源氏物語は村上・醍醐天皇の頃の時代を匂わせているといわれているのは、
いつ頃だったでしょうか。
いつ頃だったでしょうか。
先日の清水好子 王朝女流歌人抄 には、
そういう源氏物語の登場人物のモデルのような女流歌人が載っていて
とても面白いです♪
そういう源氏物語の登場人物のモデルのような女流歌人が載っていて
とても面白いです♪
「斎宮女御徽子(きし)女王」
この人は六条御息所のモデルのような人。
自身が斎宮の後、村上天皇の女御となり、娘・規子(きし)内親王を生みました。
娘が斎宮に決定後は、一緒に伊勢まで行ったという人です。
その野々宮でのようすも伝えられており、まるで六条御息所のようですね。
娘が斎宮に決定後は、一緒に伊勢まで行ったという人です。
その野々宮でのようすも伝えられており、まるで六条御息所のようですね。
この本を読んでいると、村上天皇の後宮の女人の多さに驚きました。
天皇はどの女性にも心を配り、表面は後宮も平和だったようですが、
村上天皇の美しい女性に対する興味にも驚きました。
村上天皇の美しい女性に対する興味にも驚きました。
徽子(きし)女王の継母である登子(とうこ)と、
徽子(きし)女王の父である異母兄・重明(しげあきら)親王が存命中にも
登子と会い、しかも親王が亡くなった後は後宮に。
しかも登子は1番権力のあった女御安子の妹です。
徽子(きし)女王の父である異母兄・重明(しげあきら)親王が存命中にも
登子と会い、しかも親王が亡くなった後は後宮に。
しかも登子は1番権力のあった女御安子の妹です。
登子が重明親王にとって、娘と年齢が近い若い後妻だったにせよ、
継娘・徽子(きし)女王と姉・安子女御と競う立場などとは、
驚いてしまいました。
継娘・徽子(きし)女王と姉・安子女御と競う立場などとは、
驚いてしまいました。