大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

阪神武庫川線 武庫川団地前駅!

2017年02月22日 | 

兵庫県西宮市上田東町にある武庫川団地前駅は、全線単線の阪神電鉄武庫川線(1,7km)の終着駅として、1984(昭和59)年4月3日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する無人駅ですが、西側のホームは使用されていません。
開業時に建てられた平屋の鉄骨造の駅舎が健在です。

2014(平成26)年度の1日の平均乗降人員は8,033人で、これは阪神電鉄の全45駅中34位です。

当駅は、駅名の由来でもある武庫川団地の最寄り駅です。

武庫川団地前駅が属する阪神電鉄武庫川線は、もともとは西宮市高須町にあって「紫電改」などの戦闘機や飛行艇を作っていた軍需工場の川西航空機(現・新明和工業)への従業員および資材輸送のために軍の要請で建設されました。 しかし、開業後1年経たないうちに川西航空機の工場とともに空襲の被害を受けたので、期待された目的を十分に果たせないまま終戦を迎え、その後、武庫川団地の開発にともなって武庫川団地前駅まで延伸され、現在に至っています。

  <武庫川団地前駅の年表>

 ・1984(昭和59)年4月3日:武庫川線の延伸に伴って開業
 ・1995(平成7)年1月17日:阪神・淡路大震災の影響で武庫川線が不通になったことにより、営業休止
 ・1995(平成7)年1月26日:武庫川線の運転再開により、営業再開
 ・2006(平成18)年2月1日:ICカードPiTaPa・ICOCAが利用可能になる
 ・2011(平成23)年9月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる
 ・2014(平成26)年4月1日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 

 
(武庫川方面を望む)

 
(武庫川団地前駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2015(平成27)年7月19日


関西本線 郡山駅!

2017年02月21日 | 

奈良県大和郡山市高田町にあるJR西日本の郡山駅は、名古屋駅から亀山駅、奈良駅を経てJR難波駅に至る全長179,6kmの関西本線の駅です。
もともとは大阪鉄道の一般駅として1890(明治23)年12月27日に開業し、その後、関西鉄道を経て、国鉄の駅となりました。

相対式ホーム2面2線を有する業務委託駅です。
かつてあった木造駅舎は、1997(平成9)年2月に郡山城をイメージした外観の橋上駅舎に建て替えられました。

2014(平成26)年度の1日の平均乗車人員は5,069人で、これは起終点駅を含む関西本線の全52駅中16位です。

この郡山駅から西へ約900mの所に近鉄橿原線の近鉄郡山駅があります。

当駅が鉄道国有法によって国鉄の駅となった時、東北本線にあった郡山駅との混同を避けるため、鉄道院では大和郡山駅に改名しようとしましたが、地元住民はそれを承服せず、東大寺の古文書を持ち出して大和の郡山の方が古いと鉄道院へ陳情した結果、郡山駅に落ち着いたという歴史的経緯があります。

  <郡山駅の年表>

 ・1890(明治23)年12月27日:大阪鉄道の一般駅として開業
 ・1900(明治33)年6月6日:大阪鉄道が関西鉄道に路線を譲渡し、同鉄道の駅となる
 ・1907(明治40)年10月1日:鉄道国有法により関西鉄道が国有化され、国鉄の駅となる
 ・1909(明治42)年10月12日:国鉄線路名称制定により関西本線となり、同線の駅となる
 ・1961(昭和36)年3月6日:法隆寺駅~当駅間が複線化
 ・1961(昭和36)年3月21日:当駅~奈良駅間が複線化
 ・1977(昭和52)年3月1日:貨物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1988(昭和63)年3月13日:路線愛称の制定により、「大和路線」の愛称を使用開始
 ・1997(平成9)年2月28日:橋上駅舎竣工
 ・2003(平成15)年11月1日:ICカード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年1月21日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2008(平成20)年3月15日:おおさか東線の放出駅~久宝寺駅間の部分開業によるダイヤ改正に伴い、新設された直通快速の停車駅となる
 ・2008(平成20)年3月29日:JR3社によるIC乗車券の新連携サービスの提供開始により、「Suica」・「TOICA」の利用が可能になる
 ・2009(平成21)年7月1日:ホーム上の喫煙コーナーを廃止して、駅構内終日全面禁煙化
 ・2010(平成22)年12月1日:組織改正により、大阪支社の管轄から近畿統括本部の管轄に変更される
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始により、PASMOなども利用可能になる
 ・2014(平成26)年2月13日:みどりの窓口の営業が終了
 ・2014(平成26)年2月14日:みどりの券売機プラス稼働開始

 
(駅 名 標)

 
(亀山方面を望む)

 
(郡山駅駅舎・西口)

 
(駅 舎 内)

 
(郡山駅駅舎・東口)


 撮影年月日::2016(平成28)年1月10日


近鉄長野線 川西駅!

2017年02月20日 | 

大阪府富田林市甲田3丁目にある川西駅は、古市駅と河内長野駅とを結んでいる近畿日本鉄道(近鉄)長野線(12,5km)の駅です。 もともとは河南鉄道の駅として、1911(明治44)年8月15日に開業しました。

5両分の有効長をもつ単式ホーム1面1線のみを有する高架駅です。 国道309号との立体交差化に伴う高架化工事によって、1982(昭和57)年9月に高架駅になりました。

2015(平成27)年度の1日の平均乗降人員は3,760人で、これは近鉄の全277駅中141位です。 また、長野線の駅では8駅中7位です。

川西駅が属する近鉄長野線は、沿線に梅の里住宅や金剛ニュータウンなどの住宅地を控えていて、南大阪線とともに大阪府南東部の通勤・通学路線となっています。 また、沿線には眼病平癒で名高い日本三不動の一つである瀧谷不動明王寺や、花火大会や高校野球で知られるパーフェクト リバティー教団(PL教団)の本部などもあります。

  <川西駅の年表>

 ・1911(明治44)年8月15日:河南鉄道の駅として開業
 ・1919(大正8)年3月8日:社名が大阪鉄道に変更され、同社の駅となる
 ・1920(大正9)年4月16日:営業廃止
 ・1920(大正9)年9月11日:甘山駅として営業再開
 ・1933(昭和8)年4月1日:駅名が川西駅に再改称される
 ・1943(昭和18)年2月1日:関西急行鉄道が大阪鉄道を合併したことにより、関西急行鉄道長野線の駅となる
 ・1944(昭和19)年6月1日:戦時体制下の陸上交通事業調整法に基づき、関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道となり、同鉄道長野線の駅となる
 ・1982(昭和57)年9月12日:駅の高架化
 ・2001(平成13)年2月1日:スルッとKANSAI対応カードの取り扱い開始
 ・2001(平成13)年10月14日:Jスルーカードの利用が可能になる
 ・2007(平成19)年4月1日:ICカードPiTaPa・ICOCAの利用が可能になる
 ・2010(平成22)年5月:駅自動放送を更新
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始によりTOICA・manaca・Suica・PASMO・Kitaca・SUGOCA・nimoca・はやかけんが利用可能になる
 ・2015(平成27)年8月20日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(古市方面を望む)

 
(河内長野方面を望む)

 
(川 西 駅)

 


 撮影年月日:2015(平成27)年12月20日


旧国鉄標津線 西春別駅!

2017年02月19日 | 

北海道野付郡別海町にあった西春別駅は、釧網本線の標津駅から根室標津駅に至る本線(69,4km)と中標津駅から根室本線の厚床駅に至る支線(47,5km)の2つの線から成っていた全線単線非電化の標津線(116,9km)の一般駅として、1936(昭和11)年10月29日に開業しました。
しかし、標津線が国鉄分割民営化の1989(平成元)年4月30日限りで廃止されたのに伴い、西春別駅も廃駅となりました。

島式ホーム1面2線を有していて列車交換可能な有人駅でした。
開業時に建てられた木造駅舎が、廃止時まで使われていました。

西春別駅が属していた標津線は、根釧原野の開拓に伴う物資や農産物を輸送するためと産業の振興をはかるために建設されましたが、沿線の大部分は原野と農地が占め、この地域で町として成長した地区は中標津など数駅の周辺だけであり、広域的にみれば全国でも有数の人口希薄地域だったので、開業当初から標津線の利用者は限られており、貨物取扱量も1965(昭和40)年をピークに減少に転じました。 
そのため、1968(昭和43)年9月1日に国鉄諮問委員会が提出した“赤字83線”の意見書にも名を連ね、1980(昭和55)年12月の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)の施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが100km以上もあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題がある等の理由により一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。

そして標津線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年4月30日限りで廃止され、これに伴い西春別駅も廃駅となりました。

  <西春別駅の年表>

 ・1936(昭和11)年10月29日:国鉄標津線の一般駅として開業
 ・1980(昭和55)年4月30日:貨物取扱い廃止
 ・1984(昭和59)年2月1日:荷物取扱い廃止
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年4月30日:標津線の廃止に伴って廃駅となる

 
(駅 名 標)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(西春別駅駅舎)


(硬券入場券)


紀勢本線 紀伊佐野駅!

2017年02月17日 | 

和歌山県新宮市佐野3丁目にあるJR西日本の紀伊佐野駅は、亀山駅から新宮駅、紀伊田辺駅を経て和歌山市駅までの384,2kmを結んでいる紀勢本線の駅です。
もともとは新宮鉄道の佐野村停留場として1913(大正2)年3月1日に開業し、その後、一般駅に昇格しました。

島式ホーム1面2線を有していて列車交換可能な無人駅です。
古い木造駅舎が線路の東側に健在で、ホームへは跨線橋で連絡しています。

2014(平成26)年度の1日の平均乗車人員は249人で、これは起終点駅を含む紀勢本線の全96駅中34位です。

かつては当駅から巴川製紙所新宮工場まで貨物専用線が走っていましたが、同工場の閉鎖によって1995(平成7)年6月に廃止されました。

  <紀伊佐野駅の年表>

 ・1913(大正2)年3月1日:新宮鉄道の佐野村停留場として開業
 ・1913(大正2)年4月17日:一般駅に昇格して佐野村駅となり、列車交換可能駅となる
 ・1934(昭和9)年7月1日:新宮鉄道が国有化されて国鉄紀勢中線となり、駅名が秋津野駅に改称される
 ・1940(昭和15)年8月8日:紀勢中線が紀勢西線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1942(昭和17)年4月1日:駅名が紀伊佐野駅に改称される
 ・1959(昭和34)年7月15日:紀勢西線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1986(昭和61)年11月1日:貨物の職員を除いて駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる
 ・1989(平成元)年7月22日:路線愛称の制定により、「きのくに線」の愛称を使用開始
 ・1994(平成6)年9月28日:巴川製紙所新宮工場専用線でコンテナ貨物の取扱いを開始
 ・1996(平成8)年3月16日:巴川製紙所新宮工場専用線の廃止
 ・2003(平成15)年10月1日:喫煙コーナーを除いて駅構内終日全面禁煙化
 ・2008(平成20)年4月1日:JR貨物の駅が廃止され、貨物の取り扱いが正式に終了

 
(駅 名 標)

 
(新宮方面を望む)

 
(和歌山市方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(紀伊佐野駅駅舎)

 
(駅 舎 内)