松本春男の綾瀬市レポート(日本共産党元市議会議員)

2023年4月の綾瀬市議選で福田くみ子さんに
バトンタッチしました。

日本共産党が全国各地の選挙で、20歳代・30歳代が

2015年01月26日 | 選挙

今年4月のいっせい地方選挙で、神奈川県内だけでなく全国各地で20歳代~30歳代の青年が、県議選・市町村議に挑戦します。
何人かは、昨年秋の立候補表明時期は、年齢がまだ24歳の人がいました。
自公政権の戦争への道に突き進む政治に対して、若者の中に今自分が何とかしないと、70数年前の暗黒政治が復活する事を肌で感じる人が増えている表われです。
私も、32年前初めて、綾瀬市議選に立候補した時は、日本共産党に対して世界政治の影響で厳しい時期でした。全国各地で現職議員が多数落選しました。
綾瀬市は、現職の田中議員1名に私を含め、複数議席に挑戦する選挙で、田中さんも私も厳しい選挙でした。私は移住候補で、綾瀬市の知り合いが少なく、選挙体制も満足に作れず苦戦しました。
当時、全県で県議選挙に立候補する方針で、定数1議席の綾瀬市に県委員会から派遣された高橋青年が国政や県政の問題点を解りやすく演説で訴えてくれました。
私は、市議選告示日の一日は候補者カーにタスキをして運転し、信号待ちも含めて一人で市南部地域を回りました。今考えると必要な箇所で止まって訴えれば良いのに、何も解らずマイクを握っていました。朝方は人が多く集まっている所でなく、文化会館の前の道路は今と違い車の通行は殆ど無く、狭い道路で遠くの畑で作業されている一人に向かって訴え、話終わると畑3枚程度離れた所まで走って行き、握手をして走って戻って、息絶え絶えでお礼を述べ次の演説相手に向かいました。このような事を一日続けると舌が麻痺して話している内容が聞き取れなくなりました。事務所に残って、事務作業や電話で支持を訴えてくれた、高橋さんからの指示は簡単明瞭でした「、話している内容は、聞き取れないので自分の名前だけ」相手に解るようにして欲しいとの一言でした。次の日から地域の人が見かねて知り合いの女性を川崎市から呼んで貰い楽になりました。私の連続当選は、話している内容は不明だがあれだけ走り回っていれば何かしてくれるとの期待で支持してい戴いた地域の皆さんと、最初に政策を訴えてくれた高橋さんの影響が大きなものと考えています。
私の最初の当選は、31歳1か月の、青年候補者でいた。