源氏物語と共に

源氏物語関連

椿

2009-04-02 09:26:50 | 

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四月というのに、寒いこと。
桜の花も咲き始めましたが、こちらでは、まだ見頃ではないようです。


この間から椿が咲いています。
TVでしていた京都のお寺の様々な椿の花を見ながら、
源氏物語にはあまり椿は出ていなかったと思い、調べました。
今は八重もある様々な種類は後世に改良されたものとか。



椿餅(つばいもち)、梨、柑子(こうじ)やうのものども、さまざまに、
箱のふたどもにとりまぜつつあるを、若き人々そぼれとり食ふ(若菜上)




一応調べた本にはこの1例のみ。枕草子にはありません。


蹴鞠の時に、柏木は女三宮の姿を見ました。
その後に、若い人々に椿餅などがふるまわれたようです。
椿餅は餅の粉を甘葛(あまずら)でこねてツバキの葉で包んだもの。
虎屋http://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat02/dat02_004.html


源氏物語の椿は「やぶつばき」とあります。
山にある自然の大きな木の椿のことではないかと思うのですが。
やぶというからには、日陰を好むのでしょうか。


山の椿の赤い花は、結構綺麗に私は思います。
しかし、源氏物語では、かさねにしろ色にしろ、椿は見かけません。


椿餅なんていうお菓子があるのに、不思議ですね。
たしか吉岡幸雄氏によると、染色にも椿の葉の灰を使用していたはず。


長崎盛輝氏の「かさねの色目」に、椿がありました。



寒椿を花にあらわした色目。表蘇芳、裏赤「湖曹抄」
椿は万葉集に海石榴と書かれているが、海は海外より渡来の意。
椿は春、花が咲く、
春・木の合字で、それをツバキと読むのは、葉に光沢がる艶葉木(ツバキ)であるからという(「台言海」ツバキ)
ツバキの色目はこの時代の文学に見えない・・・略・・




椿のおしべ・めしべの黄色の色合も綺麗なのに、
やはり「やぶつばき」なんていう山里の卑しい感じの名前だったせいでしょうか、
花も今より小さかったのでしょうか。あまり好まれなかったのかもしれません。


首からさっと落花しますし、後には茶花としてもてはやされますが、
葉だけが餅や染色用に使用されたようです。


今は椿の葉裏にチャドクガというケムシがついて、その手入れに大変なんですけれどね~


源氏物語の時代は、植物も色々と発見があります。
画像は六甲山系の樹木図鑑より
http://shinrin.cool.ne.jp/sub4.html



牡丹

2009-03-10 09:17:02 | 

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中国では古くから牡丹を愛でており、
日本でも後世に盛んにみられる牡丹の花と色。
鮮やかな印象の色です。


しかし、源氏物語にはかさねにしろ、花にしろ、
同系色の蘇芳や葡萄色、紅梅などの色は出てくるのに、
牡丹(ぼたん)という言葉が出てこないように思いました。


とても不思議に思っていたので、
「古典植物誌知っ得」や「日本の色辞典」他で調べてみました。


紫式部の時代に、牡丹ははたして渡来していたのでしょうか。


中国では牡丹は古く隋代から栽培されていたようです。
根皮を漢方として使われていたのが後に花を鑑賞するようになったのは、
日本と同じです。
中国では、国花が牡丹だった時期がありました(今は梅です)


則天武皇が愛した事で、有名になり、富貴草、二十日草(花が20日で散る)
深見草などとも呼ばれます。
花期は夏。春にも咲く二期咲きの寒牡丹もあります。


白居易(701~762)の
白氏文集にも、牡丹を詠んだ詩「牡丹芳」があるそうです。
「花開花落二十日 一城之人皆若狂」
(花開き花落つ二十日、一城の人皆狂ふが若し)


牡丹は奈良時代に、日本に渡来したといわれますが、
「万葉集」には牡丹の歌はありません。


平安時代の「和漢朗詠集」(1018年)には、
美女を牡丹の花にたたえた歌があるそうですが、出典未詳。
また「菅家文草」(900年)4巻、法花寺白牡丹には
白牡丹の清浄な美しさを詠み、5巻 牡丹では俗世の庭でなく、
仙人のいる庭がふさわしいとあります。


中国では、紅色や紫色の牡丹を好み、白色は人気がなかったということです。


李白も牡丹を詠み、長恨歌でも楊貴妃を牡丹や梨・柳にたとえています。


時代から考えて、
少なくとも漢詩を読む紫式部は牡丹の言葉を知っていることになります。


驚いたことに蜻蛉日記や枕草子にも牡丹が出てくるそうです。


「蜻蛉日記」中巻 天禄2年(971年)6月
『何とも知らぬ草どもしげき中に、
牡丹草どもいと情けなげにて、花散りはてるを見るにも』


「枕草子」143段
『台の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと』


これは、「白氏文集」
秋ニ牡丹ノ叢ニ題スより
晩叢白露ノ夕、哀葉涼風ノ朝、紅艶久シク巳ニ歇(やみ)碧芳今亦銷(きゆ)をふまえ、両者とも花の終わった牡丹の姿を書きとめています。


百花の王というあでやかな花を愛でたというよりは、この漢詩の知識ですね。


牡丹は当時は花の色を愛でるほど豪華な花でなく、数も少なかったのかもしれません。


「詞花和歌集」(1151年)関白前太政大臣
『咲きしより 散り果つるまで見しほどの 花のもとにて 二十日へにけり』


源氏物語より後の詞花和歌集で
20日たったという事柄で歌が出てくるのは先ほどと同様ですが、
『紅の色ふかみ草さきぬればをしむ心もあさからぬかな』詞歌和歌集(藤原教長)と、
やっと紅の色としての牡丹が出てきます。


後世には鎧などにその色が使われ、中世には豪華な牡丹の花が盛んに描かれていますが、
紫式部の時代はまだ花を鑑賞するにはいたらないようです。


後の牡丹のかさね色は、平安末期の「満佐須計(まさすけ)装束抄」で出てきます。
今と同じ、『ぼたんは表うすき蘇芳、裏みな白し』とあり、
かさねも牡丹の種類にあわせて、あでやかな紅色になっているようです。
しかし、本当の今の色に流行するのは、
舶来の染色が取り入れられる明治以降だそうです。


実は、源氏物語では「くたに」という意味不明の植物があります。
この「くたに」を古注釈・細流抄などでは牡丹として注をつけています。


『昔覚ゆる花橘、撫子、そうび(薔薇)くたになどやうの花のくさぐさを植えて』(少女)


ここでは、夏の季節の花を並べていますが、くさぐさというからには
特に牡丹を立派な花のようにはとらえていないようです。
牡丹に似ている芍薬は草で、牡丹は木と現代では区別するのですが、
やはり当時の牡丹は今のように大きなあでやかな花の木でなかったのかもしれません。
また「くたに」これを草書のくずし字間違いで、「くたん」あるいは「ほたん」と考えるのも面白いかと思います。←原文は知りません


深見草(ふかみぐさ)
20日咲き、二期咲きの花もあるので、季節が春か夏かどちらかということで、
深いという懸け詞も使って江戸時代に
「十日づつ春と夏に咲きわけし花やどちらが色ふかみ草」などとも詠まれています。


<立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花>と後世でも
美しい女性にたとえられる牡丹ですが、
バラと同様にこの時代に日本に伝来しているのに、
その花を愛でることはなかったようです。


蘇芳や葡萄染め、紅梅、紫色、紅色が愛でられる源氏物語の時代です。


画像は牡丹の花携帯待受画像・無料壁紙サイトよりいただきました。
フクシャピンクとされた長崎盛輝氏の色よりは濃いかもしれません。
http://kabegami.image.coocan.jp/mobile/hana/botan.htm



女郎花(追加)

2008-11-13 08:20:33 | 
京都府立植物園サイトで、
女郎花(おみなえし)は京都ゆかりの花の名前という記事を見つけました。


女郎花の画像もあります。
http://www.pref.kyoto.jp/plant/1199417249745.html


『オミナエシは秋の七草では唯一、黄色の花で、ススキなどとともに秋の風情を感じさせてくれる女性的なやさしい花です。名前の語源はいろいろな説がありますが、「オミナ」は「女(娘)」であり、美しい女性にたとえられます。源氏物語や枕草子にも登場するなど、古くから愛でられている美しい花です。


京都府八幡市の松花堂があるところは小字名を「女郎花(おみなえし)」といいます。平安時代に八幡の男山に住む小野頼風とその恋人の悲恋の物語に由来があり、恋のもつれから、山吹重ねの衣をぬぎすてた女が川に身を投げたあとに咲いた黄色い花がオミナエシでした。現在、女郎花塚が同地に残っています。』



宇治植物公園と京都城南宮

2008-11-08 08:33:58 | 

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先日「源氏物語の色と植物」展示をしていた宇治植物公園↑と
城南宮の源氏物語の庭(画像は曲水の宴の庭)↓へ行ってきました。



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JR宇治駅前からバスに乗って植物公園に着きました。
苗なども売っていましたが、ちらっと見て展示会場へ(期間はもう過ぎています)
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吉岡幸雄先生の色の展示は撮影不可。
例によって様々な色の反物や桜かさねなど。
またその染料の実物もあり、とても綺麗で優雅でした。


御簾にも鈍色があるということにも驚きました。


1日出版された吉岡幸雄「源氏物語の色辞典」に画像が載っています。


それで、復元された秋の庭をうつしてきました。


ススキ・オミナエシ・藤袴・吾亦紅・松・撫子など
透垣(すいがい)もはじめて知りました
着せ綿にも驚きました。本当に綿で白い菊をくるんでいます。
植物園の方に聞くと、菊全体を大きなもので囲む場合もあったとの事、


実は神戸の相楽園で大菊の花びらの間に綿がつめてあったのを
着せ綿と思っていたのですが、
これは大きな花弁を傷つけないために、
展示会ではよくある手法だと教えてもらいました。
(2年前の大菊展示ー赤い大菊に白い綿があります)
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考えましたら、平安時代には今の大きな菊の品種はなかったかもしれませんね。




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マユミ・ツブラシイ・桂など色々な木もありました。
写真をとったのに、種類を忘れてしまいました
桂とマユミ?
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イロハモミジは秋になると真っ赤になるのですが、まだなようです。
最後に、花で作った国宝源氏物語絵巻「宿木」のタペストリー
見事でしたが、遠くから見ないと図柄がわかりません(トップ左画像)


次に京都城南宮の源氏物語の庭へ


お天気が少しすぐれなかったので、ちょっと携帯写真も暗めです。
11/3と春にはここで曲水の宴が開かれます(2番目の画像)


時節的に秋の庭が綺麗です。
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植物それぞれに名札がつけてあります。



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札があっても、季節的に全く何もない植物もあったし、
葉だけがかろうじて残っているものもありました。


紫苑の花は宇治より花も丈も大きかった。
全体にうっそうとした宇治の方が木陰で小さめ。
光と土の栄養状態の差でしょうか。


紫苑くらべ (左が宇治)
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大きすぎる紫苑の花と,
城南宮では実が色づいたマユミ
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他にもヤマナシとか細かく色々な植物があります。
「源氏物語の庭」という本も売っています。


その他のお庭も綺麗ですので、是非興味のある方におすすめします。
https://flower.blogmura.com/kisetsunohana/img/kisetsunohana88_31.gif
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ススキ(薄)・菊・ヤドリギ

2008-11-05 09:04:55 | 

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マユミ・藤袴
紫苑(シオン)




ススキ(薄)
(匂宮)「穂に出でぬもの思ふらししのすすき  
          招くたもとの露しげくして   」     ( 宿木)  



イネ科。オバナ・カヤとも。秋の7草のひとつ。
花穂を強調して「花薄(はなすすき)」、
茎が細くしなって「篠薄(しのすすき)」とも呼ばれる。

平安和歌では花薄の形が多くなり、
万葉集と違って、風になびく様が人が手まねで他者を呼び寄せる動作にたとえ
「まねく」と表現される。
また花薄そのものを人を招く「袖」に見立てたりする泳法が出現する。

邸宅に植えられた事から
亡き人ゆかりの場所でその人をしのぶよすがとして歌われた例も多い。 
(知っ得古典文学植物誌より) 
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 城南宮源氏物語の庭





菊
キク科キク属の一年草、または多年草。
中国では唐代に交配によって生み出されたものと考えられ、
日本へは奈良時代に渡来した。

奈良時代の漢詩集「懐風藻」に「浮菊酒」と登場するも、
同時代に成立した万葉集に菊の歌は1首も詠まれない。

菊の歌の初見は平安遷都後の桓武天皇の御歌
「この頃の時雨の雨に菊の花散りぞしぬべクあたらその香を」(日本後紀・類聚国史)

しかし、この歌のように菊の芳香を詠んだ歌は少ない。

菊を賞玩するという場は、9月9日の重陽の宴という中国から伝わった宮中行事による。
重陽の宴の起源は天武天皇685年からといわれるが定かでなく、
嵯峨天皇の814年に宴が復活してから和歌にも菊が数多く詠まれるようになった。

重陽の明け方に平安女性たちは前夜から菊花に綿をかぶせて
夜露を含ませたその綿(着せ綿)で顔の皺を拭って老いを払おうとした。
菊合わせという和歌あわせも行われた。

また菊は晩秋から初冬に霜や時雨によって染めあげられ、
白色が紫色に変化する「うつろひたる菊」がもてはやされた。
うつろひたる菊が男女関係における変心や異心などをも意味している。
(知っ得古典文学植物誌より)
写真は着せ綿


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ヤドリギ

(薫)「やどりきと思ひいでずは木のもとの
        旅寝もいかにさびしからまし」
(弁尼)「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと
        思ひおきたるほどの悲しき 」(宿木)
(弁尼) 「やどり木は色かわりぬる秋なれど  
        昔おぼえてすめる月かな」  (東屋)

巻名にもなったヤドリギは榎・ケヤキに寄生、まれにサクラ・ブナ類にも寄生する。
一名をホヤ、トビツル(飛び蔦)とも。

常緑小潅木で茎は木質緑色、葉は長楕円形。
花は単性、雌雄異株、果実はクリスマスの頃に結実し、黄色から白色になる。
宇治十帖の舞台になった小椋神社の境内には今も見事な宿り木の森である。

欧米ではクリスマス・イブに限り、この宿り木の下では
誰とでもキスしてもよいという習慣がある。(城南宮 源氏物語の庭)

左画像は売っていたヤドリギを知人より1枝もらったもの。
右画像は源氏物語の庭より

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