太平洋戦争中の1944(昭和19)年末に、国鉄(現JR)福知山線の中山寺駅から現在の伊丹市北野5丁目にある北野センター付近と宝塚市山本野里3丁目の自衛隊山本宿舎付近を結ぶ二つの引き込み線が作られました。 この引き込み線は、終戦の1945(昭和20)年8月までという、ごくわずかな期間だけ貨車が走りましたが、終戦により同年10月には線路が撤去されて道路となり、今もその線路跡がところどころに残っています。
引き込み線は、伊丹市北野地区にあった「旧大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠補給科」と宝塚市山本野里の自衛隊山本宿舎から川西市久代4丁目の自衛隊病院付近にかけての広い範囲にあった「旧大阪陸軍兵器補給廠川西分廠」の軍事物資を運ぶために敷設されたのでした。
この「大阪陸軍獣医資材支廠」とは、陸軍における獣医・蹄鉄その他の獣(軍馬を始めとする軍用動物)医資材、衛星用品の購買、修理、貯蔵及び補給を掌握し、かつ獣医資材に関する調査、研究及び試験を行う機関でした。 それまでは、今の大阪市港区の池島周辺にあったのですが、戦争の激化とともに敷地が手狭になってきたので、陸軍省により1947(昭和17)年7月からこの周辺一帯の約10万坪が買収され、1944(昭和19)年のはじめにこの地に移転してきたのです。
ちなみに、1943(昭和18)年当時の用地買収価格は、1坪あたり4~6円だったそうです。
北野からの線路は、北野センターの東側付近にあったプラットホームから北へ市営高縄手団地の横を通り、今の中国自動車道の下を越えて北へ直進、同市荒牧5丁目の県営伊丹荒牧高層住宅をあたりで山本野里からくる線路と合流して一本になり、北西方向の国鉄中山寺駅に向かっていました。
山本野里からの線路は、自衛隊山本宿舎から西に延び、伊丹市との市境で中国自動車道の下を斜めに横断し、中国自動車道のすぐ北側にある伊丹市荒牧5丁目の天神川トンネルをくぐります。 そしてここから北西に進み、北野からきた線路と合流してました。
(この先で左へ緩くカーブして中山寺駅に新入していました)
(旧鉄道の天神川トンネルは内部を鉄骨で補強されていますが、原型をとどめています)
(トンネルを越えて、この先の中国道を斜めに横断して今の自衛隊山本宿舎付近まで線路が敷かれていました)
(旧大阪陸軍獣医資材支廠に向かっていた線路跡)
(この先に陸軍獣医資材支廠のプラットホームがありました)
(今も残る旧大阪陸軍獣医資材支廠長尾分廠の正門の門柱)
・撮影年月日:2013年2月28日
今度、写真を撮りながら歩いてみようかなと思ってます。