大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

赤穂線 備前福河駅!

2019年06月23日 | 

兵庫県赤穂市福浦にあるJR西日本の備前福河駅は、相生駅と東岡山駅とを瀬戸内海に沿って結んでいる全線単線の赤穂線(57.4km)の一般駅として、1955(昭和30)年3月1日に開業しました。

かつては島式ホーム1面2線を有していましたが、1969(昭和44)年8月の赤穂線電化の際に北側の線路が撤去されたので、現在は単式ホーム1面1線のみを有する無人駅です。
開業前の1954(昭和29)年に建てられたコンクリート製の駅舎が健在です。

備前福河駅の利用客は赤穂線の中で最も少なく、2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は23人です。

備前福河駅が属する赤穂線は、山陽本線の輸送力を補う代替・バイパス線として計画・建設された路線でした。 しかし、赤穂線が全通した時点で、並行する山陽本線は電化が完了し、輸送力の増強が図られた一方、赤穂線自身は単線で、かつ一部区間が非電化での全通であったため、当初想定されていた「山陽本線の輸送力を補う代替路線」ではなく、「地域住民のためのローカル線」という存在での開通となりました。 それでも、全通当時沿線に赤穂市・西大寺市の二つの市を抱えていたことから、大阪と山陽・九州方面を結ぶ優等列車の一部が当路線を経由していましたが、新幹線博多開業の1975(昭和50)年3月10日のダイヤ改正以降、定期の優等列車は設定されていません。

  <備前福河駅の年表>

 ・1955(昭和30)年3月1日:国鉄赤穂線の一般駅として開業
 ・1983(昭和58)年7月29日:列車集中制御装置(CTC)が導入される
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1993(平成5)年6月1日:神戸支社の管轄になる
 ・2010(平成22)年12月1日:組織改正により、神戸支社の管轄から近畿統括本部の管轄に変更される
 ・2013(平成25)年8月1日:駅構内終日全面禁煙化
 ・2017(平成29)年9月10日:駅舎西側に男女兼用多目的便所と男性用小便器を備えた水洗式便所が設置される
 ・2018(平成30)年9月15日: ICOCA対応のIC専用機が導入され、「ICOCA」の利用が可能となる

 
(駅 名 標)

 
(日生方面を望む)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(備前福河駅駅舎)

 
(駅 舎 内)


 撮影年月日:2013(平成25)年4月10日 


紀勢本線 紀伊姫駅!

2019年06月21日 | 

和歌山県東牟婁郡串本町姫にあるJR西日本の紀伊姫駅は、亀山駅から紀伊半島を海沿いに新宮、紀伊田辺を経て和歌山市駅までの384.2kmを結んでいる紀勢本線の駅として、1936(昭和11)年12月11日に開業しました(開業時は紀勢中線に所属)。

単式ホーム1面1線のみを有する無人駅で、ブロック造り簡易駅舎がありますが、自動券売機などは設置されていません。

紀伊姫駅の利用者は少なく、2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は4人で、これはJR西日本に属する紀勢本線の全56駅中55位です。

当駅の名称は、開業時に太多線の姫駅があったことから、旧国名を冠し紀伊姫駅としたのでした。

  <紀伊姫駅の年表>

 ・1936(昭和11)年12月11日:国鉄紀勢中線の駅として開業
 ・1940(昭和15)年8月8日:紀勢中線が紀勢西線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1959(昭和34)年7月15日:規制西線が紀勢本線の一部となり、同線の駅となる
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる

 
(駅 名 標)

 
(新宮方面を望む)

 
(紀伊姫駅駅舎)


 撮影年月日:2016(平成28)年11月3日


山陽電鉄 西江井ヶ島駅!

2019年06月20日 | 

兵庫県明石市大久保町西島高見にある西江井ヶ島駅は、西代駅から山陽姫路駅までを結んでいる山陽電鉄本線(54,7km)の駅です。 もともとは神戸姫路電気鉄道の江井ヶ島西口駅として、1923(大正12)年8月19日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する無人駅です。
木造モルタル造りの駅舎が下りホーム(姫路方面行きホーム)の姫路寄りにあり、上りホームとは地下通路で繋がっています。

2017(平成29)年度の1日の平均乗車人員は1,666人で、これは山陽電鉄の全49駅中25位です。

西江井ヶ島駅が属する山陽電鉄本線は、神戸と明石・姫路間の都市間輸送を行っていますが、JR西日本の山陽本線(JR神戸線)とは全線で、特に山陽須磨駅~山陽明石駅間では完全に並行しており競合状態にあります。

  <西江井ヶ島駅の年表>

 ・1923(大正12)年8月19日:神戸姫路電気鉄道の江井ヶ島西口駅として開業
 ・1927(昭和2)年4月1日:神戸姫路電気鉄道が宇治川電気と合併し、同社の駅となる
 ・1933(昭和8)年6月6日:宇治川電気の鉄道部門が分離独立して山陽電気鉄道となり、同鉄道の駅となる。
 ・1944(昭和19)年4月1日:駅名が西江井ヶ島駅に改称される
 ・1995(平成7)年1月17日:阪神・淡路大震災で全線が不通になったことにより、営業休止
 ・1995(平成7)年1月18日:山陽明石駅~山陽姫路駅間が運転再開したことにより、営業再開
 ・1999(平成11)年10月1日:「スルッとKANSAI」対応カードの取り扱い開始
 ・2006(平成18)年7月1日:IC乗車カード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2011(平成23)年3月1日:駅構内の喫煙コーナーを廃止し、駅構内終日全面禁煙化
 ・2014(平成26)年3月21日:IC乗車カード全国相互利用開始によりKitaca、PASMO、Suica、manaca、TOICA、nimoca、はやかけん、SUGOCAが利用可能になる
 ・2014(平成26)年4月1日:駅ナンバリングの導入

 
(駅 名 標)

 
(姫路方面を望む)

 
(踏切上から西代駅方面を望む)

 
(西江井ヶ島駅駅舎)


 撮影年月日:2013(平成25)年7月14日


東海道本線 南彦根駅!

2019年06月19日 | 

滋賀県彦根市小泉町にあるJR西日本の南彦根駅は、東京駅から名古屋駅、米原駅を経由して神戸駅までを結んでいる東海道本線(589.5km)の旅客駅として、1981(昭和56)年6月30日に開業しました。

相対式ホーム2面2線を有する業務委託駅で、開業時の1981(昭和56)年6月に建てられた橋上駅舎があります。

2017(平成29)年度の1日の平均乗降人員は11,354人で、これはJR西日本に属する東海道本線の全54駅中48位です。

南彦根駅が属する琵琶湖線(愛称名)は、JR西日本のアーバンネットワークの一角を形成する路線で、琵琶湖の東岸を走り、滋賀県湖東・湖南地区の各都市と京都を結んでおり、滋賀県内の動脈として機能しています。

  <南彦根駅の年表>

 ・1981(昭和56)年6月30日:国鉄東海道本線の旅客駅として開業
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる
 ・1988(昭和63)年4月1日:路線愛称の制定により「琵琶湖線」の愛称を使用開始
 ・1990(平成2)年1月4日:駅前駐車場の使用を開始
 ・2001(平成13)年12月13日:エレベーターの設置工事を開始
 ・2002(平成14)年4月2日:エレベーターの使用を開始
 ・2003(平成15)年10月1日:コンコースの喫煙コーナーが廃止
 ・2003(平成15)年11月1日:IC乗車カード「ICOCA」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年1月21日:IC乗車カード「PiTaPa」の利用が可能になる
 ・2006(平成18)年10月1日:JR京都・神戸線運行管理システムを導入
 ・2007(平成19)年3月18日:駅自動放送を更新
 ・2008(平成20)年3月29日:JR東日本・JR東海・JR西日本のJR3社によるIC乗車券の新連携サービスの提供開始により、「SUICA」「TOICA」の利用が可能になる
 ・2009(平成21)年7月1日:ホーム上の喫煙コーナーを廃止して、駅構内終日全面禁煙化
 ・2010(平成22)年12月1日:列車非常停止警報装置の運用を開始
 ・2013(平成25)年3月23日:IC乗車カード全国相互利用開始により、PASMOなども利用可能になる
 ・2015(平成27)年3月12日:接近メロディーの導入
 ・2018(平成30)年3月17日:駅ナンバリングの導入
 ・2019(平成31)年3月16日:みどりの窓口の営業が終了
 ・2019(平成31)年3月17日:みどりの券売機プラスの供用開始

 
(駅 名 標)

 
(京都方面を望む)

 
(南彦根駅駅舎・西口)

 
(駅 舎 内)

 
(南彦根駅駅舎・東口)


今日は海外移住の日!

2019年06月18日 | 今日は何の日

6月18日は海外移住の日です!

1908(明治41)年4月28日、日本政府の移住政策に応じた大規模移民のブラジルへの第1回移民として、158家族781人(他にブラジル政府から渡航費を支給されていない自由渡航者10人)を乗せた笠戸丸(東洋汽船株式会社、6,167総トン)が、壮行の花火が打ち上げられるなか神戸港のメリケン波止場を出港しました。 そして、シンガポール・南アフリカのケープタウンを経由し、約1万2000カイリの航跡を印して50日後の同年6月18日の朝、ブラジルのサントス港に無事に到着し、第14埠頭に接岸しました。
乗船者のほとんどは農業契約移民で、到着後、コーヒー園のある6農場に配属されていったそうです。

このことを記念して、総理府(現・内閣府)が1966(昭和41)年に6月18日を「海外移住の日」に制定しました。 日本から海外各地へ移住した人々の歴史や国際社会への貢献などを振り返り、日本と移住先の国との友好関係を促進することを目的としています。
ちなみに、ブラジルではこの日を「日本人移民の日」としています。

移住された人々は、言葉や文化の違い、また地理的条件や自然災害などさまざまな困難に遭遇し、過酷な労働を余儀なくされましたが、それらの苦難を克服して原野や荒れ地を農地に変えていったのでした。

1908年の第1回移民以降、1945(昭和20)年の太平洋戦争終了時までに海外に移住した人の数は、およそ北米20万人、ハワイ20万人、中南米20万人、樺太28万人、中国27万人に及んでいます。