民間のボランテイ団体に参加して、1年間の海外活動の出来事。首都ダッカ市内のバスはいつも満席で中に入る事は困難でした。
バスにに乗ると言といっても、開いたドアに右足が乗って右手で把手を握っているだけ車内には右足と右手首だけでも料金は同じに払っていました。
ダッカ市外の都市を結ぶバスは、屋根にスノコと高さ30センチ程度の手すりが外側に1周しています。
高速で走るので風を受けて涼しいのですが、手すりを何時も握っていないと道路の穴ぼこに車が入ると車の振動で人が屋根から落ちる事故が多発していました。殆どの場合、人が落ちてもバスは止まらないで走って行きます。
60キロぐらい離れた村にバスで向かっていた時、車内に座れていました。同行メンバーから松本君は泳げるかと尋ねられ、泳げると答えると丁度バスは川の岸に止まって乗客が降りていきます。松本君は乗っていて荷物の番をお願いと降りて行きました。当時橋が無くてダイレクトバスはハシケの乗って川を渡りました。車内の残っているのは私と後2人でした。バスが走り出して何故バスを降りたのか聞いたら、ハシケからバスが川によく落ちるそうです。それを教えると松本君も降りるので知らせなかったと言われ、今後は自分で判断しないと命が危ないと思いました。
村から小さな船外機が付いたボートの乗っていると、目の前1m位の先に少女の水死体が浮かんでいて、船頭に死体が有ると伝えても船は止まらず離れて行きました。
人がナイフで刺されているのに、通行人は誰も助けなかったとの話も聞きました。
新聞記事は、死者が3桁になると報道するが、2桁では記事になっていませんでした。私がバングラディシュに渡った時は独立戦争から4年目で治安が回復しない時期で、近くでパーン・パーンと何発の音が聞こえるので村人に聞くと、強盗団が警察署を襲ってん銃撃戦が行われているので、今日は近寄らない方が良いとアドバイスを受けました.
別の日には、トタン張りの宿舎に帰っていたら、強盗団がライフルをを持って大家さんを殺しに来たが大家さんは井戸に飛び込んだ命は助かりました
村の事務所で仕事をしていたら。村人が来て100m位先の家でコレラで亡くなったから、今日は近寄らない方が良いとアドバイスが有りました。戦場では有りませんが、死を何回も意識する生活を経験しました。