Tanagawa Station, Misaki Town, Osaka Pref.
さてさて、ワタクシは大阪で生まれ育ち、今も大阪で暮らしているのですが、ワタクシが暮らしているのは大阪府の中でも
南河内と呼ばれる大阪府の南東部なんですよ。大阪府は京都府、奈良県、兵庫県、和歌山県に接しているのですが、南河内は奈良県に接しているんです。
先日、ワタクシは和歌山県に接している大阪府の南端である「泉南」と呼ばれる地域に出向きました。
ワタクシは大阪府岬町の多奈川駅にまず足を運びました。多奈川駅は南海電鉄多奈川線の殊着駅なんですよ。
多奈川線というのは南海本線のみさき公園駅と多奈川駅を結ぶわずか2.6kmしかない支線なんです。
潜水艦や海防艦を建造していた川崎重工業泉州工場への通勤の足として、1944年(昭和19年)に開業したという歴史があるんですよ。
戦後すぐに川崎重工業泉州工場が閉鎖し、工場の船溜を改修して深日港が完成し、合わせて深日港駅が開業します。
淡路島への航路と徳島への航路が開設され、難波から連絡急行の運転が開始されて、大阪 - 淡路島・徳島間を最短で結ぶメインルートとして賑わったそうです。
しかし、1970年代以降は大阪港や神戸港に発着するフェリーや高速船の充実もあって、深日港ルートを利用する旅客は次第に減少します。
その後、1998年(平成10年)の明石海峡大橋の開通によって旅客や航送車などが激減したため、深日海運・徳島フェリーは廃止されました。
その結果、多奈川線の利用客は激減し、寂れたローカル線になってしまいました。
現在は一日の利用客は約700人。とても採算がとれるとは思えません。もしかしたら、近い将来に廃線の話も出てくるかもしれません。
隣の深日港駅のホームが見えます。なにせ隣の深日港駅までは、500mしかないんですよ。
ゴトンゴトン…ゆっくりしたスピードで、2両編成の列車がやってまいりました。
駅長さんと少しの間ですが、話をさせていただきました。
ワタクシが「深日港からフェリーが出ていた頃は、駅も賑わっていたんですか?」と訊くと
「その頃はなぁ、フェリーの発着時間に合わせて難波から急行列車が来てたんですわ。
6両編成の急行でね、けっこう利用客も多かったんでっせ。今はもう、面影はありませんなぁ」と少しさびしそうに答えてくれました。
今はもう使われなくなったプラットホームに生い茂る雑草が、多奈川線の悲哀を象徴しているようでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
子供の頃から鉄道が好きだったので、当然ながらいろんな駅を訪ねてきました。
一日の乗降客が数十万人という駅もあれば、いくつもの路線が発着する駅もあります。
一方で、一日の乗降客が数十人なんていう秘境のような駅もありました。
これからもいろんな駅を訪ねてみたいです。
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さてさて、ワタクシは大阪で生まれ育ち、今も大阪で暮らしているのですが、ワタクシが暮らしているのは大阪府の中でも
南河内と呼ばれる大阪府の南東部なんですよ。大阪府は京都府、奈良県、兵庫県、和歌山県に接しているのですが、南河内は奈良県に接しているんです。
先日、ワタクシは和歌山県に接している大阪府の南端である「泉南」と呼ばれる地域に出向きました。
ワタクシは大阪府岬町の多奈川駅にまず足を運びました。多奈川駅は南海電鉄多奈川線の殊着駅なんですよ。
多奈川線というのは南海本線のみさき公園駅と多奈川駅を結ぶわずか2.6kmしかない支線なんです。
潜水艦や海防艦を建造していた川崎重工業泉州工場への通勤の足として、1944年(昭和19年)に開業したという歴史があるんですよ。
戦後すぐに川崎重工業泉州工場が閉鎖し、工場の船溜を改修して深日港が完成し、合わせて深日港駅が開業します。
淡路島への航路と徳島への航路が開設され、難波から連絡急行の運転が開始されて、大阪 - 淡路島・徳島間を最短で結ぶメインルートとして賑わったそうです。
しかし、1970年代以降は大阪港や神戸港に発着するフェリーや高速船の充実もあって、深日港ルートを利用する旅客は次第に減少します。
その後、1998年(平成10年)の明石海峡大橋の開通によって旅客や航送車などが激減したため、深日海運・徳島フェリーは廃止されました。
その結果、多奈川線の利用客は激減し、寂れたローカル線になってしまいました。
現在は一日の利用客は約700人。とても採算がとれるとは思えません。もしかしたら、近い将来に廃線の話も出てくるかもしれません。
隣の深日港駅のホームが見えます。なにせ隣の深日港駅までは、500mしかないんですよ。
ゴトンゴトン…ゆっくりしたスピードで、2両編成の列車がやってまいりました。
駅長さんと少しの間ですが、話をさせていただきました。
ワタクシが「深日港からフェリーが出ていた頃は、駅も賑わっていたんですか?」と訊くと
「その頃はなぁ、フェリーの発着時間に合わせて難波から急行列車が来てたんですわ。
6両編成の急行でね、けっこう利用客も多かったんでっせ。今はもう、面影はありませんなぁ」と少しさびしそうに答えてくれました。
今はもう使われなくなったプラットホームに生い茂る雑草が、多奈川線の悲哀を象徴しているようでありました。
使用したカメラ:FUJIFILM X-T1
子供の頃から鉄道が好きだったので、当然ながらいろんな駅を訪ねてきました。
一日の乗降客が数十万人という駅もあれば、いくつもの路線が発着する駅もあります。
一方で、一日の乗降客が数十人なんていう秘境のような駅もありました。
これからもいろんな駅を訪ねてみたいです。
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この電車に乗って深日港まで行き、深日港から
洲本へ行きました。
今はその船はなくなったのですね。
ポチ♪
それも仕方ないことなのですね。
でも、慣れ親しんだ鉄道がなくなってしまうのは、寂しいことですね。
応援☆
このレトロな終着駅・・・
我が家の最寄りの無人駅に似てます・・・。
通学の学生以外利用者は、
ほんの少しだと思います。
ちなみに、私もその駅は、
一度も利用したことないんですよ^^
ここ最近は少ないですが・・
懐かしい雰囲気で大好きです
大昔の大阪時代を思い出します
20代だったですが~
有難う御座いました<(_ _)>
ポチ(*^^*)
レトロな雰囲気があって素敵な駅舎ですね。
今回も素敵なお写真を見せて頂き、ありがとうございます♪
P☆
こういう駅舎があるなんて嬉しいですね。
新幹線もいいですけど、昔ながらの
電車を見るのも乗るのも大好きです。
ぽち!!
同じ関西に住みながら知らないことばかり
地図を出してきて^^先ほどから見入っています(^^ゞ
殆ど行ったことのない地です。
石切さんには何度も行くのですが、車で連れて行ってもらうので、何処を走ってるのかわからない(^^ゞ
親は大阪人で、5歳くらいまで大阪に住んでいたのですが、地図が読めず、方向音痴と来ていますので、
繋がりが分からない(恥ずか。。。)
線路の写真ってロマンを感じます。
数年前まで、旧福知山線の廃線になった線路道を
何度かハイキングで訪れたことを思いだしました。
大阪でもこういう駅舎がまだ残っているんですね。
★
鉄道は身近なものではありませんでした
駅までは自宅からバスで30分ほど要したと思います
関目に住んでいた頃、京阪電車のホームから
いくつも先の駅まで見えたことを覚えています
風情のある駅舎
このまま残しておきたい光景ですね(*^_^*)
☆~