅)
(下津野駅)
(田殿口駅)
(藤並駅)
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