松本春男の綾瀬市レポート(日本共産党元市議会議員)

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バトンタッチしました。

ベトナム戦争当時、沖縄に1300発の核兵器が

2017年05月07日 | 爆音基地問題
 今日の赤旗新聞の1面と2面記事で、国際問題研究者の新原昭治氏が米政府や米軍文書を入手して公表しています。
 1968年の1月30日~31日の北ベトナム軍と南ベトナム解放民族戦線が、各地で仕掛けた奇襲作戦「テト攻勢」に動揺した米軍が、南北ベトナムの最前線にあるケサン基地を防衛するため、沖縄に配備されていた核兵器の使用を検討していたことが、複数の内部文書で分かりました。
 米統合参謀本部が作成した「極秘」指定の歴史文書によれば、米軍トップのウイーラー統合参謀本部議長は68年2月1日、現地の司令官に対し、ケサンで情況が切迫した場合の核兵器使用について検討を要請しました。
 南バトナム支援軍のウェストモーランド司令官は非武装地帯の状況が劇的に変化した場合、米国は戦術核兵器もしくは化学兵器といった、大軍に対いて大いに効力を有する兵器の導入を準備すべきとだ」と主張。
 太平洋軍のシャープ司令官は「核装置使用のための緊急計画が沖縄で準備されている」と報告しました。これを受け、ウィラー氏はジョンソン大統領に核・化学兵器使用の検討を要請しました。
 しかし、大統領は世論の反発を恐れ、検討の中止を指示しました。
 ベトナム戦争は75年に終結しましたが、ウェストモーランド氏は76年に出版した回想録で、米政府が核攻撃の選択肢を外したことは「誤りだった」と述べています。
 米軍は占領下においていた沖縄に、53年ごろから核兵器の配備を開始。67年には1300発に達し、アジア太平洋地域で最大の核貯蔵庫になりました。7日赤旗記事抜粋