冬の月を愛でる光源氏は何故か雪の日に琴を弾く(拙文<冬の月>参照)
女楽の後、紫の上の発病で延期していた朱雀院の五十の賀の試楽が
12月十余日に決行される。やはり、雪がちらついている時であった。
12月十余日に決行される。やはり、雪がちらついている時であった。
今日はかかるこころみの日なれど、御方々もの見たまはむに
見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤き白橡(しろつるばみ)に、
葡萄染の下がさねを着るべし、
今日は、青色に蘇芳かさね、楽人三十人、今日は白がさね着たる、
辰巳のかたの釣殿に続きたる廊を楽所(がくそ)にて、
山の南のそばより御前に出づるほど、仙遊霞(せんゆうか)といふもの遊びて、
雪のただいささか散るに、春のとなり近く、梅のけしき見るかひありて
ほほゑみたり。 (若菜下)
見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤き白橡(しろつるばみ)に、
葡萄染の下がさねを着るべし、
今日は、青色に蘇芳かさね、楽人三十人、今日は白がさね着たる、
辰巳のかたの釣殿に続きたる廊を楽所(がくそ)にて、
山の南のそばより御前に出づるほど、仙遊霞(せんゆうか)といふもの遊びて、
雪のただいささか散るに、春のとなり近く、梅のけしき見るかひありて
ほほゑみたり。 (若菜下)
試楽とはいえ、寒い冬の京都での合奏。
女三宮は懐妊中でかなりお腹も大きいだろうから、体を冷やすのはどうかと思う。
女三宮は懐妊中でかなりお腹も大きいだろうから、体を冷やすのはどうかと思う。
吹き抜けで風が通りやすい平安時代の邸宅での音楽会であるが、
現代のようにストーブもカイロもない時代、暖房はどうなっているのか。
現代のようにストーブもカイロもない時代、暖房はどうなっているのか。
枕草子では有名な「冬はつとめて」
この段に出てくる炭の様子から、火鉢のようなものが使われていたように推測はできる。
この段に出てくる炭の様子から、火鉢のようなものが使われていたように推測はできる。
こんな局所的な暖房だけで、楽人をはじめ、大勢の貴族・女房達の暖はどうしたのだろうか?
「源氏物語図典」では火桶・炭櫃(すびつ)の説明があった。
「火桶」は木をくりぬいて金属制の「おとし」を入れ、その中に灰を入れて
炭火で暖をとる、円筒形の暖房器具。主に桐の木で作られ、側面には絵などの装飾。
方形のものを火櫃と区別したが早くから混同。
「炭櫃」は方形で脚のある暖房器具。金属制のおとしを入れ、灰を入れ炭を燃やす。
火炉は中に灰を入れ、炭を燃やしたり香をたいたり、調理をしたりする器具。
火桶や炭櫃なども含む。
直径30センチ、深さ9センチほどの円形のものが普通。銅や鉄の金属製も他、
木製もあったとの事。
「火桶」は木をくりぬいて金属制の「おとし」を入れ、その中に灰を入れて
炭火で暖をとる、円筒形の暖房器具。主に桐の木で作られ、側面には絵などの装飾。
方形のものを火櫃と区別したが早くから混同。
「炭櫃」は方形で脚のある暖房器具。金属制のおとしを入れ、灰を入れ炭を燃やす。
火炉は中に灰を入れ、炭を燃やしたり香をたいたり、調理をしたりする器具。
火桶や炭櫃なども含む。
直径30センチ、深さ9センチほどの円形のものが普通。銅や鉄の金属製も他、
木製もあったとの事。
服装については、十二単だから着物を重ねる事はできる。
しかも、結構袴の下に色々重ねてはいていたようだ。
<井筒雅風『日本女性服飾史』光琳社>によると、
指のない靴下の長いようなものもあったそうで、服装は意外にも暖かいようだ。
脱ぐのは大変そうだ。
しかも、結構袴の下に色々重ねてはいていたようだ。
<井筒雅風『日本女性服飾史』光琳社>によると、
指のない靴下の長いようなものもあったそうで、服装は意外にも暖かいようだ。
脱ぐのは大変そうだ。
しかし、お金のない末摘花の女房達は着物も重ねられず、寒そうだった事を思い出す。
黒の皮衣の話もあった。
黒の皮衣の話もあった。
冬に琴を弾くという事は、
暖房があるお金持ちじゃないと出来ないという事かもしれない?
暖房があるお金持ちじゃないと出来ないという事かもしれない?